今年85歳となった俳優の若林豪さん。30代は刑事ドラマ『Gメン』シリーズ(TBS系)、50代からは『赤い霊柩車』シリーズ(フジテレビ系)と、深く渋い演技で多くの人の記憶に残る活躍を見せた。刑事ドラマや時代劇に出演している印象が強く、これまで並み居る名優らと共演してきた。そんな若林さんに自身の俳優人生を振り返りつつ、思い出に残る共演者や現在の胸中を聞いた。
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『Gメン』『十津川警部シリーズ』『赤い霊柩車』……最近は刑事ドラマが多かったですね。刑事役は楽でいいんですよ。ムスーッとした表情で真っ直ぐただ立っていれば誰だって刑事のようになるんですから(笑)。まあ、それは冗談として、原作は必ず読み、台本をなるべく何回も読むことで理解が深まり、役に膨らみが出ますよね。
でも、1970~1980年代は忙しくて、セリフを覚える時間はなかったです。当時はスケジュールがグチャグチャでした。そんなとき、大先輩の俳優・大川橋蔵さんが「翌朝の最初の一番のセリフだけ覚えておけばいい。全部覚えようとしたら身体を壊すから」と言ってくれましてね。その通りにして何とか乗り切りました。覚えてこない代わりに、撮影の待ち時間におしゃべりなんかしないで、一生懸命に覚えていましたけど。
面白かったといえば、『Gメン』の海外ロケ。香港に1~2カ月滞在したことがあり、知り尽くしていた東京の下町より詳しくなりました。あと、スラム街・九龍城でも撮影したんですよ。汚くて、怖いところでね。スタッフに「怪しい建物の中に引きずり込まれないよう、気をつけてください」なんて言われながら、手前のほうの道をサーッと歩いて撮ったりしました。路上にはへたり込んでいる人も見かけましたね。それから、亡骸が普通に転がっていて、朝になるとトラックがゴミのように集めていくんでギョッとしましたよ。
パリに行ったこともありました。撮影の合間に、主演の丹波哲郎さんがルーブル美術館に誘ってくれました。「おい、豪。ルーブルに行くぞ」って。ところが、私が館内をゆっくり観て回っていると、丹波さんはひとりでどんどん先に行っちゃうんです。そして、私はまだ下の階で観ているのに、丹波さんは上の階からトントン……と降りてきて、「ここは絵ばっかりで何もねえや。もう帰ろう」って出て行っちゃいました(笑)。
丹波さんは格好良くて、セリフを喋らせたらピカイチ。でも、セリフは全然覚えてこない。覚えてこないどころか、現場に来てから、東映から届いていた台本が入った封筒を受け取って、封筒をビリビリ破り、初めて台本を開くんですから(笑)。だから、台本はキレイなまま。それでも、一言喋らせたら独特の魅力がある。声が大きくて、面白くて。こんな人がいるのか、天才だ、と思いました。
丹波さんの奥さんも素敵な人でしたよ。私が若い頃、丹波さんのご自宅の近くを夜遅くたまたま通ったので、ちょっと挨拶を、とドアを叩いたんです。そうしたら丹波さんはいなくて、奥さんだけがいらした。当時、奥さんは身体が悪かったみたいなんですけど、「あなた、ご飯食べていないんでしょ」と言ってアッという間に料理を作って食べさせてくれました。焼き鮭とか簡単なものですが、とてもおいしかったです。
「言えないことばかりやっていました」
丹波さんが亡くなって20年近くになりますね。今年亡くなった共演者もたくさんいます。3月に81歳で天国へと旅立った寺田農さんは素敵な方でした。時代劇『付き馬屋おえん事件帳』(テレビ東京系)で山城新伍さんらと一緒に共演したんですけど、この時代劇の主役が、やはりこのあいだ亡くなった山本陽子ちゃん。このドラマの放送後、さらにこれを舞台にするというので、「ちょっと、やってくんない?」と電話をくれて。数か月間、一緒に旅をして回りました。男っぽい人でしたね。
唐十郎さんとご一緒したことはありませんが、その昔、新宿に唐さんの紅テントを観に行ったことはあります。その後も家が近所だったから、顔を合わせると挨拶をしていました。息子の大鶴義丹とは、『山村美紗サスペンス 京都女優シリーズ』(フジテレビ系)などで何度か共演したので、仲良くしていたんですよ。
親しかったといえば、渡哲也クンとはよくゴルフに行きました。一度、渡クン、綿引勝彦、前田吟と一緒に、前田吟の軽井沢の別荘に泊まって、一緒に遊んだこともありました。何をやって遊んだ? 具体的には言えません。言えないことばかりやっていました(笑)。楽しかった。でも、みんな亡くなっちゃって。あ、前田吟はまだ生きているか(笑)。
この前、メディアのインタビューを受けたら、1970年代に時代劇『破れ新九郎』(テレビ朝日系)で共演したせんだみつおから連絡がありました。萬屋錦之介さん、田中邦衛クンらと一緒に出演していたんですけど、あいつは撮影中、ふざけてばっかしで。素っ裸の上に着物をひっかけて、本番だっていうのに、仕出し(エキストラ)の若い女の子の前ではだけて「ワッ」とやったりして(笑)。今やったら捕まるでしょうけど、当時はみんな、ひっくり返って笑っていました。
『徹子の部屋』からお話もいただいて、この4月にオンエアされました。収録の少し前にテレビ朝日の会議室で、ディレクターを交えて事前の打ち合わせを念入りにして。徹子さんはゲストを大事にして、ずいぶんいろいろ調べて、いかにゲストが引き立つように持っていってくださる方。もうお年だから、足が悪いみたいです。年齢は足にきますから、僕も毎日5000歩ほど歩いています。もう少しだけ人生を楽しみたいと思っています。
取材・文/中野裕子(ジャーナリスト) 撮影/村上庄吾