ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。今回は「新年特別編 前編」をお届けする(第1440回)。
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本来ならば、今回はシベリア出兵のその後について一九一八年(大正7)以降の記述を進めるべきなのだが、新年1号となる今号では現時点で日本が抱える大きな問題について言及したい。時系列を飛び越した「特別編」ばかりでは、歴史の記述としては問題があるのではないかと考える読者もいるかもしれないので、少しご説明したいと思う。
私は歴史家のもっとも重大な使命の一つに、日本のあるいは世界の長い歴史から汲み取った教訓を示し、日本人あるいは人類全体が誤った方向にいかないように提言することがあると思っている。それは、コマ切れされた時代の専門家にすぎない歴史学者には絶対不可能だし、また反感を買うかもしれないが、経済学や国際政治学といった分野の専門家にも困難なことである。
なぜならば、歴史家ほど全体を見ていないからだ。それでも、その提言がたとえばこの『逆説の日本史』完結時に「あとがき」として加えてもいいような先を急がない話であったのなら、いまここでそれを述べる必要は無い。しかし、残念ながらこれから申し上げることは日本人と全人類の将来にかかわることであり、いつになるかわからない「完結時」に言及したのでは手遅れになる可能性が高いので、いま言っておく必要があるのである。
どうしてそう思ったのかと言えば、二〇二四年十月に挙行された衆議院選挙で、政権与党である自民党や公明党だけで無く、他の野党も一斉に、なにをやりたいか、なにをやりたくないか、全国民の前に示したからである。一覧表を作ったりするつもりは無いが、ある政策について私はそれこそ自民党から共産党まで、すべての政党に共通する大きな欠点があると思った。そして、それに気づいているのは、ひょっとしたら日本の歴史全体を見ている歴史家である私しかいないとも考えている。傲慢不遜に聞こえるかもしれないが、読者のみなさんにはこれから申し上げる提言をぜひ検討し、判断していただきたいところだ。
その提言とは、まず第一に日本は将来的に原子力発電所(原発)を廃止したり縮小したりする方向にいくのでは無く、むしろ積極的に新しく開発する道をいくべきだということだ。そして第二に、そのことに関して中国を無視してはならないということである。
耳を疑う人が多いかもしれない。とくに後者については、反感を持つ人もいるだろう。「井沢元彦よ、お前はいつも中国は危険な国だと警告してきたではないか。前言を翻して媚中派になるのか!」などと考える人もひょっとしたらいるかもしれない。そんなつもりは毛頭無い。
拙著『絶対に民主化しない中国の歴史』(KADOKAWA刊)で述べたように、中国にはそもそも民主主義を定着せしめる伝統がまったく無い。しかも、さらに問題なのは儒教という民族の伝統思想の強い影響で、民主主義など非合理で遅れた制度だと思い込んでいることだ。
先の米大統領選後にテレビのニュースを見ていたら、敗北したカマラ・ハリス候補が「選挙に負けたら、その結果を受け入れるのも民主主義です」と民衆を前に演説していたが、残念ながら中国にはそういう考え方はまったく無く、そもそも選挙で最高の権力者を選ぶという発想すら無い。いまの習近平国家主席は全国人民代表大会の選挙で選出されたという形をとってはいるが、それは民主主義を否定する一党独裁政権の下で行なわれた形式的なものだ。フランス革命を民主主義の原点とすれば、中国は「二百年以上遅れた国」なのである。
一方、原発推進についても「原発の利権でオイシイ思いをする気か?」とか「日本は地震が頻発する国だ。それがわかったうえでそんなことを主張するのか!」などと極悪人扱いされそうだが、ここで日本人すべてに思い出していただきたい歴史上の名言がある。それは次のようなものだ。
〈江戸の日本橋より唐・阿蘭陀まで境なしの水路なり。然るを是に備えずして長崎にのみ備るは何ぞや〉
