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【佐藤優氏×片山杜秀氏・知の巨人対談「天皇家の昭和100年」】昭和20年に退位を選ばなかった昭和天皇「現人神からの転換」の背景

NEWSポストセブン 2025年1月12日 7時13分

 昭和100年が幕を開けた。元号は天皇の即位に始まり、新年は天皇の祈りに始まる。この節目に、作家の佐藤優氏と政治思想史研究者の片山杜秀・慶應義塾大学法学部教授が、平成、令和へと続く天皇家の百年史を振り返る。【前後編の前編】(文中敬称略)

現人神からの転換

佐藤:現在、昭和100年という括りで語れるのは、敗戦という激動を経験してもなお、天皇制が維持されたからと思います。それにしても昭和天皇はなぜ、昭和20年に退位しなかったのでしょうか?

片山:敗戦翌年(昭和21年)の元日に、いわゆる「人間宣言」の詔書が出されます。占領軍は日本の軍国主義の原因を天皇に求めようとした。現人神のために国民が平気で死ねる構造があると。ところが天皇は退位して責任を取る道を選ばなかった。神でなく人間。その人間天皇が崩御するまで辞めない。明治以来の新制度ですが、そこさえ守れば、国家の連続性は維持される。国体は護持される。軍隊や現人神は日本の本質でない。そういう考え方かと思います。

佐藤:そこがポイントですね。天皇の生物学的な寿命と元号の生命が一体であるとする天皇制は守られました。裏を返せば、その原則が崩れた現上皇の生前退位がどれだけ大きな事件だったか、ということでもあります。

片山:そうですね。敗戦に断絶があると捉えられますが、天皇は変わらず、昭和は続いた。当時、昭和天皇に対して、「戦中は多くの人が天皇のために死んでいったのに」という感情を抱く国民もいたし、共和制を唱える左派からの反発もあった。しかし、背広を着て全国巡幸を行なうことで、現人神から草の根的に民衆の共感を得る天皇像に転換していきます。

佐藤:人間宣言の年の5月には、共産党員の松島松太郎が食糧メーデーで、「朕はタラフク食ってるぞ、ナンジ人民餓えて死ね」と詔書のパロディをプラカードに書いて「不敬罪」で逮捕される事件もありました。しかし、裁判では「名誉棄損罪」に切りかえざるを得ず、最終的には新憲法公布の恩赦で免訴になった。それほど天皇の権威がゆらいでいたことを象徴するような出来事でした。

片山:天皇は存在自体が特別だから天皇を侮辱すると不敬罪。それが天皇も普通の人間だから名誉棄損に。すると神でなく人間なのに戦後も天皇で居られるのはなぜか。昭和天皇の周辺の考えた理屈は信頼される立派な徳の高い人間という概念ですね。神でも人間でも天皇は天皇であると。

事効説と人効説

佐藤:神学の世界に、事効説と人効説という考え方があります。どんなに徳のない神父が行なった儀式でも、手続き的に正統ならば有効とするのが事効説で、対して人物の徳を重んじるのが人効説です。明治以降の天皇制は事効説的なシステムですが、人間宣言の昭和天皇を経て、現上皇が築いた被災地のために祈るような天皇像は人効説的要素があります。

片山:昭和8年生まれの上皇は、アメリカ人のヴァイニング夫人から戦後民主主義的な教育を受けました。それに人効説に通じる価値観の根本には、叔父の三笠宮(崇仁親王)の影響もあるでしょう。三笠宮は皇族の人権について、退位や結婚の自由を述べられてきた。宮家として皇室の新しい価値観を率先して引き受け、皇太子の立場では言えないようなことも発信されました。

佐藤:歴史学者だった三笠宮に対し、兄の昭和天皇は生物学者だったことも興味深い。その点について、哲学者の柄谷行人が面白いことを書いていました。記者会見で戦争責任を問われた昭和天皇は、「そういう文学方面はあまり研究もしていないからよく分かりませんから、お答えができかねます」と応じた。柄谷はこの発言と、昭和天皇が生物学者だった事実に注目する。生物学は有機体的な世界観と合わさっているので、殴った手が悪いのか、指令を出した脳が悪いのかといった議論には意味を見出さないということです。

片山:近代科学で万世一系が否定される時代になり、天皇を近代的な価値観と調和させるなかで、皇族が理科系の学問を選ぶようになったと見る人もいます。しかし、哲学や倫理学、歴史学のような「文学方面」、すなわち文系の学問は、政治との関わりが生じてしまいます。

佐藤:これは実に好対照で、生物学は責任感を持たないことと親和性が高い学問ではないでしょうか。悠仁親王の進学先も筑波大学生命環境学群生物学類です。明治政府が作り上げた天皇には、おそらく責任感や答責性が求められてはならないのだと思います。

(後編につづく)

【プロフィール】
佐藤優(さとう・まさる)/1960年、東京都生まれ。元外交官、作家。同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。主著に『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)、近著に『賢人たちのインテリジェンス』(ポプラ新書)など。

片山杜秀(かたやま・もりひで)/1963年、宮城県生まれ。政治思想史研究者、音楽評論家。慶應義塾大学法学部教授。慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。主著に『未完のファシズム』、近著に『大楽必易 わたくしの伊福部昭伝』(ともに新潮社)など。

取材・構成/前川仁之(文筆家)

※週刊ポスト2025年1月17・24日号

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