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《シブがき隊の紅白出場曲『スシ食いねェ!』誕生秘話》布川敏和がホテルの一室で「中トロ、コハダ、アジ…」の注文メモ見て作詞も「印税は大したことない」理由とは

NEWSポストセブン 2024年12月26日 7時15分

 今年で75回目を迎える大晦日恒例のNHK紅白歌合戦。1年を賑わせた歌手が喉を競うこの祭典は入念なリハーサルを行っているが、生放送ゆえハプニングもしばしば起こり、それがまた話題になり人々の記憶に残る。1985年の第36回紅白では、『スシ食いねェ!』を歌った3人組ジャニーズアイドル「シブがき隊」のふっくんこと布川敏和さん(59)が、ステージで派手に転倒。当時の知られざる裏話を布川さんに聞いた。

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紅白には「シブがき隊」はデビューした1982年から5年連続で出演したので、僕は年末恒例の大きな歌番組というぐらいの受け止めで、当時は出場できるありがたみがわかっていませんでした。1985年に出場が決まったときは、当時、遊び仲間だったチェッカーズ(当時)の(藤井)フミヤ君と、同い年だった吉川晃司と3人で、「どうせ出演するなら、歴史ある紅白で、今まで誰もやらなかったことをやろうよ」という話に。僕が「ステージから落っこちてみせるよ」と言ったら、フミヤ君と晃司は「本番を楽しみにしていて」とだけ。皆が何をするかはわかりませんでした。

 大晦日本番。白組のトップバッターが初出場の晃司でした。晃司は歌唱曲『にくまれそうなNEWフェイス』の前奏の際にシャンパンを口から吹いたうえ、エンディングでは“ギター燃やし”で知られる米国のギタリスト、ジミ・ヘンドリックスを真似て、オイルをまいてギターを燃やしちゃった。リハーサルでは予定していないことを突然始めたものだから、オーケストラの指揮者はビックリ。指揮がグダグダになっちゃって、時間は押すし、次に歌う紅組の河合奈保子ちゃんは歌い始めがわからなくて戸惑ってた。僕は脇で見ながら「こりゃ~大変だ! 怒られるぞ~!」と思っていました。

 河合奈保子ちゃんが歌い終わった後は、「シブがき隊」の出番。僕は歌いながら、「このへんで落ちるといいかなぁ」「どのタイミングがいいかな」なんて考えていました。ところが、晃司が撒いたオイルのせいで、足がちょっと滑る。「これはいいな。落っこちるより、オイルのせいでこけたことにしたほうがリアルに見えるぞ」と思ったんです。予定外のことを目論んでたら怒られるので、ハプニングに見せなくちゃいけませんからね。

 それがうまくいきました(笑)。歌っていた『スシ食いねェ!』の途中で転んでみせたら、わざととは知らないもっくん(本木雅弘)が驚いて、歌いながら「大丈夫?」ってつい言っちゃって。もっくんは人がいいからね。やっくん(薬丸裕英)? 「ざまーみろ」と思っていたんじゃないですか(笑)。僕は味を占めて「1回目をカメラがちゃんと撮れていなかったかもしれない」と思って、2回目は派手にすっ転んでみせたんですよ。

『スシ食いねェ!』誕生秘話

 やっくんとはもちろん仲が悪いわけじゃないですよ。やっくんは『スシ食いねェ!』を歌うのが、あまり乗り気じゃなかっただけ。僕がふざけて作った曲だから、紅白で歌うなんて大御所の先輩歌手たちに怒られるんじゃないか、と僕も心配ではあったんです。リハーサルのときは、3人で「やばいよ」とビクビクしていました。でも、演歌歌手の方々にも「おもしろい歌だね!」と笑ってもらえたので、ホッとしました。

 実は、『スシ食いねェ!』は紅白出場時、まだレコードが出ていませんでした(翌1986年2月発売)。この曲は、MCが得意だったやっくんがケガでコンサートのステージに立てず、でも僕ともっくんでは間が持たず、しゃべる代わりにラップでもやろうと、急きょ宿泊していた名古屋国際ホテルで作った曲なんです。

 この1985年は3月に名古屋でコンサートツアーをスタートしたのですが、やっくんはその初日の前日、フジテレビのバラエティ番組のロケで腕を骨折するという重傷を負いました。僕ともっくんはてっきりツアーは中止になるのだろうと思っていたら、「2人でやれ」と事務所から命令が。

 確かに、歌はやっくんのパートを僕かもっくんのどちらかが歌ったり、2人で一緒に歌ったりすればいい。ですが、やっくんの代わりになるようなMCは難しい。初日、何とか2人で盛り上げようとがんばったのですが、うまくいきませんでした。

 それで、初日の夜、僕とバックバンドのベーシストのKUZUくん(葛口雅行)と2人で、僕の宿泊する部屋でどうしようか、と相談し「ラップでもやろう」ということになりました。ちょうど、米国のヒップホップグループ「Run-D.M.C.」の曲が日本にも入ってきていたときで、ラップならメロディーを気にしなくていいですから。

 僕らは外食が禁止だったから、その日は寿司をルームサービスでとって食べていました。単品で「中トロ、コハダ、アジ……」とメモをとりながら。僕が好きなネタがトロで、KUZUくんが光り物が好きだったから、それがそのまま歌詞になったわけです(笑)。「韻を踏まなきゃいけないね。ショウガのガリと、上がりのアガリ、でどう?」「途中でラッシャイって入れてみようか」なんて言ったりして。夜中の2時頃です。

 そんな軽い気持ちで作ったラップをコンサートで歌ってみたらファンに好評で、「ちゃんと1曲にまとめなさい」とレコード会社に言われました。でも、当時は僕もKAZUくんも遊ぶのに忙しく(笑)、結局、作家先生にまとめてもらいました。だから、クレジットは「作詞 岡田冨美子・S.I.S/作曲 後藤次利」。「S.I.S」は「シブがき隊・板前・スペシャル」の意味で、印税はみんなで分けています。だから、ヒットしたといっても僕に入った印税は大したことはなくて(笑)。KUZUくんと「自分らでやっておけばよかった! 失敗したね」と笑っています。でも、儲けようと思っていなかったからこそ、おもしろいものができたんじゃないかな。

 1曲にまとめてもらった後、レコード会社がNHKの『みんなの歌』に売り込んだら採用され、子どもたちにも大ウケ。それで、紅白も『スシ食いねェ!』で、ということになりました。僕は『みんなの歌』なんて番組があることさえ知らなかった(笑)。もっといえば、歌ができた当時、「シブがき隊」の3人はまだ18、19歳。3人ともカウンターのある寿司屋で食べたことはなかったし、当時は回転寿司店もそれほど普及していなかったから、回転寿司も食べたことがなかったんです。

 なのに、『スシ食いねェ!』が今も多くの人の記憶に残り「シブがき隊」の代表曲になるのだから、不思議なものですよね。

取材・文/中野裕子(ジャーナリスト) 撮影/山口比佐夫

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