2016年に家族で米ニューヨークに移住したシンガーソングライター・植村花菜さん(41)。2015年に第1子、2023年11月には第2子を出産し、子育てをしながら日米での音楽活動に奮闘している。現在はフリーランスで活動しているため、子守役の母親を伴い、1歳の長女をあやしながらの取材となった。仕事と子育て、異国での生活と、奮闘を続ける植村さんに、ニューヨークでの暮らしぶりやニューヨークを拠点にする理由を聞いた。【全3回の第3回。第1回から読む】
自炊生活するも「えのき1袋が約800円」
「ニューヨークでの生活にはようやく慣れてきた、というところです。移住して8年、2019年末からはパンデミックの影響で約2年間日本で暮らしていたので、実質この12月で丸6年になります」
2019年12月、日本でのツアーとビザの更新のために家族3人で一時帰国したところ、新型コロナウイルス感染症が拡大。米国政府が移民ビザの発給を一時的に停止したため、日本で足止めされたのだという。
「ニューヨークに戻れたのは2022年1月末。それから長男の小学校入学、夫の『アレクサンダー・テクニーク』の教師育成コースの学校卒業と続き、ようやく私が自分の時間を持てるようになりました。ブロードウェイミュージカルをたくさん見ること、英語の学校に通うこと、ギターをきちんと学ぶことなど……やっとニューヨークでやりたかったことがひと通りできました」
そして、2023年に第2子を妊娠・出産。
「もっと早く第2子を授かれたなら、子どもは全員で3人ほしかったくらい大好きです」
子どもを子ども扱いせず、対等な“1人の人”として接するのが植村さん夫婦の子育て。長男はしっかりと自分の意思をもつ子に育っているという。
「私が子どもから学ぶことも多く、いつも成長させてもらっています。長男は6歳の時に突然自らヴァイオリンを習うと言い出し、もう3年以上続けています。熱心に毎日練習しているので『将来はヴァイオリニストになりたいの?』と聞くと、『ヴァイオリンは趣味でいい。将来は作家になりたい』と言っています。
レッスン料が日本の3倍くらいと高額なので、『趣味のためにこんなに高額なレッスン料を払うのか……』と少々複雑な思いではありますが(笑)、夢中になれることがあるのはとても良いことなので、やりたいことをやらせてあげられるうちは良いのかなと思っています」
ニューヨーク暮らしは物価高に円安のダブルパンチで、お財布には厳しそうだ。
「外食は極力せずに自炊を心がけ、息子の送り迎えも電車ではなく自転車で行うなど、節約を心がけています。とくに日本のものが買える日系スーパーは高いですね! たとえば、えのきが1パック約600円、高いときには約800円もしました」
うわぁ……目玉が飛び出そうな値段だ。
それでもニューヨークに住む理由
日本とニューヨークのフライトは片道13〜14時間もかかる。頻繁に行き来するのは移動だけでも大変だろう。
「私1人なら全然平気です。でも、子どもが一緒だとやっぱり大変なことはありますね。息子はもう小学4年生なので私と離れるのは平気ですし慣れっこですが、娘はまだ1歳で授乳中なので離れるわけにはいかず、アメリカでも日本でもずっと一緒に仕事現場へ行っています」
それでも、ニューヨーク暮らしへのこだわりは強い。きっかけは、紅白出場の翌2011年、NHKのドキュメンタリー番組のロケで、カントリーミュージックの聖地であるテネシー州ナッシュビルを訪問したことだった。英語は不慣れでも音楽で交流ができることや、さまざまな人種が入り交じり、個々人がはっきりと自分の意見を主張する米国の文化に強烈な魅力を感じたのだ。
「ロケの後すぐにまた行きたくなって、翌年に単身で2カ月間米国を旅して回りました。グランド・キャニオン、ラスベガス、サンフランシスコ、ニューオーリンズなど、西から南、東へといろんな場所へ行き、ストリートやライブハウスで歌いました。
私が歌手になろうと思ったきっかけは映画『サウンド・オブ・ミュージック』。子どもながらに、歌や音楽を通じて人と人が繋がっていく、人を笑顔にすることができるなんて素敵だなと思ったのですが、米国旅ではまさにそういう体験ができました。そして、最後にいろんな人種の方がいて刺激的なニューヨークにたどり着いたとき、『私がこれから住む場所はここなんだ!』と直感しました」
ニューヨークでは現在の夫との出会いもあった。一度「これだ!」と思うと猪突猛進するタイプの植村さんは、すぐに移住を決意。2015年にデビュー10周年を迎え、翌2016年に全国ツアーやアルバムリリースなどを終えると、満を持して家族で移住した。その後、2018年にレコード会社、事務所から独立してフリーランスとなった。
ニューヨークには頼りになる母親はいないが、やりたいことをたくさん実現できた。新たな楽しみもできた。それは意外にも、サッカーだという。
「もともとサッカー少年だった夫が、2022年のFIFAワールドカップのスペイン戦の“三苫の1ミリ”を観てサッカー熱が再燃したのがきっかけです。週末は家族で三苫薫選手の所属するプレミアリーグのブライトンの試合をテレビで楽しむようになりました。観戦する時はみんなでブライトンのユニフォームを着て応援しています。毎週末の楽しみで、家族の幸せな時間ですね。
息子のお友だち家族数組と一緒に、近くの公園でサッカーをして汗を流すのも毎週日曜日の楽しみです。日米の国際結婚の家族が1組いる以外は、日本人は私たちだけ。コロンビアやブラジルから来た人たちとおしゃべりをして、日本では考えられないような彼らの祖国の話を聞くことも、とても刺激的です」
外国にいると、日本の良さも悪さもよく見えてくるだろう。
「日本はとにかく清潔で便利。それにくらべてニューヨークは街があまり綺麗ではありません。とくに公共のトイレは本当に汚くて、トイレ掃除が好きな私にはちょっと抵抗があって最初は入れないくらいでした。
日本にくらべて米国の良いところは、周りに気を遣わなくてもいいところ。赤ちゃんが泣いても、地下鉄で歌う人や踊る人がいても、ニューヨーカーは気にしません。人に気を遣いすぎず自分らしくいられる、その自由さも魅力のひとつかなと思います。他にもたくさんニューヨークの魅力はあるので、まだしばらくはここで暮らして、いろんなことを勉強しながらミュージシャンとして、人として、母として、成長したいと思います」
40歳を過ぎて、さらに“べっぴんさん”の母親になっていた植村さんだった。
(了。第1回から読む)
取材・文/中野裕子(ジャーナリスト) 撮影/小林忠春