松永K三蔵著『カメオ』は、刊行時期こそ逆になったものの、昨年『バリ山行』で芥川賞を受賞した著者のデビュー作であり、会見でも話題になったTシャツの文言「オモロイ純文運動」の原点でもある。
主人公は物流倉庫会社に勤める私〈高見〉。休日は六甲の山々をロードバイクで走り、それを日々の慰めとする彼が、須磨の遊閑地に年度内付けで倉庫を建てるよう〈経理課絡みの案件〉を任されたことから、事態はあらぬ方向へ転がっていく。
その土地の隣には常に白い犬を連れ、何かと難癖をつけてくる厄介な男が住んでいた。やがて彼は朝礼にも勝手に参加。監督が何か言う度に〈ヨシッ!〉と答え、〈あのおっさん、カメオ言うんですよ。カメの亀に、夫ですわ〉と職人達に笑われながらも憎めなくもあるカメオを巡る珍騒動は、中盤早々、彼が遺した犬と主人公ののっぴきならない関係性の物語へと、大きく舵を切るのである。
「運動といっても、もっとオモロイ純文を書いていかなあかんって、僕が思ってるだけなんですけどね。僕は純文とエンタメの境目は明確にあると考えていて、生きることや世界とは何か、人間とは何かを問うものが、やっぱり純文やと思う。
ただそれが面白くなかったり、事によっては難解で読みづらい方が高尚みたいな空気すらあった。そして、ふと気づくとみんな動画やSNSばっかり見ている。それをやめろと言ってもやめないのはオモロイからで、そこと闘わないと文学は滅んでしまうと思うんです」
その面白さにも2種類あるといい、例えば高見が隣家の男から粗品の洗剤に関してダメを出される、こんなシーン。〈お前ら、ワシを舐めとんのやろ。引きこもりのおっさんや思って、舐めとるから、いきなりこんな工事はじめるんやろ? 舐めとるから、いきなりアタック持って来て、粉のアタック〉〈ワシ、クレーマーちゃうど。無茶言うてないど。それでも無理や言うんやったら、せめて粉やなくて、タレの、タレのアタックにしよや〉
「いきなり無茶なおっさんが出てきて、振り回される、ちょっと落語的な面白さが、入口にある。本人は真剣なのに、なんか滑稽で笑っちゃうっていう。そういう面白さがある一方、自分の人生や世界とリアルに向き合う面白さもまたあって、僕はそれが一番面白いと思ってるんです。
本書で言えば会社や常識に縛られ、今一つ突き抜けられない高見が、自分はどう生きるべきかという問いと犬を介して向き合うわけですけど、誰だってそうですよね。どんな理不尽な目に遭っても仕事は簡単に辞められないし、どうにか折り合いをつけつつ生活している方がほとんどだと思う。
英語のライフは人生とも訳せるけど、つまるところ生活ですよね。その生活がピンチにある時こそ文学の出番なんです、本当は」
『バリ山行』でもそうだが、松永氏は主人公が遭遇するトラブルをごく卑近なものに設定する。無理な工期を無理強いする会社と無茶な亀夫の間で頭を下げ続け、挙句、亀夫の犬の面倒までみる羽目になった高見が、ペット厳禁のマンションでそれを隠し飼い、姪への移譲を画策する姿などは、誠実で人がよすぎるだけに滑稽で、身につまされる。
絶対的な孤独からこそ文学は始まる
やがて深夜のムダ吠え対策には散歩が一番と聞いた高見は、夜になると近くの野山に犬を連れ出すようになる。そして春一番の吹くある日のこと。〈あッと思った。凄まじい速力だった〉〈ヤードの中に押し込められて、そのまま「犬の一生」を終えるかも知れなかった犬。──行け、行け!〉〈私は心の内で叫んだ〉〈カメオッ!〉──。犬がカメオになった瞬間だった。
〈すぼんだ様に顔についた小さな眼〉、〈皮膚の赤みが透けて見え、それがどこか生々しく〉と描写されるブルテリア系の雑種で、仕草も中年じみたカメオの愛らしさではなく、氏はむしろ、「圧倒的拒絶感」に懐かしさを覚えるという。
「これは卒論で扱った坂口安吾の影響もありますけど、人間と自然、あるいは世界との関係って、そもそも断絶されているんですよね。その断絶こそが安吾の言う文学のふるさとで、だから愛おしいし、懐かしいし、その絶対的な孤独からこそ文学は始まると思う。
仮にカメオを野に放って行き倒れたとしても、それが生きるってことちゃうか、自分はできないけどカメオ、お前は行けーっていう主人公の気持ちは、まさに愛だと思うんですよ。それって虐待ちゃうか、法的にアウトやろって、結局は悩むだけ悩んで何も決められないけど、そんなこと一切顧慮せずに、別世界として存在するのが、他者や自然やこの世界だと思うんです」
現代ではスマホで何でも検索でき、それらしい答えがすぐに手に入る。
「でもそれって絶望の一形態だと思うんです。パンドラの箱の底に残った悪魔の正体は全知とも言われるように、知らないから挑戦できたり夢を語れたりする部分がある。自分が生きてきて100%言えるのは、良くも悪くも世界は思ったようにならないってこと。新人賞対策とかもその通りになったためしはないし、先の読めない世界で、会社や銭金の問題に尻尾を握られながら闘ってる人のことを、僕はオモロイ純文に書いていきたいんです」
これほど笑えて読みやすく、しかも心に真っ直ぐ届く小説も珍しい。2つの面白さを兼ね備えた、思いのこもった文学である。
【プロフィール】
松永K三蔵(まつなが・けー・さんぞう)/1980年茨城県水戸市生まれ、兵庫県西宮市育ち。14歳の時に読んだドストエフスキー『罪と罰』に感激して小説家を志し、関西学院大学文学部在学中から各新人賞に応募を開始。現在も一般企業に勤務しながら、毎朝出勤前に喫茶店で2時間書く生活を続け、2021年に本作で第64回群像新人文学賞優秀作を受賞。2024年には『バリ山行』で第171回芥川賞を受賞し、「これで『カメオ』も本にできますよって編集長が言ってくれたんです」。171cm、73kg、A型。
構成/橋本紀子
※週刊ポスト2025年1月17・24日号