フィギュアスケートは日本で人気スポーツになったものの、「観る」スポーツの代表格だ。だが、年齢問わず「する」スポーツでもあることを体現している人もいる。47歳でフィギュアスケートを始め、今年、57歳で壮年者のオリンピックといわれる「冬季・世界マスターズ大会」に出場した風薫る(かぜ・かおる)さん。自身の体験をまとめた電子書籍を刊行するなど、大人スケートの楽しさを発信している風薫るさんに、話を伺った。中年から新しい人生の扉をひらく秘訣とは。屋外などの特設アイスリンクが賑わうこの季節、観るだけではなく、氷上で滑る喜びを味わってみてはいかがでしょうか。
大人がスケートを始めるには、越えなければならないハードルがある
──2013年、47歳のときにスケート教室に通い始めたのがきかっけで、フィギュアスケートにはまっていったんですね。それまでは初心者だったのでしょうか?
私は今、アメリカのワイオミング州に暮らしています。アジア人がほとんどいない、人口5万人の小さな町です。そんなアメリカの片田舎で、私の人生、このまま終わるのかなあ……と悶々としていたころ、アイススケートに出会いました。スケートは、昔、北海道に住んでいた小学生時代に、一年に一回、学校の「スケート学習」で滑ったことがあったくらいです。その後は観るだけで、私は伊藤みどりちゃんの世代ですから、素晴らしいなあと思って観てきましたが、まさか自分がやるとは思っていませんでした。
当時、息子がアイスホッケーを習っていたので、私も毎週リンクにはいたんですね。そこで大人がこわごわと、でも楽しそうに滑っている姿を見て、「大人もスケートやっていいんだ!」「私もやりたい!」と、突然、思ってしまったんです。
──日本でフィギュアスケートは人気ですが、大人から始める人はとても少ないです。ほかのスポーツや習い事に比べて、ハードルが高いからだと思います。
初心者の私が47歳でスケートを始めるにあたって、頭にあったハードルは主に、
【1】子供のころからやっていないとダメなスポーツ(だというイメージ)
【2】スタイルがいい人がやるスポーツ(だというイメージ)
【3】お金がかかる
でした。人によってはここに「リンク環境」が入ってくると思いますが、幸いなことに私の場合は、車で10分のところにリンクがあるんです。それから3の「お金」についても、私の住む町のリンク代は、日本に比べると安いと思います。試合に出ると交通費やエントリー代などがかさみますが、滑るだけならそれほどかかりません。
ただ、お金以上に厄介なのが1と2でした。でもこれらは、単なる自分の思い込み(ブレインロック)にすぎないんですね。「趣味にお金をかけるよりも、老後資金を貯めるほうが先じゃない?」「大人が『楽しそうだからやってみる』なんて子供じゃあるまいし」などと思ってしまう自分のブレインロックに気づいては外していく、そんな日々でした。特に最初の数年間は。
「スケートをしていることを周りに言えない」という悩み
──試合やショーに出るようになっても「こんな年齢だから」「まだ下手だから」という思い込みから、「趣味はスケート」と人に言えない時期が続いたんですね。
はい。スケートを始めてから4年たってようやく、「もうええんちゃう?」と思うようになったんです。私はスケートが好きなんだから、順位がどうであろうと、人からどう思われようと、気にすることはないんじゃないかと。それで、SNSでカミングアウトしました。そうしたら、突如として世界が広がったんです。私は公立高校で日本語教師をしているのですが、同僚が応援してくれたり、生徒が「先生すごいね」と言ってくれたり。SNSを通じて、世界中に大人スケート仲間もできました。自分の首をしめていたのは、ほかの誰でもなく自分自身だったことに、気づかされたのです。
でも、「自分に正直に、やりたいことはやっちゃえ」は、なかなかハードルが高い! 年齢が上がれば上がるほど、そうですよね。周りに言えなかったことを本に書いたら、スケーターでない方にも「『あぁ、私と同じだ』と、泣いてしまいました」という感想をいただいたこともあります。
でもやっぱり、好きでやっていることを隠すのって、自分に負荷をかけていると思うんです。昔の私と同じように悩んでいる人もいると知ったので、自分の経験をSNSで発信したり、本を書いたりしています。スピンもジャンプもまだまだなのに、アラカンで世界大会に出ている私を見て、みなさんにも「弾けて」もらえたらと(笑)。
70歳で試合に出る人も。大人スケーターはどこまで上達するか?
──アメリカ国内はもとより、今年はイタリアで開催されたマスターズ大会に出場するなど、積極的に競技大会に出場されています。どのくらい練習されていますか?
時期によって練習量は違います。マスターズ大会の前は仕事に行く前、朝6時から7時まで、週5回、「朝練」をしていました。週に一度は30分、コーチのレッスンを受けています。私は空気が透き通った早朝、脳みそが空っぽの状態で、自分と対話する時間がとても好きなんですね。仕事が忙しくなる学年末や、ほかのことで忙しい時期は、数週間滑らないこともあります。そこは大人ですから、スケートに入れ込んでも、自分を追い込まないようにしています。「人と比べない」のも大切だなと感じています。なかなか難しいですが。
──初心者の大人から初めて、どのくらい上達するものですか?
