日本の大学の最高峰である東京大学。親の世帯年収が高い学生が多いことがしばしば話題になるが、裕福ではない地方の家庭から合格を勝ち取った人もいる。そんな地方出身者にとって、重くのしかかる問題の一つが「住居」だ。
金銭的な事情を抱える学生にとって、アパートやマンションなどの契約が難しい場合も少なくない。そこで救いとなるのは大学の「寮」だ。東大にもいくつかあるが、その中でも何かと話題になるのが、主に、主に1、2年が入居する「三鷹国際学生宿舎(以下、三鷹寮)」だ。昨今の物価高にもかかわらず、都内で8850円(2021年3月までは1万1500円)という家賃は破格。しかし、“脱獄者”が出るほどの不人気で空室だらけなのだという。いったい三鷹寮とはどのような寮なのか。
新刊『ヤバイ東大解剖録』(KADOKAWA)で、富山県トップの公立進学校から東大法学部という経歴を生かし「東大のリアル」を描いた、チャンネル登録者数50万超えYouTuber・チェリー東大あきぴで氏が、知られざる三鷹寮での暮らしぶりを紹介する。(同書より一部抜粋して再構成)【全3回の第2回。第1回を読む】
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まず、三鷹寮の基本情報について説明しよう。三鷹寮は基本的に駒場キャンパスの1、2年生が住める寮で、例外的に3、4年生で後期教養学部または理学部数学科に進学し、メインキャンパスが変わらない人も住むことができる。
正式名称は「三鷹国際学生宿舎」。愛称が「三鷹寮」というだけで、寮母さんがいて、食堂があって、相部屋で風呂・トイレは共通で、といった典型的な寮ではなく、実際はひとり一部屋個室の宿舎として機能している。
部屋の中身も決してお粗末なものではなく、机に椅子、ベッドにクローゼットがついていて、IHキッチンとシャワーにトイレも完備されている。広さに関しては確かに狭いが、設備に関していうと、この通りまったく申し分がない。家賃も安く、僕のときは1万1500円だったが、今はなんとそれよりも安く8850円にまで引き下げられている。
三鷹寮では、入寮申請資格として「通学時間が1時間30分以上」や「経済的理由により住居の確保が困難」といった項目が設けられている。つまり、大っぴらに言っているわけではないが、三鷹寮の存在意義としては「住環境支援」と「経済支援」の意味合いが強い。だから、家賃もこれほどまでに抑えられているということなのだ。東京に1万円を切ってひと月住めるなんて普通に考えたらありえないことだ。だが、そこは東京大学様、さすが学生のことを一番に考えていらっしゃる。
さて、ここで残念なお知らせだ。以上が三鷹寮の良いところである。想定の範囲内とはいえ、なんと少ないことか。呆れてため息も出ない。ここからは、これらを覆すのに十分すぎるほどの「地獄」の理由と、8850円に相応しい寮であることを説明していこう。
【距離】
まず、大学から遠い。大学の運営する寮は、大体大学の近くにあると相場が決まっている。しかし、駒場キャンパスから三鷹寮までの距離は約14km。どういう神経で「ここに東大の寮をつくろう」という発想になったのか、非常に気になる。
そして大学だけでなく、駅からも遠い。三鷹寮は三鷹市の新川6丁目にあり、京王線、京王井の頭線、中央線、西武多摩川線に囲われたちょうど中心に位置している。なので、どの路線からも遠く、最も近い駅が京王井の頭線の「三鷹台駅」なのだが、これはトラップ。
駒場キャンパスは同じく京王井の頭線の「駒場東大前駅」が最寄駅なので一見アクセスがいいかと思うかもしれないが、その考えは甘い! 三鷹台、駒場東大前ともに各駅停車の駅なのである。そのため、三鷹台から乗るよりも2駅遠くなるが、急行が止まる吉祥寺駅から乗り込んだほうが大学到着は時間的には早くなる。
よって、真の最寄駅は吉祥寺駅になる。まあ吉祥寺なら基本なんでもあるしね。三鷹台はマジでドミノピザしかない。
とはいえ、三鷹寮から吉祥寺駅までの距離は約3km。そのため基本的には自転車が必要となる。毎日3kmくらいの道をチャリで爆走することになり、そこから電車に乗り換える。これで結局通学に片道1時間ほどかかってしまう。1時間ならまあ普通じゃんと思う人もいるだろう。しかし、それは神奈川とか千葉とかの実家勢の話だ。都内在住の地方勢でこんなに通学時間がかかるやつを僕は未だかつて見たことない。
もちろん、駒場の近くは家賃が高いのは百も承知だが、その沿線で探せばお金に優しい物件のひとつやふたつ見つかるはずだ。なのに、大学からも駅からも遠い1時間の場所? これもはや上京しきれていないだろ。
そもそもこれじゃあ地方勢の特権を生かしきれていない。実家勢にはできない地方勢特有の楽しみ方、それは「友だちを家に呼ぶ」ということだ。