ご存じだろう。江戸時代の経世家林子平が、著書『海國兵談』において日本の海防の危機を訴えた有名な言葉だ。この言葉が発せられた背景を簡単に解説すると、かつて日本は世界一安全な国であった。なぜなら、島国で周りを海という「深い堀」で囲まれているからだ。外国は日本を攻めるなら必ず大量の船(昔は爆撃機やミサイルなど無い)を動員せねばならず、また積載能力の少ない木造帆船では大量の兵員を送り込むこともできなかった。
ところが、十八世紀になると西洋で蒸気機関という強大なエンジンによって動く船(これを日本では「黒船」と呼んだ)が開発されたことによって、事情はまったく変わった。蒸気船は木造帆船では積載不能な重砲(巨大な大砲)が何門も積めるから、洋上からの艦砲射撃で江戸城を破壊する、などということが可能になった。「海に囲まれているから世界一安全」だった日本が、「海に囲まれている(江戸日本橋の水はオランダまで通じている)から、どこからでも攻略できる(長崎だけ防御を固めても意味が無い)」という、「世界一危険な国家」に成り下がったのだ。
本拠の江戸城を海沿いに築城し安心していた徳川幕府も、慌ててお台場(砲台場)という人工島を造って黒船をインターセプトしようとしたがうまくいかず、結局「江戸湾には入ってくれるな、横浜に行ってくれ」という形で危機を回避するほかは無かった。林子平のこの名言は、そうした黒船が実際にやって来る事態を予測して述べたものである。時の老中松平定信は「医者のせがれのくせに世迷言を言うな」と子平を厳しく弾圧したが、結局子平の予測は正しかった。
「原発銀座」はどこに造る?
さて、二〇二五年が始まる時点で私が林子平を見習って日本人に提言するならば、次のようになる。
日本の東京から中国・上海まで境無しの空域なり。これを無視して日本だけ原発廃止に進んでよいのか
細かい数字については、私はその分野の専門家では無いのできわめて大づかみに述べよう。日本の隣りに中国という厄介な国がある。その国の人口は日本の約十倍である、しかも「一人っ子政策」という極端な愚策を実行したために、高齢化が進む日本より一段と早く高齢化が進んでいる。これから数十年後確実に高齢化大国となる中国にとって、もっとも必要なエネルギーとはなんだろうか? もちろん電力だろう。
中国人は最近、自分の国は「世界一」だと事あるごとに自慢するけれども、地方に行けば行くほど高齢化に向けての病院の設備や鉄道駅のエレベーター整備など、現時点ではまったく進んでいない。都会に住む中国人はまだしも中国人全体ということで言えば、真夏にエアコンで涼を取っている人間はそれほど多くはないだろう。だから、今後そういう人たちのために多大な電力を必要とするのである。彼らだって人間だ。それを求める権利はある。
問題は、その膨大な電力をなにによって賄うかだ。中国にこれ以上水力発電用のダムを築かせ水をせき止めさせたら、南アジアが干上がってしまう。かと言って、化石燃料である石炭の燃焼による火力発電をさらに進めてもらっても困る。CO2が大量に地球にバラまかれることになるからだ。つまるところ、中国は原子力発電を盛んにするより他は無いということだ。日本なら地熱発電や風力発電などにシフトし、少しは原子力発電を減らすことは可能かもしれないが、中国の電力需要は桁が違う。産業の育成という点から見ても電力は不可欠である。
では、このまま放置しておけばどういうことになるか、わかるだろう。中国は原子力発電所を今後大量に建設するだろう、ということだ。だが、二〇一一年七月に中国の高速鉄道が大事故を起こしたときのことを思い出してほしい。当局は原因究明をするどころか、穴を掘って事故車両を埋めてしまったではないか。そういういい加減な国なのである。仮に原発の設計はキチンとなされていたとしても、施工の段階でその設計どおりに原発が造られるかも保証の限りでは無い。
人命に関することだから中国人も注意するだろう、というのは甘すぎる考えだ。二〇〇八年に四川省で大地震が起きたとき多くの子供が犠牲になったのは、施工業者が不当な利益を得るために屋根の工事などに手抜きをしたからで、中国とはそういう国なのだ。これが曲がりなりにも民主主義国家であったら、マスコミはそうした業者を強く批判し政権も交代する可能性があるから、最終的にそうした傾向は是正されていく。しかし、「絶対に民主化しない中国」ではそうした状況にはならない。