練習量、始める年齢、その人の身体能力によってまったく変わってくると思います。リンクメイトの一人は初心者とはいえ22歳から始めたのもあって、あっという間にスピンもジャンプも習得しています。州外のスケート友達は50代後半から始め、70歳の今でも試合に出ています。この夏、カリフォルニアで会った方はなんと70歳で始められ、「スケートが楽しい!」という気持ちが体中から溢れ、輝いていました。
周りの大人スケーターと自分を比べて落ち込んだこともありましたが、いい意味で人と比べて、自分の強みはどこだろうと考えられるのが、スケートの良さだと思います。私はスピンが苦手で、いまだにバックスピンはできませんが、イナバウアーは多少できるんです。イーグルも好きです。子供の頃、男の子に揶揄された「がに股」が、スケートでは強みになっているようです。ジャンプもよく失敗しますが、「カオルはとりあえず顔芸がうまい」とコーチに褒められることもあります(笑)。人によって得手不得手があり、苦手なものは練習するけれど、自分の強みを活かすことも大切。そうした人生に応用できそうなことも、スケートを通して考えるようになってきました。
──フィギュアスケートは「表現」する楽しみもありますよね。音楽、衣装、振り付け……大人が楽しむ要素が満載のスポーツだと思います。
好きな曲で滑るときは爽快感、幸福感を感じます。大人スケーターが選ぶ音楽は多岐にわたっていて、他の方が試合で滑っていた曲の別バージョンを選ぶこともありました。そして音楽を聴くときも、氷上での振り付けが頭に浮かぶようになりました。
衣装は、今はリンクメイトに制作してもらっています。曲のテーマに合わせて衣装の色やデザインを話し合っているときも楽しいです。衣装を自作する大人スケーターも多いですね。髪型や化粧に力を入れる方もいらっしゃいますし、振り付けを自分でされるクリエイティブな方も。
私は、元オリンピック選手で、今は米国在住の村主章枝さんに振り付けていただいたこともあります。「テレビでお見かけする方に振り付けていただくことが人生にあるなんて!」と、大人スケートの世界に驚きました。
「絶対できる!」元全米チャンピオンの指導を受ける
──今、村主章枝さんのお名前が出ましたが、薫るさんは、元全米チャンピオンのアダム・リッポン選手の指導を受けたこともあると伺いました。一流スケーターとの交流は刺激になりますね。
リッポン選手が私の住む田舎町に来たときに、私のレベルで大丈夫だろうかと不安ながらもこんな機会は二度とないと思って、リッポン選手の講習に申し込みました。もちろんすっ転んだわけですが、その時に「人生後半でスケート始めるとやっぱりだめだなぁ」と言い訳めいたことを言った私に、「絶対にできる。そんなことを言ってはダメだ」と真剣に言ってくれた彼。
また、現役スケーターで、親日家のジェイソン・ブラウン選手のホームリンクをたまたま訪ねた縁で、国内26州から50人以上の参加者が集まる大人スケーターの合宿を知り、思い切って参加しました。合宿中のリンクで、ジェイソンさんと日本語で会話したときは「人生、こんなこともあるんだ」と不思議な気持ちでした。ほんの少し勇気をもって今いる場所から飛び出すと、世界がどんどん広がっていく。大人スケーターの世界って考えていたよりも奥が深いです。見事に沼にはまってしまいました(笑)。
──高齢になっても続けていたり、試合には出ないでショーだけ出るなど、フィギュアスケートの楽しみ方も人それぞれですね。
大人スケートの世界は、何歳であっても、体重が何キロでも、全く関係ないということを実感しています。学生時代は体育が苦手だった、という方も多いです。試合に出ない、テストを受けたりしない方がいる一方で、「海外に行く理由ができるから」と国際試合に行くスケート友達もいます。個人スポーツなので、一人一人のスタンスが違ってもいい、ブランクがあってもいい、そんな緩やかな面があるので続けやすいのだと思います。
それからフィギュアスケートをやっていると言うと、「柔軟なんですね」とか、「筋トレやっているんですか?」などと聞かれますが、筋トレは苦手なのでやっていないし、柔軟も数週間やっていないとすぐに元に戻ります。食事制限も一切するつもりはありません(笑)。大人アスリートのイメージを壊しているとは思いますが、このスタンスが今の私にはちょうどいいと思っています。
──新しい趣味やスポーツに出会いたい、仲間を作りたいと考えている中年は多いと思います。新しい人生の扉をひらく秘訣とは?
当時は中年クライシスだったので、スケートに出会ってなかったら、精神的にやられていたかもと思います。だから、スケート費用は私にとって、薬代や、病院代、カウンセリング代のようなものと捉えています。同時に、スケート以外に興味が移ったら、それはそれでOKと思っています。
どんな世界であっても、あまり考えすぎず、自分の「やってみたい」という気持ちを大切にして、軽くトライしてみる。違うな、と思ったら別のことをしてもいいですし、好きなら続けてみる。すると、そこに自分が想像していなかった新しい世界が広がっているかもしれません。「とりあえず、面白そうだからやってみる」。そんな気持ちで、軽く最初の半歩を踏み出してみませんか。
◆カゼ・カオル
米国ワイオミング州在住。大昔の20代、「世界バックパック旅行か、1年間の留学か」で後者を選んだものの、1年では終わらずに、海がない田舎州に30年近く住む。家族は、定年を延ばしつつある夫と、絶賛思春期中の息子と、犬1匹。町の公立高校で、25年ほど日本語を教えている。趣味は、2013年に始めたフィギュアスケート。夢は世界一周バックパック旅行、世界のスケートリンク100訪問(現在は日米伊で56)と世界の試合100参加。
著書に大人スケートシリーズ3部作『47歳スケートやってみた』『51歳まだまだ滑ってます 大人スケート沼へようこそ』『57歳イタリア遠征行ってみた』
◆写真は風薫るさん提供
◆取材・文/砂田明子