ひとり暮らしで大学から家も近い。だからこそ授業終わりに友だちと家で飲んだり、ゲームしたりができるのに、それができない。その楽しみを奪ってまで三鷹に住む理由を教えてくれ、東大さん。まあ僕は友だちがいなかったから関係ないのだが。
とまあいろいろ愚痴ってきたが、家賃と諸々かかる定期券代や駐輪場代を含めても1万5000円とかには収まるので、破格っちゃ破格だ。なので今回の遠さに関しては一旦目をつむろう。
【便器】
「ユニットバスなんて嫌だ! トイレとお風呂別々がいい!」
たまにこういう戯言を抜かす腑抜けがいるが、論外だ。ユニットバス? なんて贅沢なんだ。こちとらユニットシャワーだぞ。ユニットシャワーとは何か。それを考えるにはユニットバスを考えればわかりやすいだろう。
ユニットバスとはお風呂とトイレが一緒に入っている浴室のこと。じゃあユニットシャワーは? シャワーとトイレが一緒に入っている個室のことだ。
「おい、なに冗談言ってんだ? そんなことしたら便器がシャワーのたびにびちょびちょになってしまうだろう」
シャワーのたびにびちょびちょになる、その通りだ。
幼稚園児が考えたのかと思うくらいふざけた設計なのだが、東大三鷹寮のバスルームはこぢんまりとした浴室の中に、トイレとシャワーが一緒くたになっている。これのせいで一度シャワーを浴びてしまえば、その日のトイレはしばらくおあずけになる。
また、トイレットペーパーホルダーにはシールドが付いているのだが、それも完璧ではなく、シャワーを浴びるたびにトイレットペーパーはウエットティッシュに大変身する。
取り返しのつかない要素だらけなのだが、一番の問題は冬場の殺傷能力である。これで何人の東大生が命を落としてきたことか、想像もつかない。シャワーのたびに便器が濡れるということは、少なくとも便座にモコモコシートや、保温シートを貼れないということだ。
皆さんは冬の便座の殺傷能力を体感したことがあるだろうか。
冬になると便座は絶対零度まで温度が下がり、数多のお尻を氷漬けにする。それが起こらないようにするために、モコモコや保温シートがあるのだが、それらを使用することができないとなると、もう打つ手がない。もちろん、三鷹寮の便器が便座を温めるハイテクシステムなど持ち合わせているはずもない。万事休すだ。
しかし、どうやら噂によると三鷹寮にも便器が濡れない部屋があるらしい。
三鷹寮には全部で6棟A~F棟まであるのだが、そのうちのC~F棟の部屋はそうなのだとか。僕はB棟だったので完全に聞いた話になるのだが、どうやらC~F棟は洗面台が可動式らしく、適宜シャワーから便器を守ってくれるらしい。
洗面器が可動式というのは僕自身もうまく想像できず言葉で書き表せないので、皆さんの想像力にお任せしたい。てか、動かせるならA棟もB棟も動かせよ。
【多種多様な虫】
三鷹寮は何かと自然を意識しており、寮の敷地内にはたくさんの木が植えられている。自然を感じられるのはいいことなのだが、そのせいで多種多様な虫とご対面することになる。
一番ショッキングだったのは、1年の9月、夏休みの終わりごろ。僕がちょうど全治7か月の骨折をしたときだ。宅配ピザのバイト中にいきなり事故って、そのまま病院へ入院。手術もしてしばらくは病院のお世話になっていたが、その間に学校ももうすでにはじまり学校関係のいろんな所用が発生するので、一度家に帰らなければならなかった。そこで松葉杖状態だったが無理やりタクシーを拾い、そのまま三鷹寮へ帰還した。
松葉杖だと棟の入り口から自分の部屋までの距離がとてつもない長さに感じられた。部屋に着いたときは、たった数10mを歩いただけなのにどっと疲れが出てきた。そのままベッドに転がり込む。
数週間ぶりの自分の部屋だ。病院では、ご高齢のおじいちゃんばかりの、4人くらいでの相部屋生活だった。
そこで聞こえてくるのは咳き込む音やなんかブツブツ言ってるひとり言。
極めつけは、近くで銃撃戦が繰り広げられているんじゃないかと聞きまごうくらいのいびき合戦だった。その悪夢の生活から打って変わって、ここ三鷹寮じゃ物音ひとつ聞こえない。あれだけうんざりしていた静けさがそのときはとてもありがたく感じられた。……三鷹寮も悪くないじゃないか。そう思えた瞬間だった。
だが、そう思えたのはほんの一瞬だった。個室の安心感が恐怖へと変わる出来事が、僕の部屋で起きていた。
ゲジゲジがひっくり返って息絶えていたのだ。
もう勘弁してくれよ。僕は虫が大の苦手なのだ。虫に関しては、生きていようが死んでいようがあまり大差ないくらい嫌いだった。
そして、どうにか一度落ち着こうとトイレに駆け込み、戦略を練ろうとした。しかし、僕に逃げ場はなかった。浴室でゴキブリがひっくり返って死んでいたのだ!
