1995年に起きた阪神・淡路大震災から、この1月17日で30年となる。1918年に設立された神戸市長田区・大正筋商店街は、震災による火災で9割の店舗が焼失する壊滅的な被害を受けた。
この商店街は、1950年代に戦後の黄金期を迎えた。当時は100を超える店が並び、夕方には多くの人で賑わったという。そんな商店街の姿は、震災で一変した。
同商店街で1979年から続く茶販売店「味萬」を営む伊東正和さん(76)は被災以来、店とともに商店街の復興に尽力してきたが、「30年経った今こそ、言いたいことがある」と語気を強めた。
「神戸市の西区にある自宅で仕事の準備をしていたら、遠くの方から、ドドドーンと、地面がうなる音が聞こえたんですよ。それが近づいてきたなと思ったら、ドーンと、下から突き上げるような揺れがきた。外も真っ暗で、何が起こったかわからないんですけど、とにかく感じたことのない揺れでした。
すぐ店を見に行こうとしたんですけど、もう全体が真っ赤に燃えてて、熱風がすごくて近づくこともできない。その後、目にした親父の家は全壊していました」
3人の子供がいた伊東さんは、「何よりお金がないのが問題だった」と当時の窮状を明かした。翌月には店があった場所にベニヤ板のテーブルを設置し、露店でお茶を売り始めたという。
その後、伊東さんは2012年には商店街の理事長に就任(2022年に辞任)し、商店街全体の復興に尽力。だが今もかつての活気は戻っていない。高齢化が進み、店の数が激減したのだ。
「これまで言ってこなかったけど、30年経った今こそ、言いたいことがあるんです。神戸市は再開発でたくさんの事業をやってきたけど、まちづくりはうまくいっていないでしょう」
「通行人はいるけど買い物する人がいない」
神戸市は当時、復興に向け、市の中心街・三宮に次ぐ副都心として長田を再生させようと、大規模な再開発事業を実施した。在阪ジャーナリストの話。
「2000億円以上の事業費をかけ、19万9000平方メートルに計44棟のマンションや商業ビルを整備するなどの再開発計画を立てたが、市が指定した再開発エリアはあまりに広かった。地権者との交渉が長引き、民間への売却はなかなか進まず、その間に地価は値下がりしていった。
市は2024年11月、震災から30年を迎える直前に事業完了としたが、商業用スペースは半分以上が売れ残っている。結果、事業全体で300億円以上の赤字となっています」
伊東さんは「通行人はいるけど、お店に買い物に来る人はほとんどいないでしょう」と嘆息する。
「マンションをたくさん建てたと市はアピールしているけど、まず人が住むには街に人の活気がなければダメでしょう。結果どんどん人が外に流れて、街は高齢者ばっかりになっている。
市の事業担当者も、3~4年でコロコロ担当者が変わるんですよ。引き継ぎもちゃんとしてないから、こっちは全てイチから説明しないといけない。しかも僕らと話すときに、紙の資料を持ってこないんですよ。口頭でのやり取りになるから、一向に話が先に進まなかった」
伊東さんは商店街の人々に話を聞きながら、震災当時の様子を膨大な資料にまとめて保管しているという。
「能登の震災の復興が進まないのを見ていても、我々の教訓が活かされていないように見えてしまう。斎藤(元彦・現兵庫県知事)さんとは合計3回会いましたが、実際に商店街を一緒に歩いて、熱心に耳を傾けてくれた。
復興は15年後、30年後に答えが出るものだと思います。行政は誠意を持って対応してほしい」
阪神・淡路大震災の被害は、まだ終わっていないのだ。地震大国・日本に住む私たちは、被災者たちに心を寄せるべきだろう。
●取材:加藤慶
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