ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。近現代編第十四話「大日本帝国の確立IX」、「シベリア出兵と米騒動 その16」をお届けする(第1439回)。
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あらためてシベリア出兵とはなんだったかと総括すれば、現在多くの日本人が考えているような小事件では無く、むしろ「第二次日露戦争」「プレ満洲事変」とも言うべき大事件だった。これが大失敗して内外の批判を浴びたため関係者が「史料の抹殺」に励んだ結果、史料絶対主義者である歴史学者が「史料が無い」という形で事件自体を軽視する傾向が生じてしまい、その傾向は現在も続いているというわけだ。
では、この大失敗は変な言い方だが、「一〇〇パーセント大失敗」であり、「一パーセントの成功」も生まなかったのだろうか? 仮に、左翼学者が声高に主張するように大日本帝国が中国など世界各地を侵略することしか頭に無い「巨悪」だとしたら、日本はこのシベリア出兵の過程においてなんの「善事」もなしていないことになるが、それでいいのだろうか。
もちろん、そうでは無い。勧善懲悪の時代劇で善玉と悪玉をきっちり分けるように左翼史観もそうしているようだが、歴史とは複雑な宗教や制度あるいは心情によって動く人間の行動の総合分析だ。そんな単純なものでは無い。実際には勧善懲悪とされる時代劇ですら、そんな単純なものでは無いのだ。
〈「人間というやつ、遊びながらはたらく生きものさ。善事をおこないつつ、知らぬうちに悪事をやってのける。悪事をはたらきつつ、知らず識らず善事をたのしむ。これが人間だわさ」〉
(『鬼平犯科帳 決定版(二)』池波正太郎著 文藝春秋刊)
言わずと知れた「鬼の平蔵」こと火付盗賊改方長官長谷川平蔵の述懐である。このセリフ自体は作者の創作だろうが、歴史上実在の人物であった長谷川平蔵は、私の知る限り世界史上初めて「教育刑の刑務所」石川島人足寄場を設立した人物である。
詳しくは『逆説の日本史 第十五巻 近世改革編』に記したところだが、それまで犯罪者というのは純然たる「悪」か欲望を制御できない「クズ」だから懲罰を与えればいいと考えられていたのに対し、長谷川平蔵はやむを得ない事情で悪に堕ちた者もおり、再犯を防ぐためには「手に職をつける」のがよい、と考えたのである。人間や組織を善玉・悪玉に二分する考え方では、決して出てこない発想だ。だから前述のセリフも創作とは言え、鬼平がつぶやいたとしても決して不思議は無いのである。そのことを頭において、次の新聞記事を見ていただきたい。
〈第一次世界大戦(1914~18年)時のシベリアや満州には、ポーランドを分割占領していた帝政ロシアにより「政治犯」として流刑にされた独立派や経済移民ら20万人のポーランド人がいた。ロシア革命(1917年)に伴う内戦で多くの子供たちが親を亡くしたり、飢餓や病気に苦しんだりしていた。〉
(『産経新聞電子版』2023年9月27日付「100年前の日本人が示した人道精神 シベリアのポーランド孤児救出から1世紀で記念式典/小島新一記者」より一部抜粋( )内は引用者)
プロイセン、オーストリア、ロシアの三国間に位置するポーランドは、いまから二〇〇年以上前の一七九八年にこれらの国に分割支配され消滅していた。
ポーランド人は何度も独立運動を起こしたが、失敗。彼らは政治犯として「シベリア流刑」となった。また、仕事を求めてシベリアへ自ら移住した者も含め、ロアシア革命勃発時は約二十万人のポーランド人がいた。こうしたなか、革命に反対するポーランド人は迫害された。
一九四五年(昭和20)八月に、日ソ中立条約を一方的に破棄して満洲へ侵攻したソビエト軍が略奪、強姦の限りを尽くしたように、このとき「残留ポーランド人」の少なからずの人数が、ソビエト軍に虐殺され女性はレイプされたのである。そして子供たちも孤児となって放置され、そのままいけばシベリアの荒野で餓死するか残留孤児となるところだった。