あーもう僕の入院中に一体何が起きたんだよ。なんで殺人現場が出来上がってんだよ。
虫嫌いの人なら吐き戻すくらい同感してくれると思うが、虫を触るのは愚か、箸のようなストロークのあるもので処理するのも、難易度が高いのだ。箸を通してでもその触覚が自身の指先に伝わるのが耐えられない。しかし、もう、どうこういっていられない。頼れる友人もいない。ええい、ままよ、僕は手近な割り箸とレジ袋をつかみ、ゴキブリを処理しようとした。
その瞬間だった。ピクッ。
な、なんと、ゴキブリが動いたのだ!
こいつ、ひっくり返って体力ないだけで生きてやがる! 難易度はさらに跳ね上がった。動かないにしろ、生きているゴキブリを箸で処理するなんて到底考えられない。とにかくまず落ち着け。こいつの息の根を止めることが先決だ。僕は冷静に、部屋に備え置いていたゴキジェットをひっくり返っていたゴキブリにぶっかけた。これでどうだ! しかし、かけても、かけても、こいつの動きが止むことはない。
薬剤の海ができるくらいゴキジェットをぶっかけたが、ゴキブリはその海に溺れないように死力を尽くし、ビシャビシャもがき続けた。
なんなんだよ、こいつ! もうこいつの生命力で論文書けるだろ!
いろいろあって数時間の戦いの末、生きているゴキブリとゲジゲジを処理することができた。経緯はあっさり書いたが、これをすべて松葉杖の状態でやってのけたのだ。
さすがにノーベル平和賞をもらわないと割に合わない。
と、まあこんな感じで、三鷹寮は自然の弊害でまあまあ虫が出ることは覚悟しとかなければならない。あとはハエとクモくらいだが、ここら辺はまあなんとかなる。
ゲジに関しては、退院後もポツポツ出現し、ゴキブリに関してはあの死闘1回きりだった。しかし、別の棟の人の話を聞く限り、英単語ターゲット並みに頻出していたらしいので僕はたまたま運が良かっただけだろう。次の寮では虫が出ませんように。
【脱獄者】
「とはいえ、今まで挙げてきた不満が距離・便器・虫か。それだけなら8850円を覆すには不十分なんじゃないか? そうはいっても入りたい人の方が多いでしょ」と思ったそこの君。君は何にもわかっていない。三鷹寮は空室だらけだ。
それは決して審査が厳しいわけではない。
前述の通り三鷹寮への申請資格は、「通学時間」と「経済的理由」だ。しかし、提出書類として必ず家計の収入状況を見られることになるため、基本的には「経済的理由」が重視される傾向にある。
僕は非課税世帯なのですんなり通ったが、例えば、僕の知り合いのO君。彼は私立の中高一貫に通っていて家もめちゃくちゃ金持ち。しかし、地方という理由だけでなんやかんや審査が通った。だから、「経済的理由」という条件を無視して「通学時間」の条件だけクリアできれば誰でも入居できるくらい審査がガバガバなのだ。それくらい部屋が余っている。
さらに、金がある地方勢が入居したとしてもそれは長くは持たない。
三鷹寮の居住環境に絶望し、一刻も早く脱獄を図るからだ。それもそのはず、こんなところ金があれば長くいる理由がない。ここに住む理由は「家賃が安い」、それだけだからだ。
実際そこに縛られないO君も入居してすぐ駒場近くの代々木上原(単身用の家賃相場10万円)に引っ越していった。富裕層との格差をまざまざと見せつけられた瞬間だった。家賃が安いという首輪に繋がれた僕は、O君が退去していく姿を指を咥えて見ているしかなかった(チュパチュパ)。
(第3回に続く)