土曜朝の長寿番組『朝だ! 生です旅サラダ』(テレビ朝日系)に、約13年半にわたってレギュラー出演していたタレント・三船美佳さん(42)。“世界のミフネ”と呼ばれた俳優・三船敏郎の娘として、14歳で鮮烈なCMデビュー。いつも明るく笑顔を絶やさない姿の裏で、パニック障害などに苦しんだ。「セリフを覚えられない記憶障害」を克服し、今年11月には倉本聰原作・脚本で本木雅弘主演の映画『海の沈黙』に出演した。現在は大阪に拠点を置いて活動する三船さんに拠点にMBS(毎日放送)のインタビュールームで、話を聞いた。【全3回の第2回。第1回から読む】
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2013年に東京から大阪へ移住してきてから、今も大阪で暮らし、MBSの生活情報番組『住人十色~家の数だけある 家族のカタチ』で俳優・駿河太郎さん(46)とMCをさせていただいています。2012年から担当させていただいているので、もう10年以上。この番組に毎週出演させていただいていることも、大阪に移住したきっかけのひとつでした。ほかは関西のお昼の情報番組に単発でコメンテーターとして出演させていただいたり、イベントに呼んでいただいたり。関西での活動が多いですね。
それから、2024年11月公開の映画『海の沈黙』に出演させていただいています。倉本聰さん(90)の原作・脚本、本木雅弘さん(59)主演で話題になっていますよね。演出を手がけた若松節朗監督(75)と私の事務所の社長のご縁で、ご依頼いただいたんです。演技は久しぶり。2019年に舞台に出演しましたが、台本があって演技が求められる映画は2006年の『海と夕陽と彼女の涙 ストロベリーフィールズ』以来ですから。
子どもが4歳とまだ小さいので、なかなか演技のお仕事は受けにくい、というのもありますが、私にとって演技は勇気のいるお仕事でもありました。パニック障害などに苦しんだ2013年頃、私はセリフを何度読んでも覚えられない状態にありました。ちゃんとセリフを覚えて演じられるかな、みなさんに迷惑をかけないかな、と不安もありました。(『海の沈黙』で)私の役はスナックのママさん。ワンシーンだけですが、何とか、無事にやり終えることができたので、多くの方に観ていただきたいです。
バラエティーのお仕事はとっても楽しいので、バラエティーのお仕事もさせていただきながら、女優業のチャンスも少しずついただけたら嬉しいですね。『海の沈黙』では不安もありつつ、台本をいただいたらワクワクする感覚が懐かしく、自分ではない人の人生を生きるのっておもしろい、と改めて感じました。映画の現場の空気感も大好きですし。
「父・三船敏郎」との思い出
私のデビューは14歳のとき。「明治ブルガリアヨーグルト」のCMで、原辰徳さん(66、現・読売巨人軍特別球団顧問)と共演させていただきました。当時の私は、学校でのいじめに悩み、将来の夢や希望を持てずにいました。ストレスで身体がこわばっていたのか、手足が冷たく末端冷え性で。そんな私が突然、大人のプロフェッショナルの集まるCM撮影の現場でメイクや髪をセットしていただき、カメラや照明の前に立ち、「じゃあ本番いきます!」ってカウントダウンが始まって……当時はフィルム撮影だったので、カラカラとフィルムが回る音を聞いた瞬間、頭に稲妻が走るような衝撃を受けたんです。
全身に鳥肌がたって、手足のつま先までビーンと血がめぐって。初めて、俳優・三船敏郎のDNAを自分の中に感じた瞬間でした。そのとき、こういう現場で作品を作るお仕事を続けていきたい、と思ったんです。その初心を忘れまい、とやってきました。
以前は女優のお仕事もいろいろさせていただいたんですよ。15歳で初主演した映画『友情 Friendship』では日本アカデミー賞新人俳優賞もいただきました。父が“世界のミフネ”といわれた三船敏郎ですから期待値が高いだろう、と最初はプレッシャーもありました。ところが、私は娘なので、あまり比較はされなかったんです。もし私が父と同性の息子だったら大変だったでしょう。私はどの現場でも、みなさんが私の大好きな父との撮影の思い出や、私の知らない父の顔を語ってくださり、私を温かい目で育ててくださったと感じています。本当に私は幸せ者です。
それぞれの方にそれぞれの三船敏郎があるように、私にとって父は、いつも目尻を垂れた、本当に優しいパパでした。大声で怒られたことはたった一度だけ。どこかのレストランに入ったとき、私がスープを飲んだら「音をたてて飲むものじゃない!」って。レストラン中がシーンと静まり、私は目を見開いて固まってしまって……。そうしたら、父はばつが悪かったのか、照れ隠しなのか、慌てておどけたようにズルズル音をたててスープをすすって、場を和ませてくれたんですよ(笑)。
幼い頃は父が俳優だとは知りませんでした。当時は撮影所の近くに住んでいたので、朝、家を出た父が、侍の衣装のままお昼を食べに帰宅したりしていたので、「父の職業は侍で、警察の部署のひとつで、悪い人をやっつけるお仕事なんだ」と思っていました(笑)。年齢が上がるにつれ、俳優だと理解するようになり、父の作品もできるかぎり観てきましたが、残念ながら父と作品を一緒に観たことはありません。
でも、家で俳優としての父を感じることはありましたよ。夜、遅くまで起きて、台本を読みながら、びっしり書き込みをしていました。男らしく豪放磊落、エネルギッシュな演技をスクリーンでお見せしていた父ですが、思いつきやひらめきの演技ではなかったんです。緻密な演技プランをたて、それをすべて頭に入れ、台本を持たずに現場に入っていました。赤と青が1本になった色鉛筆を愛用し、それをナショナルの鉛筆削りでガリガリ削っていたのを覚えています。
私が父に似ているところ? ヒラメ筋(下腿三頭筋、ふくらはぎ)です! 『七人の侍』を観たとき、父が演じる菊千代が奥へ走って行く、その足だけが映るシーンがあるのですが、その足を観たとき「同じだ!」と気付きました。私の足も骨太で筋肉質で、思春期の頃はコンプレックスだったんです。でも、父と同じだと知ったら、そんな足も愛おしく思えるようになりました。
(第3回に続く。第1回から読む)
取材・文/中野裕子(ジャーナリスト) 撮影/小林忠春