群馬県有数の温泉街、草津町。2019年11月、「町長室で町長と肉体関係を持った」とする元町議からの告白文書を掲載した電子書籍が出版されたことで、町は日本国内のみならず海外からも注目を集めることとなった。
それから5年になる今年11月26日。草津町の黒岩信忠町長が、電子書籍によって名誉を傷つけられたとして元町議の新井祥子氏や、電子書籍を執筆したフリーライターらに慰謝料の支払いなどを求めた民事訴訟で、新井氏に165万円の支払いを命じた判決が確定した。
当時、町は「セカンドレイプの町」といった汚名を着せられていたが、この民事裁判や、先んじて行なわれた電子書籍を執筆したフリーライターの刑事裁判では、「町議による性被害告発」が虚偽だったことが判明している。刑事裁判では肉体関係があったと思しき時間帯の録音データの存在が明らかになったが、そこには性暴力をうかがわせるような音声が記録されていなかった。民事裁判では、性被害の告発を行った張本人である新井氏が、告発が虚偽だったと自ら認めている。
温泉街を混乱に陥れたこの騒動はまだ終わってはいない。12月18日からは新井氏に対する刑事裁判がようやく始まったところだ。これに先立ち、民事裁判判決確定直後、黒岩町長に話を聞いた。
「訴訟提起から一審判決まで4年半、高裁判決まで5年かかりました。しかし地裁高裁を含め一点の曇りもなく冤罪を証明することができ、本当に良かったと思います。ネットで色々叩かれもしましたが、私の、そしてこの草津町の信用を取り戻すために、なんとしても真実を明らかにしたいという気持ちで戦ってきました」
「セカンドレイプの町」と言われ……
草津町役場3階、階段すぐそばにある町長室のドアはいつも開け放たれており、奥にある町長席の手前には来客用のソファが並んでいる。町長席の後ろはガラス張りだ。向かいには交番が見える。新井氏が「町長と町長室で肉体関係を持った」と主張している2015年1月8日の朝10時も、変わらず同じ環境だった。この町長室で黒岩信忠町長は取材に応じた。
「町長職を抱えながら戦うというのは多大な負担がありました。弁護士さんへしっかりと説明するために書面を作成したりすることもそうですが、5年にわたる民事裁判の費用は全額自分で出しました」(黒岩町長、以下同)
問題の電子書籍『草津温泉 漆黒の闇』(現在は発売中止)は、シリーズとして複数巻が刊行されていた。この書籍の存在を、町議や町長は把握していたという。新井氏による「性被害告発」が掲載された『草津温泉 漆黒の闇5』(同前)は2019年11月ごろに発表された。町長は当時、内容を確認後、すぐに警察に相談した。
「議員から電子書籍の内容について『新井氏が町長に性被害を受けたと書かれている』と報告を受けた時、あまりにも驚いてカツ丼を噴き出して、『冗談ではないか』と問い返しました。しかし本当にそのように書かれていたんです」
5年におよぶ長い戦いが始まる瞬間だった。新井氏の主張を取材した報道機関は、町長にも取材をしていた。そのたびに自身が潔白である旨を伝えてきたが、これが報じられないことも多々あったという。新井氏には翌月の町議会で懲罰動議が発令され、除名処分となった。
町長は新井氏とフリーライターの飯塚玲児氏を名誉毀損で告訴し、また両名に加え、新井氏のサポートを行なっていた中澤康治元町議を相手取り民事訴訟を提起する。そんな町長や町へのバッシングが強まる決定打となったのは、2020年12月に開かれた外国特派員協会での会見だった。町長と新井氏が出席した会見だったが、「黒岩町長から性被害に遭ったことは事実です」という新井氏の発言が国内外に広く報じられることに。「セカンドレイプの町」というワードもインターネット上に広まった。
「草津は知名度もある、その町長のスキャンダルだから面白い、と世間に思われたんだと思います」
選挙のお願いだった
のちにフリーライター飯塚氏の刑事裁判の中で、新井氏が録音していた「2015年1月8日の町長との面会時」の1時間音声データが存在することがわかり、性的な行為をうかがわせる内容が記録されていなかったことも判明する。これを受け、同町の中澤康治氏が会長を務める「新井祥子元草津町町議を支援する会」が、町内折込やFacebook上で解散を発表。加えて、音声データについては新井氏から「15分しか存在しない」と聞かされていたことなどを明らかにした。