ところが、そうはならなかった。一九四五年に日本人の子供たちが「中国残留孤児」になってしまったのは「救い手」がまったくいなかったからだが、このときのポーランド孤児には頼もしい「助っ人」がいた。シベリア出兵していた大日本帝国陸軍である。
その救済について述べる前に、以前にも少し述べたかと思うが「戦場におけるレイプ問題」について少し触れておきたい。これはどんな戦争でも必ず起こりうる問題だからだ。具体的に言えば、これは「男性兵士による住民女性への性加害」である。
どんな軍隊にも個性というものがあるが、そうした観点から見ればソビエト軍(ロシア軍)というのは伝統的にレイプを「好む」軍隊である。いまのウクライナ戦争でもロシア軍はやっているようだが、重罪人を「国のために戦えば罪を免除してやる」などと焚きつけて前線に出す、というのがロシアの伝統的なやり方で、そうであるがゆえに性加害が増えることになる。
しかし、じつはこれはロシアだけの問題では無く、戦争というものに常につきまとう現象ではある。徴兵制とはなにかと言えば、それまで普通の生活をしていた市民を戦場に駆り出すことである。そして戦場に駆り出すということは、イコール敵の兵士を殺せ、つまり「殺人を犯せ」ということである。だから軍隊では必ず一般兵士に、最終的には「野獣になれ」と強制する。そうしなければ戦士として活用できない。
しかしながら、それで「野獣と化した兵士」に、女性に対してだけは「紳士的であれ」という態度を取れと強制することが可能だろうか? 別に心理学の専門家で無くてもそんなことは無理、あるいはきわめて難しいということがわかるだろう。専門の訓練を受け軍規を尊重することを叩き込まれた職業軍人ならともかく、元は素人の召集兵には困難である。いや、職業軍人だってそれは難しい。戦場で明日死ぬかもしれないからだ。当然「人間としてのタガ」が外れるということは往々にしてある。
難しい「兵士のセックス管理」
次の記事を見ていただきたい。
〈ライダイハン ベトナム戦争時の韓国軍の所業を英BBCが報道
英国の公共放送である英国放送協会(BBC)が3月にベトナム戦争当時の韓国兵による女性への性的暴行を特集で伝えたことが、日韓外交の関係者らの間で反響を呼んでいる。韓国政府は国連の場でも、旧日本軍のいわゆる慰安婦問題を再三取り上げてきたが、ベトナムでの自国兵の行為について謝罪はしていない。BBCは、韓国の二重規範についても指摘している。 BBCは3月27日、ウェブサイトに、「1968-何百人もの女性を苦しめた年」と題した記事を掲載し、韓国軍兵士から被害を受けた2人のベトナム人の境遇を詳しく伝えた。そのうち1人は性的暴行を受け、3人の子供を身ごもった女性だった。
ベトナム戦争時に韓国軍兵が現地の女性を性的に暴行するなどして生まれた混血児は、「ライダイハン」の蔑称で呼ばれ、ベトナムで差別を受けてきた。その数は定かでないが、5000~3万人に上るとの説がある。(以下略)〉
(『産経新聞電子版』2020年4月4日付 原川貴郎記者)
ちょうどいまロシアのプーチン大統領が北朝鮮に援軍を依頼したように、ベトナム戦争のときにアメリカは韓国に精鋭部隊の派遣を依頼した。その結果がライダイハンである。彼らの父親は兵士だけで無く一緒に派遣された技術者もいたようだが、とにかく彼ら韓国人が子供を見捨てて帰国したのは事実だ。そうでなければこんな大問題にはならない。また、ベトナム戦争の主役であったアメリカ軍もこうした問題とは無縁では無い。しかし日本では、ライダイハンのことはこの産経新聞の記事もそうだが、韓国の主張する「従軍慰安婦」問題への「反撃」として紹介される場合が多い。この記事の結びも以下のようになっている。
〈〈BBCの記事は〉ストロー元英外相が「国際大使」として関わる民間団体「ライダイハンのための正義」が、国連人権理事会による調査や韓国側の謝罪を求めていることも伝えた。
さらに「韓国は、第二次世界大戦中に、何十万人もの韓国人女性が性奴隷として働かされたことをめぐり、謝罪をするよう何十年も日本に働きかけてきた」と指摘。「何十万」という数字や「性奴隷」といった表現には問題があるものの、日本に謝罪を求めながら、自らの問題には頬かむりする韓国の姿勢を浮かび上がらせた。〉
