長寿番組の終了や復活など、テレビ番組はここ数年、刷新をはかっている。そのひとつで、刷新が目立ったのが、土曜朝放送の『朝だ! 生です旅サラダ』(テレビ朝日系)。レギュラー出演者が次々と交代し、2024年9月には27年半、総合司会を務めた俳優・神田正輝(74)が卒業。神田に続き、女優・松下奈緒(39)がMCを務めている。その一足先、2023年3月に同番組を卒業した三船美佳さん(42)は、今どんな思いでいるのか。三船さんに話を聞いた。【全3回の第1回】
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私が出演していたときは、神田さんを筆頭に、出演者は家族のような温かい現場を作ろう、お茶の間で見てくれている人たちと一緒に自分たちも朝を過ごしている感覚でやろうね、と気持ちをひとつにしていました。だから、ファミリー感がめちゃくちゃ強くて、見ている人も温かい気持ちになれたのではないかと思いますが、出演している私たちにとっても、温かい番組でした。
共演していた方々とは今も連絡をとっていますよ。神田さんや向井亜紀さん(60)と、お誕生日のときにメッセージを送ったり。神田さんは誰に対しても分け隔てなく気さくな方だから、ふとしたときにちょこちょこ連絡をくれます。「どう? 元気?」って。いつも私のことを気にかけてくださっているので、私もご報告があるときは、遠慮なく連絡させていただいています。
神田さんはテレビ画面で見るままの方。甘いマスクで、すごくダンディで、男気があって。大変なことがあったときでも、私たちの前でも気丈に振る舞っていましたから、逆に私たちのほうが辛く思ってしまうこともありました。
「体のメンテナンスで検査入院」などと報じられていたときも連絡しましたが、「(報道は)全然関係ないから。健康に気をつけたほうがいいよ、と言われたから食事療法をしているだけだから」って。私はその言葉をそのまま受けとっています。メディアや視聴者が騒いでいても「そんなの気にしないよー。自由にやるよ」って。結構ワイルドな方なんだなって思いました(笑)。
きっと、がんばりすぎちゃうタイプなんじゃないかな。私の父(往年の名優・三船敏郎さん)もそうでしたね。“昭和の男性”って何かあってもドーンを構えて動じない強さがあるから、弱さを見せるのが苦手なんじゃないかな、と思います。でも、そんな神田さんがすごく素敵だと思うんです。『旅サラダ』は30年近くもやられて、もうやりきったでしょう。今はゆったりと過ごしながら、海外旅行や大好きなゴルフを楽しんでいらっしゃいます。神田さん卒業の1周年には、当時のメンバーで集まれたら嬉しいですね。
215メートルのバンジーで下を見て…
私も14年近く出演させていただきましたから、毎週、放送している大阪のテレビ局・朝日放送のスタジオへと東京から通っていたときは、土曜日の放送に合わせて、「前乗りで金曜には大阪へ来て土曜日に帰京する」そんな生活を続けていました。体調管理も考慮すると、週の半分くらいは『旅サラダ』のことを考えて過ごしていました。だから、卒業させていただいてしばらくは、「こんなに自由な時間ができるんだ!」と驚いたくらいでした。
個人的には出演している途中の2013年に東京から大阪へ移住してきたのですが、当時、パニック障害やPTSD(心的外傷後ストレス障害)などが起きてつらいときだったので、私にとって『旅サラダ』は“ここにいれば大丈夫だ”って支えてもらっているような、心の安定剤みたいな現場でした。
出演者は東京からいらっしゃる方が多いのですが、制作スタッフの方は地元の大阪の方が多く、番組外でもスタッフさんと遊ぶことが多くなりました。「お茶行こうよ」「ご飯行こうよ」「コストコ行こうか」って。スタッフさんの家に集まったりも。今でも、そんな交流を続けています。
ロケの思い出もいっぱいあります。本当に、体を張った体験をたくさんさせていただきました。全国のありとあらゆる土地を訪れて、いろんな体験をさせていただきました。
たとえば、日本一高いバンジージャンプの「岐阜バンジー」(高さ215メートル)。プライベートでやりたいという人が信じられないくらい、私はバンジーが苦手。なのに、私が飛ばないと、ロケが成り立たないから飛ぶしかなかったんです。
下を見なければ飛べるかな、と思って下を見ずに上ばかり見ていたら、ディレクターさんが「美佳さん、ちょっと下見てもらっていいですか? 下はどんな景色が広がっていますか?」って! もう、死ぬ思いで下を見て、最後に身を投げ出しました。人間ってそこまでの経験をすると、逆にこれまで自分が悩んでいたことなんてちっぽけだなーってさえ思えましたね(笑)。
あと、スノーボードの体験。『旅サラダ』で初めてゲレンデに行って体験したのが楽しくて、今も家族で毎年雪山に通っています。人との出会いもたくさんありました。『旅サラダ』のロケ先で出会った方と連絡をとりあうようになり、この夏、“令和の米不足”でスーパーからお米が消えたときには、お米を送っていただきました。
そもそも、『旅サラダ』のお仕事があったからこそ、大阪へ移住することになりましたし、『旅サラダ』は私の歩んできた人生、ライフスタイルに密着し、本当に大きな転機を与えてくれた番組でしたね。
(第2回に続く)
取材・文/中野裕子(ジャーナリスト) 撮影/小林忠春