年末恒例のNHK紅白歌合戦では、その年にヒットした歌や長年親しまれている名曲が披露される。個性的なアーティストたちはオリジナリティあふれる歌を唄い、輝かしいステージで様々な伝説を残してきた。2010年「第61回NHK紅白歌合戦」に出場した植村花菜さん(41)も、亡き祖母と孫の心温まる思い出『トイレの神様』を唄い、多くの人の記憶に残っている。歌唱時間が異例の9分52秒という“長編”であることも話題になった。植村さんに紅白の思い出を聞いた。【全3回の第1回】
紅白だけを特別にするわけにはいかなかった
「紅白で歌わせていただくことは憧れでしたし、親孝行のひとつにもなりましたので、とても嬉しかったです。しかも、あの長い曲の歌詞をいっさいカットなしで歌えて、本当にありがたかったです」
『トイレの神様』は、曲の最初から最後までがフルサイズで9分52秒ある。紅白は大勢の歌手が出場するため、1組当たりの持ち時間は約3分といわれている。しかし、祖母と孫の絆を歌った歌詞を大切に唄う植村さんは、「何とかフルで観客や視聴者に聞いてもらいたい」と望んだ。本番では、歌詞ののる部分はフルで生かし、イントロや間奏を工夫することで7分50秒に縮小したバージョンに仕上げた。
「『トイレの神様』は、その年の3月にリリースしたミニアルバム『わたしのかけらたち』(キングレコード)のなかの1曲(同年11月、シングルカット)でした。ラジオで流れたのをきっかけに、じわじわと各方面で取り上げていただき、最終的にとても多くの方に聴いていただくことができました。
さまざまな番組に呼んでいただきましたが、どんなときも『フルコーラスで歌わせていただきたいです』とお願いし、それが無理なために出演できなかった番組もありました。1年を通してそのスタンスでやってきたので、紅白だけは“一部の歌唱でOK”とするわけにはいかなかったのです」
これまでNHKの意向に沿って歌をカットしてきた他の歌手からは、「誰の歌もカットするところはない」という声が出たという。
「そういうお声があったことはうかがっています。人それぞれご意見をお持ちだと思いますし、おっしゃることは重々承知していました。ただ、私は1年を通して出演させていただいた番組はすべてフルコーラスで歌わせていただいていました。
最後にそれを崩してしまったら、それまでフルコーラスで歌わせてくださった番組に失礼だと思い、たとえ紅白であっても歌詞をすべて歌えないのなら出場できなくても仕方がない、と覚悟を決めていました。『トイレの神様』は歌詞をすべて歌って初めて伝わる歌なので」
紅白の楽屋などで、風当たりが強くならなかったのだろうか。
「楽屋は個室だったので、他の出演者さんと一緒ではありませんでした。本番当日の朝はいつも通りしっかり自宅のトイレ掃除をして出かけ、緊張せず歌いきることができました」
その後の植村さんの年末は、紅白を見ながらの年越しなのだろうか。
「年末はたいていお仕事が入っていて、ほとんど見られなかったですね……。我が家は子どもが小さいうちはテレビをあまり見せない教育方針なので、家でのんびりテレビを見るという習慣があまりないんです」
アメリカで「トイレの神様」を理解してもらう難しさ
現在は米ニューヨークを拠点に、米国と日本で音楽活動を継続している植村さん。取材の際は一時帰国中で、実家のある兵庫を拠点に日本各地へ出かけクリスマスイベントやテレビ番組などで歌い、ラジオ番組にも出演。もちろん、名曲『トイレの神様』は各所で歌い続けている。
「『トイレの神様』は私と亡き祖母との実話をもとに作った歌です。いつも祖母のことを思い出しながら歌っているので、何度歌っても飽きることはありません」
米国ではインディアナ、ニュージャージーなど、全米各地で開催されるイベントから声がかかったり、ニューヨークのライブハウスでソロライブを行ってきた。
「日本での活動のほうがまだまだ多いですが、2024年の11月には『スター・トレック』などに出演してこられた日系アメリカ人の俳優ジョージ・タケイさんを讃えるイベントにお声をかけていただき、フィラデルフィアで開催された米国人向けのイベントに出演させていただきました。3年前にリリースしたミニアルバム『それでいい』に収録していた『Space』という曲を気に入っていただけたようで、私のウェブサイトにご連絡をくださいました」
『Space』は曲のサビは英語で、それらが米国人にも馴染みやすかったようだ。『トイレの神様』はすべて日本語だが、ぜひ米国人にも親しんでもらいたい。
「文化の違いがあるので、難しいところですよね。一神教を信仰されている方々には“トイレに神様がいる”というのは理解しづらいでしょうし、アメリカでは学校のトイレ掃除は生徒ではなく業者さんがやるので、使う人が自分でトイレをしっかり掃除をするという文化は日本のようにはないと思います。
ただ、祖母との思い出や家族との絆は万国共通のはずなので、その部分は共感していただけるんじゃないかと思っています。サッカーW杯で客席を掃除した日本人サポーターが話題になったように、『トイレの神様』はキレイ好きな日本人ならではの曲ですから、日本の文化のひとつとして理解して聞いてもらえたら嬉しいですね」
(第2回に続く)
取材・文/中野裕子(ジャーナリスト) 撮影/小林忠春