昭和100年が幕を開けた。元号は天皇の即位に始まり、新年は天皇の祈りに始まる。この節目に、作家の佐藤優氏と政治思想史研究者の片山杜秀・慶應義塾大学法学部教授が、平成、令和へと続く天皇家の百年史を振り返る。【前後編の後編】(文中敬称略)
生前退位と「天皇なき右翼」
片山:経済白書に「もはや戦後ではない」と記された翌年の昭和32年8月、現上皇の皇太子は、美智子妃と軽井沢のテニスコートで出会います。
佐藤:ミッチー・ブームが起こり、国民に愛される皇室像が揺るぎないものになってゆきます。
片山:そうして戦後民主主義的な価値観を体現していき、生前退位を表明するのが昭和91年に当たる平成28年です。
佐藤:明治から続いた生物学的な生命と在位期間の一致という原則が崩され、天皇の意思によってできた時代が、令和となったわけです。
生前退位においては、日本政府の対応にも問題があった。あり得た対応の可能性は3つです。ひとつは「違憲」だから認められないという判断。もうひとつは、天皇のお気持ちに応じた皇室典範の改正。ところが、政府はそのどちらでもない「特例法」で済ませてしまった。これは平たく言えば「わがままが通るのは今回だけだぞ」という意味です。
片山:非常時的な対応ということですね。
佐藤:その通りです。結果、天皇、上皇、皇位継承者と権威が三分割されてしまいました。他方、長期政権を築いていた当時の首相・安倍晋三にも権威がついてきました。
片山:自ら「臣・茂」を称した吉田茂のような人なら「退位されてもお支えします」となったかもしれませんが、安倍晋三はむしろ大統領的な権威を持つ方向へと向かっていました。戦後の保守政権を担った自民党の政治家とは変節してしまった。それがあの退位のドラマですね。そして将来的には、皇位継承者が「特例」で「辞退」する可能性さえ生んでしまった。
佐藤:皇室のゆらぎは、昨今の「右翼」や「保守」の在り方に反映されています。いわば「天皇なき右翼」が力を持つようになったのが昭和100年の現在地だと思いませんか?
片山:天皇なき右翼とは言い得て妙ですね。従来のナショナリズムは天皇と結びついていたし、日本人が選び得る右翼的な選択を掬える文化的豊かさを持っていました。すなわち、天皇は近代国軍の大元帥にもなり得れば、農本主義的な農耕儀礼の祭司にも、より広い意味では神道のいわゆる大神主にも、国民国家の統合の象徴にもなり得た。それが今では、天皇や伝統や歴史抜きで、国家の今現在の純粋な強度を誇りたい、それを邪魔する奴はやっつけるというのが右翼になっている。
佐藤:前回の総選挙で議席を伸ばした右派政党の日本保守党は「日本の国体、伝統文化を守る」として天皇制に言及するが、代表の百田尚樹がSFだと断わりを入れつつも、「女性は30超えたら子宮を摘出する」と発言して批難を浴びるなどしました。こういう保守に私はあまり脅威を感じません。
一方、現代は革新のほうこそ天皇を必要としているのかもしれません。れいわ新選組代表の山本太郎は、12年前の園遊会で天皇に反原発を訴える書簡を手渡ししました。
片山:天皇がうなずいてくれれば国が変わるという、非常に天皇主義的な幻想なわけですが、完全に左派と右派のねじれが生じていますね。
佐藤:そう思います。左派・リベラル派が生前退位を表明した上皇の人格に依拠していき、逆に安倍晋三支持者が上皇を支持しない、という現状ですね。山本太郎の例は、昭和2年に軍隊内部の部落差別や待遇の改善を天皇に訴えた、陸軍兵の北原泰作による天皇直訴事件を彷彿とさせ、左右がねじれた反復と見ることができます。
女性・女系天皇議論の危うさ
佐藤:それからもうひとつ、エンペラー(皇帝)としての天皇の役割を考えておく必要があります。エンペラーの特徴は、複数の民族グループを統治していることです。
片山:なるほど。
佐藤:日本の予算構造を見るとよく分かりますが、北海道と沖縄は外交予算が組まれている。内閣府の沖縄担当と国交省の北海道開発局が予算を組み立てており、国家として北海道と沖縄は「外部領域」ということ。だからこそエンペラーが必要で、アイヌ民族を先住民として認めるとか、上皇が琉歌を詠んだりすることで統合してきました。