民事裁判では新井氏が証言を変遷させた。2023年11月1日に前橋地裁で開かれた民事裁判の第二回口頭弁論で「町長との肉体関係はなかった」とみずから認めたのだ。確定した民事裁判判決でも、肉体関係はなかったと認定されている。
そもそも“肉体関係があった”と新井氏が主張していた2015年1月8日の10時、なぜ彼女は町長に面会を求めたのか。町長が明かした。
「今も記憶しています。選挙のお願いでした。当時の町議であり草津の『時間湯』湯長でもあった男性A氏との関係が悪化しているため、その間を取り持ってくれないかという話をされたのです。当時は4月に選挙を控えていましたが、新井氏曰く、自分は選挙に弱く、議会の皆様の応援がなければ勝てないため、関係を修復したいということでした。
私はその話を前町長に相談しようと席を立ち、自席付近で携帯電話を持って電話をかけたのです。しかし留守電になって用件を伝えることはできませんでした。『留守電になってるよ』という私の音声も新井氏の録音データに記録されています」
草津の伝統的な入浴法「時間湯」は湯長という入浴指導者の監視のもと、高温の湯に短時間入るというものだ。薬機法の観点から、湯長制度は2019年に廃止となったが、問題の電子書籍『草津温泉 漆黒の闇5』の著者、飯塚氏は古き良き「時間湯」愛好家で、こうした動きに反対していた。新井氏の告発を収録した電子書籍発表直前に飯塚氏は、群馬県知事に対しても、電子書籍の刊行取り下げと引き換えに「時間湯」存続を求めるメールを送っていた。
玄関に立っていることがあった
新井氏がなぜ、飯塚氏に虚偽の告発をしたのか、その目的は定かではない。しかし問題となっている2015年の町長室での面会後も、新井氏は複数回、町長にコンタクトを取ってきたことがあるという。自宅にも複数回、アポ無しでやってきたのだそうだ。
「8時20分ごろ出勤しようと自宅を出ると、玄関に立っていることがありました。驚いて用件を聞くと、『町長に連絡取っても何も返事くれないじゃないですか』と、なにか私が悪いことをしたみたいに言われましたので、これはおかしいなあ、と不思議に思っていました。
あとは夜の9時ごろにも自宅に来たことがあります。自宅はガラス張りの玄関があって、応接室が隣にあるのですが、人通りもあり、外からよく見えるところなので、そこで話をしました。新井氏は『町長、お話があるんです』というので聞いていたのですが、世間話しかしないんです。のちに民事裁判では、その場でも『町長から抱き寄せられてキスされ、触られた』という主張をされてしまいました。当然ながらそれも事実無根です」
新井氏は町議になる以前から「しょこたん通信」という会報を、新聞折込にて町民に配布していた。そこで新井氏は自身の過去の不倫や、特定の町民を非難するといった内容を漫画にしていたという。また、町議としての在任期間は5年7か月であるが、その間、議会から4回、懲罰を受けている。一度目は、町民が提出した陳情書について、陳情者になりすまし無断で陳情書の取り下げをしたというものであり、新井氏も認めている。
加えて、町に居住実態がないことも判明していた。新井氏が記載していた住所のアパートは水道が止まっており、家主は「貸していない」と主張。当時、議会でこれを追及すると新井氏は、「水道の代わりとしてペットボトルの水を使って、トイレはコンビニや公園のトイレを使っていた」と主張していたという。町は新井氏を公正証書原本等不実記載罪で前橋地方検察庁に告発した(のち不起訴)。現在新井氏は、町を離れている。虚偽告発の疑いを晴らすために長い裁判を続けてきた町長は、こう振り返った。
「この5年間って何だったんだろう、と私だって思っています。いきなり町長室で性交渉しましたと言われて、黙っているわけにはいかない。そう思って戦う中、町長として一番辛かったのは世間から草津町をバッシングされたことでした。
町は関係ないはずなのに『町長がレイプするような人だから町に行くとレイプされる』というようなことを言われたんです。集団レイプ地域みたいに言われましたね。冤罪を証明するため頑張ってこられたのは、町民や議会の皆さんが自分を信じてくれていたからだと思っています」
新井氏は名誉毀損と虚偽告訴の罪で在宅起訴されたが、12月18日に開かれた刑事裁判初公判では「名誉毀損は無罪です」と主張している。
◆取材・文/高橋ユキ(ノンフィクションライター)