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《能登地震から1年「1人で迎える元日」》震災で妻子を失った警察官「珠洲には辛くて帰れなかった、でも…」苦しみ、そして前を向き始めたきっかけ

NEWSポストセブン 2024年12月26日 11時15分

 2024年の元日、能登半島を襲った大震災。住宅の倒壊などで亡くなった直接死の犠牲者は228人、災害関連死者を含めると死者は489人に上り(12月13日時点)、現地では今も復興作業が続いている。

 1月1日、珠洲市仁江町にある妻の実家で、1年の始まりを迎えていた石川県警の警察官・大間圭介さん(43)。妻・はる香さん(享年38)の両親を含む親族12人での団欒は、午後4時過ぎの地震で一変した。裏山の土砂崩れが家を襲い、9人が死亡。はる香さんと長女の優香ちゃん(享年11)、長男の泰介くん(享年9)、次男の湊介くん(享年3)も命を失った。

 震災直後、倒壊した家の前で「自分も土砂崩れに巻き込まれていたら、こんな辛い思いをせずにすんだのかなと思う」と、NEWSポストセブンの取材に涙ながらに語っていた大間さんは、震災発生から1年が経としている今、何を思うのか。彼は妻や子供たちと共に暮らしていた金沢市内の自宅で、「1人の生活」を続けていた——。

「1月の葬儀のあとは、しばらく家族の思い出を振り返ったり、子供のことを考えて1日中過ごすような日々が続きました。1人でいることの苦しみや悲しみは変わらないんですけど、2月の下旬くらいに仕事に戻って、1人で生きる生活が始まってからは、ここまで意外と早かったなあという印象です」(大間さん、以下同)

 家族写真の前でその日あったことを話す日課は、欠かさず続けているという大間さん。「1人の生活」に戻る過程で始めたのは、Instagramへの投稿だ。家族の写真をアップし、その日あったことや家族への思いを綴っている。

「葬儀の日、妻や子供を思って集まってくれた人たちと会って、家族が大切にしていた人たちとのつながりを失いたくないなと思ったんです。妻の携帯電話は土砂に埋まってしまったので、連絡先もわからない。

 そんな時、友人が『Instagramをやれば、気付いた人が連絡をくれるよ』と教えてくれたんです。やったことはありませんでしたが、長女の幼稚園の時の友人の母親や、妻の昔の同級生など、いろんなつながりを持った人からDMをもらって、今まで知らなかった話を聞けています」

珠洲は「家族を失った場所になってしまった」

 一方で、直視できない現実もある。大間さん、そしてはる香さんの実家がある珠洲市には、「実は、ほとんど帰れていないんです」という。

「ものを取りに、3月に一度実家に行っただけなんです。震災後、復興もなかなかうまく進まず、9月には豪雨があって、また中学生の女の子の尊い命が失われてしまった。僕が小さい頃に過ごした、思い出の中の素敵な街からは姿を変えてしまったと、話に聞いてはいたんですけど。豪雨でものが流されていく映像は、見ることができなかったです。

 妻と子供が愛した珠洲、能登なんですけど。復興してほしいというのは思うんですけど、でもやっぱり、自分の中では、家族を失った場所になってしまった、という気持ちも正直あって。好きだった思い出と、辛い思い出が共存する場所になってしまったんです」

 1月1日の震災後、大間さんは土砂の下敷きになった家族の救出活動を何日も続けた。家族や親族の遺体が見つかるまでの5日ほどの日々を、「本当に、地獄だったんですよね」と振り返る。

「あの時間を、思い出してしまうんじゃないかと思って、なかなか帰れなかったんです。家族を全て失ってしまうかもしれないという気持ちのなかで過ごした時間はすごく長く感じたし、今も思い出してしまうことがある」

 あれから1年。それでも次の元日は、「珠洲に帰ろうかと思っているんです」という。

「輪島市にある学校で、震災と豪雨の犠牲者の追悼をするイベントを、県が元日に企画していまして、それに参加しようと思っています。その日、天候次第ではあるんですけど、仁江町のほうにも行こうと思っています。

 やっぱり、いつまでも向き合わないわけにいかないというか、今後生きていく上で向き合わなければいけないのかなと思います。妻のお母さんが、まだ体の一部しか見つかっていないんです。まだ、あの場所にいるので。お母さんに会いに行くというのと、おじいちゃんおばあちゃん、妻や子供も含めて、亡くなった人たちの魂も、まだあの場所にいるのかなと思って。1年の節目で、そういうことを感じようと思っています」

悲しみに向き合うことは「重荷」ではない

「前を向かないと生きていけない」と話す大間さんがチャレンジしたのは、10月27日に行なわれた金沢マラソンだった。当日はランニングウェアに家族4人の写真を貼って、42.195キロを完走した。大間さん一家は、家族で度々マラソンの練習をしていたという。

「3月の下旬くらいに1人で練習を始めた頃は、泣きながら走ってたんですけど。徐々に、子供たちが一緒に走ってくれるような、体を押してくれるような時間に変わっていった。震災直後は、夜はお酒を飲まないとなかなか寝付けなかったんですけど、練習を始めたくらいから徐々に寝つけるようになりました。

 マラソンが終わって、今は具体的な目標はないですけど、今後も1日1日を無駄にせずに生きていきたい。やっぱり私は、生かされた命なので。子供たちや妻が生きたくても生きられなかった時間を、自分が大切に、一生懸命生きなきゃいけないと思うんです」

 悲しみに正面から向き合い続ける大間さん。失ってしまった家族のために生き続けることは、時に「重荷」になるのではないか——そう問うと、大間さんは「ああ、それはないですね」と即答した。

「自分1人だったら、自分がしたいことをして終わりだと思うんです。そうじゃなくて、子供たちがきっとこんなことしたかっただろうな、とか、妻が好きだったなと考えると、自分が特にしたいと思ってないことでも“しよう”と思うんです。

 そういうことをすることで、自分だけでは感じられなかった世界や、気づけなかったことに気づける。それが、本当に僕の人生を彩ってくれているんです。だから、重荷に感じたことはないですね」

 最後にひとつ、聞きたいことがあった。1人の時間と向き合い続けた大間さんは、今後も1人で生き続けるのか。

「僕の人生が輝いたのは、妻と子供たちのおかげだった。子供は本当に宝物で、僕の人生は、子供に捧げてきたようなものだったんです。たくさん考えたんですが、頑なに、1人で生きていかなきゃいけない、というわけじゃないと思うようにもなりました」

 愛した家族と共に、大間さんの人生はまた新たな年を迎える。

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