では、そうした多数の原発(これを仮に原発銀座と呼ぼうか)を中国はどこに造るだろうか? それについて参考になる図面があるのでご覧いただきたい(地図参照)。これは、中国北部の砂漠地帯で発生した黄砂がどのように中国本土を席巻し、日本に流れてくるかというルートを示したものだが、読者のみなさん、ここで中国の指導者になったつもりで「原発銀座」をどこに建設するか考えていただきたい。
まともな国の指導者が考えるのは、原発は万一の事故に備えて人里離れた地帯に建設する、ということだろう。ところが、その中国の「人里離れた地帯=砂漠」からは風が首都北京の方向に流れているのである。となれば、私だって中国の指導者ならば原発銀座は上海など東シナ海や南シナ海沿岸に建設するだろう。そうすれば、万一事故が起こっても放射能汚染は中国本土では無く日本や朝鮮半島に流れるだけで済む。
おわかりだろう。つまり、われわれ日本人はこの先数十年の間に上海沿岸などに建設された中国製の「粗悪な」原発が、いつ事故を起こすかもしれないという恐怖に怯えながら暮らさなければならないかもしれないのだ。そして万一、いやもっと高い確率が予想されるが、そういう事故が起こったらどうなるか? それこそ「昔は日本海で獲れた魚は食えた」とか「昔は北九州にも人が住んでいた」などということにすらなりかねない。日本人は言霊信仰の影響で「縁起でも無い話」は生理的に受けつけないという民族的弱点を持っているが、今回述べたことを冷静に論理的に考えれば、決してあり得ない事態では無いということがわかるはずだ。
さらに厄介なのは、これが中国の内政問題だということである。中国がいま進めている「世界の迷惑」とも言うべき軍事的進出については、たとえばクアッド(QUAD=日米豪印首脳会議)などの枠組みを利用して牽制することもできるし、「中国よ、侵略的行動はやめるべきだ」と抗議することもできる。しかし、中国が自国の領土内に原発をどこにどれぐらい建設するのかというのは純然たる中国の内政問題であって、他国が口出しする権利は無い。主権国家への内政干渉は許されない、というのが人類社会の常識である。「中国よ、あなたの国の科学技術は信頼性に欠ける。だから原発を建設するのはやめてくれ」などとは口が裂けても言えない、ということだ。
ここであらためて、原発反対を声高に叫んでいる政党や政治家の主張を思い出していただきたい。もうおわかりだろうが、彼らは「日本しか見ていない」のである。視野が狭いということだ。こういうことは昔もあった。たとえば、江戸幕府の開祖である徳川家康は戦争体験者である。家康の生涯というのは戦争の惨禍に苦しめられた一生でもあり、だからこそ家康は二度とその悲劇を繰り返すまいと一国一城令などの軍縮を実行し、武器の改良も禁止した。
「人殺しの道具である武器を効率的にする必要は無い」ということで、これだけ聞けばいまでもほとんどの日本人は賛成するだろう。しかし、残念ながら日本の歴史上の人物でもっとも優秀な「賢者」の一人である家康ですら、「日本しか見ていなかった」。日本がその方針を守り続けた「徳川三百年」の間、日本以外の国ではあたり前のように戦争が起こり、武器が急速に発達した。蒸気機関という強力なエンジンも発明された。日本は火縄銃のままである、だから危うく国を滅ぼされそうになった。林子平の忠告が受け入れられなかったのもそのためだ。
では、「東京から中国・上海まで境無しの空域」であるという危機的状況に対して、どのような対策があるだろうか? その答えも、じつは歴史のなかにある。 〈以下次号〉
(第1441回に続く)
【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『「言霊の国」解体新書』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。
※週刊ポスト2025年1月3・10日号