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【吉井理人監督×作家・本城雅人氏】有馬記念と思い出の名馬を語る「有馬記念でシルクジャスティスが勝ったらメジャーに行こうと決めていた」

NEWSポストセブン 2024年12月18日 11時12分

 オグリキャップが感動のラストランを飾ってから34年、今年の有馬記念は天皇賞(秋)、ジャパンカップを勝ったドウデュースが「秋の古馬三冠」にチャレンジ。名手・武豊騎手とも交友の深い作家の本城雅人氏と千葉ロッテマリーンズ監督の吉井理人氏の2人が、有馬記念と思い出の名馬について熱く語り合った。【全3回の第1回】

本城:オグリキャップが有馬記念を勝った1990年、僕はサンケイスポーツでプロ野球のヤクルト担当でした。有馬の日は選手会ゴルフを取材していました。

吉井:僕はそのゴルフは出てなかったな。

本城:ゴルフ場のテレビで池山隆寛選手と観ながら盛り上がりました。でも当時はネット投票はなかったから、馬券は買っていなかった。

吉井:ちょうどオグリキャップが活躍していた時期、近鉄にオグリビーというメジャー経験のある選手がいたんです。

本城:覚えています。よく打ちましたよね。

吉井:彼、日本語はカタカナだけ読めたんです。スポーツ新聞にやたら「オグリキャップ」と書いてあるから、自分のことかと思って「なんて書いてあるんだ?」って聞くから、「おまえのこととちゃう」って。それが僕の一番のオグリキャップの思い出です(笑)。

本城:オグリキャップは1988年に中央競馬に移籍してきて、重賞を勝ちまくったり、タマモクロスと名勝負を繰り広げたりしたけど、4歳時が特に凄かった。マイルチャンピオンシップとジャパンカップの連闘なんて、いまでは考えられません。

吉井:オグリキャップもすごかったんやろうけど、武騎手はその時にはもうトップ・ジョッキー。いまもその座を保っているんだから本当にすごいですよね。

メジャー行きを決めた運命の日

吉井:実は僕が馬券を買うようになったのは翌年の有馬記念からなんです。

本城:ああ、「これはびっくりダイユウサク!」

吉井:大阪球場にあったウインズ難波で。めっちゃ人が多くて、ブロック塀にのぼって馬券を握りながらモニターを見ていました。

本城:それまで競馬は?

吉井:レースは見ていたけど、馬券は買ったことがなかった。この時はメジロマックイーンが1番人気だったので外せんやろと思って人気のない2頭に流したら……当たったんです! ダイユウサクは14番人気でした。

本城:持ってますね。

吉井:その翌年から有馬記念は毎年中山競馬場へ行くようになりました。現地で池山に会ったり、野茂英雄と一緒に行ったりしたこともあります。

本城:体格のいい野球選手が一緒にいると目立ちますよね?

吉井:みんな競馬新聞ばかり見ているから、誰も気づかない(笑)。

本城:吉井さんは1995年にヤクルトに移籍します。僕はその少し前までヤクルト担当。競馬好きの選手が多かったので、その後、僕が競馬の担当に移ってからも交流は続いていました。で、今度移籍してくる吉井という投手は競馬好きらしいと。

吉井:一緒にゴルフに行ったんですよね。

本城:それが初めてお会いした時。ゴルフの間中、選手たちも競馬の話ばかりしていて(笑)。

吉井:競馬のおかげでチームにすんなり溶け込めました。

本城:移籍した年に10勝してヤクルトは日本一。吉井さんはそれから3年連続二桁勝利、1997年にはまた日本一になりました。

吉井:その年のオフにFA宣言をしたら、国内の5球団から、複数年契約で10何億円というようなありがたいお話をたくさんいただいた。

本城:長嶋監督がポケットマネーで1億円出すとか出さないとか報じられて、誰もが巨人に行くものだなと思っていました。

吉井:僕自身はヤクルトに残留するという選択肢もあって、どうにも決めかねていたんです。

本城:ニューヨーク・メッツに行くと明らかになったのは年末ぎりぎり、びっくりしましたよ。

吉井:有馬記念でシルクジャスティスが勝ったら、メジャーに行こうと決めていたから。

本城:えっ、どういうことですか?

吉井:その年のダービーで2着になってからずっと追いかけていたんですよ。後ろから追い込んでくるレースぶりが好きで、有馬記念でもハマるんちゃうかなと思って。レースは中山競馬場で見ていました。

本城:初めて聞きました。

吉井:ずっともやもやしていたんですが、この有馬記念で、よしメジャーに行こう! って。

本城:長嶋さんは知らないでしょうね、なぜ巨人に来なかったのか(笑)。

吉井:この頃は一口馬主をやっていたんですが、午前中には出資していた馬が9番人気で勝った。しかも適当に買った阪神競馬最終レースもとって、えらく儲かったんです。それまではいつも損して帰っていたのに、こんなに当たってプラスになったのは初めてでした。

本城:それで最低年俸(当時のレートで約2600万円。プラス出来高)でもメジャーに行くと決意したんですね。

吉井:運命の一日やったと思っています。

本城:それでメジャー2年目には12勝、通算で32勝もしているんだからすごい。

吉井:本城さんは記者として有馬記念の予想が的中したことは?

本城:僕はむしろ馬より人を取材するのが好きだったんです。だから、ジョッキーや調教師が1時間も2時間も話してくれたのに印をつけないってことができない。話を聞けば聞くほど当たらなくなって、予想担当から外してもらいました。いまでも馬券は買いますけど、下手ですね。

吉井:話を聞けば聞くほど当たらないって名言ですね。

本城:有馬で感動したのは、1999年のスペシャルウィークとグラスワンダーですね。見ていて鳥肌が立ちました。

吉井:ハナ差のデッドヒートやったもんね。

(第2回へ続く)

【プロフィール】
吉井理人(よしい・まさと)/1965年、和歌山県生まれ。1984年に近鉄入団、1995年のヤクルト移籍後は2度の日本一に貢献。1997年オフにFA権を行使してメジャーリーグのニューヨーク・メッツに移籍。日米通算121勝62セーブの成績を残し、2007年に引退。2022年オフに千葉ロッテマリーンズ監督に就任、2023年シーズンより指揮を執る。馬主としてこれまで6頭の競走馬を所有。

本城雅人(ほんじょう・まさと)/1965年、神奈川県生まれ。スポーツ新聞記者、競馬雑誌デスクを経て、2009年に『ノーバディノウズ』で作家デビュー。2017年、『ミッドナイト・ジャーナル』で吉川英治文学新人賞受賞。2018年、『傍流の記者』で直木賞候補。著書多数。2025年3月には元ジョッキーを題材にしたミステリー『灯火』を出版予定。

※週刊ポスト2024年12月27日号

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