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《今年は昭和100年》77年前の今日…「昭和最大のミステリー」と称される大量毒殺事件が発生した

NEWSポストセブン 2025年1月26日 11時15分

 年が明けて2025年。今年は“昭和100年”に当たる年だ。世界大戦が勃発し、敗戦し、復興を遂げ、高度経済成長を迎える──激動の時代の出来事は今、NHK連続テレビ小説『虎に翼』、若者を中心にベストセラーとなった小説『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』、口コミでロングランヒットとなった水木しげる生誕100周年記念作品映画『ゲゲゲの謎』など、様々な形で脚光を浴びている。

 そんな昭和の出来事のうち、戦後の混乱が続いていた1948年1月26日、東京都豊島区椎名町で起きた「昭和最大のミステリー」と言われている「帝銀事件」をご存じだろうか。

 閉店間際の帝国銀行(現在の三井住友銀行)椎名町支店に現れた、東京都衛生局から来たという中年の男。「近所で集団発生した赤痢を防ぐために予防薬を飲むように」と説明し、特殊な方法でその場にいた行員や小学生の男児を含む16名に青酸系毒物を飲ませ、そのうち12名を殺害し、16万円(現在の価値で1600万円)の現金と1万円の小切手を奪って逃走したという凄惨な事件である。

 この事件については青酸系毒物の特殊な摂取のさせ方から、戦時中ハルビンで生物兵器を研究していた関東軍731石井部隊関係者が関わっているのではないかということで、旧軍人を中心に捜査が進められた。しかし、当時日本に駐留していた連合国軍事総司令部、いわゆるGHQが、突如旧陸軍関係者への捜査を禁止してしまう。このGHQによる不可解な禁止命令の理由はいまだにはっきりしておらず、謎のままだ。

 その後、捜査は1947年に起きた、似た手口の事件で使用された偽造名刺から画家・平沢貞通の逮捕へと発展。連日の拷問のような取り調べから、平沢は自供を始めた。平沢はその後開かれた公判で無罪を主張したが、1955年4月7日には死刑が確定した。そして1987年5月、95歳になっていた平沢は死刑が執行されないまま獄中で病死してしまう。確定死刑囚として32年間の収監というのは当時の世界最長記録だった。

 文豪・松本清張は『小説帝銀事件』や『日本の黒い霧』でこの事件における独自の解釈を綴って話題になったが、関東軍731石井部隊の実験成果を独占するためにGHQが深く関与したという説と平沢貞通冤罪説は、一部のミステリーファンの間ではいまだに根強く支持されている。また、今月刊行された鳴海章著『鬼哭 帝銀事件異説』では、731石井部隊の情報を独占しようとしたGHQを阻止するために、ある機関がかかわったという新しい解釈を展開し話題に。映像作品では、松本清張が前述の作品を完成させるまでの過程をドラマとドキュメンタリーの両面から見せたNHKの「未解決事件」も見応えがある。

 2025年、今もウクライナやイスラエルでは新たな戦火が広がり、冤罪事件や未解決事件も後を絶たない。昭和100年に当たる今年こそ、激動の昭和に起こった出来事を振り返り、未来に向けての考えを見直す良い機会なのではないだろうか。

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