片山:天皇家の歴史を見ると、大和朝廷が大嘗祭等を行なう際に遠くの国の人々を連れてきて歌の贈答をすると、九州の隼人が騒音を立てて囃すわけですね。そうすることで、辺境の人々が天皇の代替わりのエネルギーを与えてくれる。必ず周縁の人々を仲間に入れて代替わりを繰り返すのです。
佐藤:外部領域を組み込んでゆく。天皇のそうした機能が薄れていくと、モノトーンな国民国家になっていきます。
片山:おっしゃる通りで、天皇を外した右翼になると、外部領域としての北海道と沖縄は無関係になり、本州が純粋な日本となる。その結果、解体の方向へ向かうでしょう。右派のエネルギーは今、そうした方向に傾いているようです。
佐藤:だから、アイヌ民族の先住権を認めない主張や、沖縄に対して基地の過重負担を強いる論調は、天皇制を崩す方向の動きに他なりません。
片山:ご指摘されたような日本を解体する理屈を、一生懸命ナショナリズムと呼んでいるわけですね。
昭和100年は、明治以来続いた天皇制の分岐点に差し掛かっている印象を受けます。
佐藤:天皇制を維持したいのであれば、私は女系天皇、女性天皇といった議論は危ないと思います。なぜなら、天皇制というそもそも非合理性を孕んでいるシステムに、部分的に合理性を持ち込もうとしているからです。キリスト教も、非合理なシステムをそのまま受け入れているから存続しているのです。
片山:生前退位というタブーが解けた今、第2のタブーである皇位継承者の条件変更も現実味を帯びています。その一方で私は、日本ではいくら理屈を考えても、共和国的な政体でまとまることはできないと思っているのですが……。
「菊のタブー」とニヒリズム
佐藤:いわゆる「菊のタブー」の変化も見ておくと、人間宣言直後の「プラカード事件」が“最後の不敬事件”となった後、昭和36年に起きた「風流夢譚事件」は言論界を揺るがしました。
片山:作家の深沢七郎が『中央公論』掲載の小説のなかで──夢という設定で──天皇・皇后が処刑される場面を描いたところ、右派の反発を呼び、中央公論社社長宅でお手伝いさんが刺殺された事件です。犯人は少年でしたが、当時はまだ戦後16年で、タブーも根強く生きていました。
佐藤:その8年後(昭和44年)には、元陸軍兵の奥崎謙三が天皇をパチンコ玉で狙う事件が起きました。暴行罪で懲役刑に服しましたが、出所後は『ヤマザキ、天皇を撃て!』と題した書籍を出版した。こちらはとくに右翼勢力からのお咎めはなかったようです。
片山:右翼の抗議に対する井上ひさしの反撃は有名ですね。「君は歴代の天皇全部言えるのか、俺は言える」と言い返してやる、すると「恐れ入りました」とおさまってしまう(笑)。
佐藤:当時の右翼は小説も読んだし、歴史に対する畏敬の念を持っていました。国家の存亡を宗教的な領域でとらえる必死さからくる、ある種の怖さとダンディズムがありました。今の右翼や右派的な面々からそういうものが感じられないのは、世界的な潮流であるニヒリズム的な価値観が浸透しているせいでしょうか。
片山:右翼は歴史と伝統をうまく使ってこそですが、それを忘れて現在で熱狂するだけになるとファシズムに転化する。そこにニヒリズムがはりつくのですね。
佐藤:昭和の日本は様々な側面で欧米に学んできましたが、ニヒリズムの時代である昭和100年以降の、エマニュエル・トッドの言う『西洋の敗北』にまで付き合うべきではないと思います。
(前編から読む)
【プロフィール】
佐藤優(さとう・まさる)/1960年、東京都生まれ。元外交官、作家。同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。主著に『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)、近著に『賢人たちのインテリジェンス』(ポプラ新書)など。
片山杜秀(かたやま・もりひで)/1963年、宮城県生まれ。政治思想史研究者、音楽評論家。慶應義塾大学法学部教授。慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。主著に『未完のファシズム』、近著に『大楽必易 わたくしの伊福部昭伝』(ともに新潮社)など。
取材・構成/前川仁之(文筆家)
※週刊ポスト2025年1月17・24日号