さまざまな「平成流」を確立された美智子さまが大切にされてきたのは、国民と同じ目線に立つことだった。それを体現されるかのように国内外を飛び回り、対話を図られてきた美智子さまだが、このたび、苦渋のご決断を下されたようだ。
そのたたずまいから美智子さまの葛藤がうかがえた。12月23日の上皇さまの誕生日に先立ち、同月中旬、上皇ご夫妻のお住まいである仙洞御所で誕生日写真の撮影が行われた。
「これまでは例年、庭園を散策されるご様子などおふたりの立ち姿を収めていましたが、今年は室内で座られたまま会話される様子を撮影しました。本当はいつも通り立ち姿を見せられたかったはずですが、美智子さまは、現在もけがからの快復の途上にあります。まだ無理はすべきではないとお考えになり、座られた状態での撮影に落ち着いたのでしょう」(宮内庁関係者)
2024年10月にお住まいで転倒して右大腿骨を骨折、手術を受けられた美智子さま。
「いまは1日2回、毎日欠かすことなくリハビリに取り組まれています。そのかいあってか、美智子さまは最近、骨折前の日課だった上皇さまとの散歩を再開されたそうです。杖を使いながら、ゆっくりと歩かれているといいます。かつての日常を取り戻すべくリハビリに打ち込まれる美智子さまですが、一方で、終活ともとれるご決断をされたようなのです。寄る年波には勝てない、という思いがあるのかもしれません」(皇室記者)
宮内庁は、2025年度に皇室が活動するための予算を「概算要求書」として公表している。
「多少の増減はありますが、基本的には前年に倣った形で予算が計上されることが多い。しかし、2025年度予算については前年と大きく金額が異なる項目がありました。それは上皇ご夫妻の地方訪問に同行する職員の航空機のチケット代の予算で、2025年度にはゼロになっているのです。
令和に御代がわりしてからも、この項目には毎年2000万~2500万円ほどの予算が計上されていましたから、いきなり予算が消滅したというのは、上皇ご夫妻に心境の変化があったことの証左でしょう」(前出・皇室記者)
皇族方が宮内庁職員の帯同なしに、航空機を利用して海外や地方を訪問されることは、まず考えられない。
「つまり、上皇ご夫妻が、自分たちには航空機を使った移動は困難だと判断されたということです。しかもこの予算が策定されたのは美智子さまの骨折よりも前のことであり、大けが以降はさらに活動の幅を狭められていらっしゃるでしょう。平成の時代には幾度となく空の旅をされてきた美智子さまですが、海外渡航も、もうおしまいにするというご決断をされたのでしょう」(前出・皇室記者)
近年の美智子さまのご様子からは、ご決断の予兆が拝察できた。2023年5月に上皇さまの退位後初めてのご旅行として京都を訪問された美智子さまは、階段を上られる際に体勢を崩しよろめかれた。翌2024年4月に明治神宮を参拝された際も、段差につまずきあわや転倒、という一幕があった。
「どちらも事なきを得ましたが、見ているこちらも美智子さまの足腰に不安を感じる場面でした。それ以外のお出ましでも、歩かれる速度や体勢を変える際の動作が以前よりゆっくりになった印象を受けます。美智子さまも、ご自身の身体機能の衰えをひしひしと感じていらしたのでしょう」(前出・皇室記者)
地球15周半の移動
皇室に入られた美智子さまがとりわけ大切にされていたのが、海外訪問だった。ご成婚から2年後の1960年に行われたアメリカ訪問を皮切りに、次々と国際親善や、戦争の犠牲になった土地や被災地に足を運ばれる「祈りの旅」を行われた。皇族にできることは、ある事柄や事態について祈り続けることだ、と考えられていた美智子さまにとって祈りの旅は特別なもので、海外訪問の回数は、皇太子妃と皇后時代を合わせると、なんと128回に及ぶ。
「時代が違うので一概に比較することはできませんが、香淳皇后の海外訪問は9回でしたから、美智子さまがどれほど海外訪問に心を砕かれたのかがわかります。海外訪問に際しては、その国の文化や慣習を事前に学ばれたり、相手に失礼のないようにお召し物を新調されたりと、かかる労力は国内訪問の比ではありません。それでも国際親善のために、そして先の大戦の戦地への慰霊のためにという強いお気持ちで、美智子さまは海外訪問を続けられました」(皇室ジャーナリスト)
平成の時代、美智子さまは現地に赴き、顔を合わせることを重要視されてきた。
「海外では積極的に現地の住民や戦闘を経験した元軍人との懇談を行われ、国内で大きな自然災害が起きれば、被災地を訪問され、膝をつき被災者と同じ目線で励ましの言葉をかけられてきました。
慰霊に被災地訪問にと、国内外を飛び回られた上皇ご夫妻の、平成30年間の総移動距離は62万kmを超え、地球15周半に相当します。それだけ美智子さまは祈りの旅に心身を捧げられてきたのです」(前出・皇室ジャーナリスト)
とはいえ、航空機での移動が体にかける負担は大きいのか、御代がわり以降、上皇ご夫妻が航空機を使って地方訪問をされたことはない。
「それでも2024年度まで予算が計上され続けていたのは、できることならもう一度祈りの旅を、という強いお気持ちがあったからでしょう。また、38年前に一度計画されながらも出発直前に美智子さまが子宮筋腫の手術を受けられたことで中止となって以降、実現していない韓国訪問も美智子さまの悲願だったといいます。だからこそご決断されるまでに時間が必要だったのでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト)
遠方への旅を手放されてもなお美智子さまは、上皇后としての新しいなさりようを模索されている。
「現地に足を運ぶことは困難でも、御所でできることもあるはずですから、美智子さまはいまのご自身に何ができるか考えているのではないでしょうか。まずは、自分がけがから復活し、上皇さまと並んで元気に歩く姿を見せたいというお気持ちで、一日も早い快復を目指されていることでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト)
美智子さまの歩みは新しい年も止まらない。
※女性セブン2025年1月2・9日号