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《”昭和100年”で帰路に立つSL》“里帰り”展示になったSL人吉と引き取り手募集中も苦戦している長野県飯田市

NEWSポストセブン 2025年1月19日 7時15分

 自分の足で歩くことで移動していた人類は、馬に乗ったり車を牽かせるなどして世界を広げ、18世紀初頭に蒸気機関を発明し、さらに移動距離を広げた。日本では明治期に輸入で導入が始まった蒸気機関車は、大正初期以降は国産でまかなわれ、1976年の全廃まで日本各地で活躍した。日本の産業や交通が移り変わる歴史を象徴する存在でもある蒸気機関車は現在、各地で観光用の運転や展示の対象となってきたが、維持管理の難しさからどちらも存続が難しい例が増えている。ライターの小川裕夫氏が、引退後の道が決まっている「SL人吉」と、保存が難しくなっている長野県飯田市・扇町公園で展示されているSLについてレポートする。

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 2025年は昭和100年にあたる。1872年の鉄道開業時から蒸気機関車(SL)は活躍してきたが、全国に路線網が広がっていった昭和期にSLの活躍は目覚ましかった。つまり、SLは昭和の鉄道史を彩った主役といえる。しかし、1945年に第2次世界大戦が終わって間もなく、戦後の早い段階から国鉄はSLの全廃を目指していた。なぜか。それは、燃料の主役が石炭から石油や天然ガスへと転換が始まり、脱石炭の流れが国内で加速したからだ。

 国鉄は1958年に動力近代化調査委員会を発足し、SLの全廃を目指した。こうして国鉄各線からからSLが姿を消していく一方で、実用的な輸送というより、SL乗車そのものが商品となる形の復活運転が始まる。1976年には静岡県の大井川鉄道がSLを観光客誘致の目玉として復活運転。国鉄も1979年に山口県の山口線で復活運転させた。

人吉市へ「里帰り」したSL人吉

 各地で様々な形でSLの復活運転が行われるなか、JR九州も1988年に実施。JR九州が復活させたSLは2009年から「SL人吉」として活躍し、2024年3月にラストランを迎えた。「SL人吉」は熊本駅―人吉駅間を走っていた列車だったこともあり、現役を退いた後は人吉市に引き取られている。

「SL人吉が引退するという話は関係者から内々に聞いていました。引退後、引き取り手がいなければ車両が解体されてしまう可能性がありました。SL人吉は人吉市の地域活性化に大きく貢献した列車で、人吉市民にとっても大事な車両です。解体されてしまうのはしのびなく、取る物も取りあえずJR九州に引退後は引き取ると掛け合いました」と説明するのは熊本県人吉市交通政策課の担当者だ。

 人吉市の申し出に対して、JR九州は快諾。SL人吉は2024年11月に故郷ともいえる人吉市へと里帰りを果たした。

「現在、引き取ったSLは人吉駅前の駐車場で仮の展示保存をしています。仮の展示保存ではありますが、風雨から車体を守るために仮設のテントを張っています。今後は正式な展示スペースを確保して格納庫も整備することを目指していますが、具体的なことは決まっていません」(同)

 人吉市ではSL人吉の勇姿を長らく伝えるために、最終的には「空気圧縮による動態保存を考えています」という。

飯田市は引き取り手を募集中

 大井川鉄道を皮切りにSLは沿線外から利用者を呼び込むという観光列車の役割を色濃くしたが、観光列車として再び線路を走ることができた車両は多くない。

 最盛期の国鉄はSLを4000両保有していたと言われる。その多くは廃車となり解体されたが、幸いにも各地の自治体や博物館、地元団体の有志によって引き取られた車両もある。引き取られた車両は駅前広場や公園といった公共スペースに展示保存された。

 保存展示されたSLは国鉄OBを中心とするボランティアスタッフなどによってメンテナンスを施されたり、自治体が維持管理に努めてきた。しかし、近年はボランティアスタッフが高齢化したことによってメンテナンスが行き届かなくなっている。自治体財政の逼迫という理由もSL保存には逆風で、最近ではメンテナンスされないまま放置されることは珍しくない。

 長野県飯田市の扇町公園に保存展示されていたSLも維持管理が難しくなったことから、このほど引き取り手を募集することになった。

「扇町公園のSLは、1972年に地元のライオンズクラブが国鉄から無償譲渡された車両で、2024年6月にライオンズクラブから市に無償譲渡されました。すでに50年以上が経過して車両の老朽化も激しく、雨除けの屋根などもないので維持管理も行き届いているとは言い難い状況でした。そのため、車両の劣化は激しく塗装も剥げ落ちていました。このまま同地で保存することは難しいと判断し、引き取り手を募集することにしたのです」と話すのは、飯田市商業観光課の担当者だ。

 SLが展示されている扇町公園は、飯田市動物公園と隣接した場所にある。週末や長期休暇には多くの人出でにぎわう場所なので、動物園との相乗効果も期待できそうだが……。

「扇町公園と動物公園は隣接していますが、その間には道路があり敷地は一体化していません。また、動物公園には多くの親子連れが来園しますが、SLは道路に面した区画に展示されているので子供を遊ばせにくいという難点があります」(同)

 市は1回の塗装に約300万~500万円の負担が発生すると試算し、その塗装費用を調達するためにクラウドファンディングも検討した。しかし、資金調達のメドが立たないという理由で断念した。

 飯田市が引き取り手を募集したSLは、無償で譲渡するが移設費用などは引き取り手の負担で、引き取ってから約3年間は多くの人が鑑賞できるような状況を保つことが条件として課されている。また、飯田市外からの応募も受け付けている。飯田市の譲渡条件は決して厳しいものではなく、以前だったら各地から応募が殺到したことだろう。しかし、今は状況が違う。応募状況は思わしいとは言えず、このまま引き取り手が決まらなければ解体する予定だという。

 昭和の鉄道業界のみならず貨物輸送などを通じて日本経済を牽引してきたSLという勇者たちは、昭和100年という節目にあたって静かに姿を消そうとしている。

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