イギリスのこの問題に対する救援団体も、「ライダイハン」と「慰安婦」の問題を同次元のものとしてとらえているようだ。しかし、私はこういう見方には異論がある。ここでちょっと考えていただきたい。ベトナム戦争で韓国軍が展開していたのは、わずか数年である。だが、最低でも五千人ものライダイハンが生まれた。
では、中国が非難してやまない日本の満洲事変以降の侵略で、日本人兵士が現地女性をレイプすることによって生まれたライダイハンのような混血児がどれぐらいいたか、あらためて考えていただきたいのだ。もちろんゼロでは無いだろうか、数はきわめて少ないはずだ。少なくとも何千人という単位では無い。では、なぜ野獣と化した兵士たちの性欲をコントロールできたのか? もうおわかりだろう、慰安婦がいたからだ。
つまり、日本軍というのはさまざまな批判があるが、少なくとも兵士のセックス管理についてはもっとも早くからきちんと考えていた軍隊なのである。だからこそ慰安婦制度はすべて正しいなどと言うつもりは無い。そもそも物事や組織が「すべて正しい」とか「すべて悪だ」などと決めつける考え方では歴史は語れない、と申し上げているのだ。
このポーランド孤児救出問題もそうだ。なぜ日本軍だけが孤児を救出することができたのか? それはロシア革命潰しを狙った各国軍が早々に見切りをつけて引き揚げたからである。フランス軍のみならず、最後まで粘ったイギリス軍も、いつの間にかチェコ軍団が消滅し「救出」という大義名分を失ったアメリカ軍も、早々に撤兵した。
しかし、あくまで「バイカル博士の夢」の実現を望んだ日本軍は、各国の非難をものともせずにシベリアに居残り続けた。この居残りの動機を「正」か「悪」かと問えば、どちらかと言えば「悪」だろう。しかし、日本軍がそうしたからこそポーランド孤児を救出することができたのであり、結果的にポーランドは東欧一の親日国になったのだ。人間の世界とはこういうものであり、その軌跡が歴史だ。ここであらためて「鬼平のセリフ」を噛みしめてもらいたいところである。
ところが、ポーランドは長い間この事実を国民に知らせることができなかった。ソビエト連邦の圧力によって、ポーランド将校らが一九四〇年にソビエト軍により大虐殺された「カチンの森事件」などと同様に、ソビエト軍の蛮行を学校で教えることができなかったのだ。ちなみにカチンの森事件についてソビエトは、「あれはナチス・ドイツの仕業」と叫んでいた。日本の左翼歴史学者も多くがそう主張していた。「ソビエトは善玉」だからだ。こんな連中に歴史を語る資格は無い。
このポーランド孤児の窮状を日本に訴えたのは、アンナ・ビエルキエヴィッチという民間人の女性だった。彼女はシベリアから日本に渡り、外務省そして日本赤十字を訪ねて救援を依頼した。当時、ポーランドと日本は正式な国交も無かったのだが、人道的見地から見捨てておけないと救出が実行されることになった。
注意すべきは実働部隊として動いたのは日本陸軍であり、陸軍の最高首脳部つまり軍国主義の象徴として非難される田中義一陸軍大将(のちに首相)らが、この決断を下しているということだ。日本に救出されたポーランド孤児の総数は五十六名だったが、彼らは日本での手厚い看護によって回復し無事祖国に戻った。そして彼らは、日本人看護婦松澤フミのことを語り継いだ。彼女は腸チフスにかかった孤児をつききりで看病し、患者の命は救ったが感染し命を落としたのである。
戦前の軍歌、いや軍事歌謡というべきか、日本人なら誰でも知っている『婦人従軍歌』という歌があった。その三番に、「やがて十字の旗を立て 天幕(テント)をさして荷(にな)いゆく 天幕に待つは日の本の 仁と愛とに富む婦人」(作詞加藤義清)とある。たしかに、こういう歌に示されるような事例も紛れも無く実在したのだ。
それが複雑な、人間というものの歴史、である。
(第1440回に続く)
【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『「言霊の国」解体新書』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。
※週刊ポスト2024年12月27日号