1月17日で阪神・淡路大震災の発生から30年になる。歳月の経過とともに、当時の様子や教訓を伝えるのが年々難しくなるなか、世代を越えて自らの体験や被災者らの話を語り継いできた人がいる。兵庫県・淡路市にある北淡震災記念公園の総支配人を務める米山正幸さん(58)だ。
同公園の施設「野島断層保存館」は、震災から3年経った1998年にオープン。震災で地表に現れた活断層の一部を展示しており、当初は多くの客が訪れた。米山さんは29歳で被災したのち、鉄工所と鮮魚店での仕事を経て、記念公園の職員になった。
「オープンした3日後に明石海峡大橋が開通したこともあって、観光客や修学旅行生がたくさんきてくれた。1年目は年間で282万人来ているんですよ。1日の最高人数は2万6000人。当時は人手が足りなくて、町役場の職員が出向で何人も手伝いに来ていました」(米山さん、以下同)
自宅で家族とともに被災した米山さんは、当時の様子を語る「語り部」としての活動を、現在に至るまで続けている。
「最初、人の前で自分の体験を話すのは性分的にも向いていないなと思ってたんです。だけど、愛する人を失ったり、ショックで自殺してしまったり、いろんな思いをした人がたくさんいて、やっぱりこんなことはもう起きてほしくなくて。きちんと起きた事実というのを伝えることにしたんです。
自分1人だけの語り体験では、あの日あったことの全部は伝えられない。それで、被災者の体験談を聞いて回ったんです。多分100人以上は聞いてると思います。
ある人は火事でお母さんを亡くして、お父さんもそのショックで1年後に自殺してしまった。そのことを僕は『語り部』として話していいのかと、その人に直接聞きに行ったんです。そしたら、『ほんまにあったことやし、お父さんもお母さん助けられんかったことを悔やんでた。ほんまやから、言うてよ』と言ってくれて。人から聞いた話は、基本的に『話していいか』と許可をもらうようにしてる。自分も聞くのは辛いけど、そういう思いが話す覚悟に繋がるというか、活動の背中を押してくれている気がします」
当時生後2ヶ月だった娘も「語り部」に
あれから30年が経過したいま、施設の利用者は減少。2023年度の利用者は13万人ほどになった。同時に当時の体験を伝える『語り部』の数も、減少傾向にある。
逆風の一方で米山さんは、『語り部』活動は「体験者じゃなくてもできるというのがポリシー」と力を込める。
「『体験者じゃないと話せない』という人も、当時からいっぱいいました。でも、話を聞きたいという人がいてくれている以上は、自分が体験したかどうかは関係ないと思う。これは当初からブレません。いずれ、体験した人はいなくなってしまうじゃないですか。
字で記録してもいいし、映像で記録してもいいと思うんですけど、『語り部』という残し方は、会話で当時の記憶を引き継いでいくやり方だと思う。話してる時の行間とか、表情とか、そういうのを感じて受け継げるものだと思うんです。だから、体験していない人に思いを受け継いでもらうことは、とっても重要なことだと思う」
震災当時、生後2か月だった米山さんの娘・未来さん(30)は父の思いを受け継ぎ、現在「語り部」として活動している。もちろん被災当時の記憶はなく、まさに「経験のない語り部」だ。SNSでの配信ライブなどを活用する娘の姿は、米山さんにも眩しく映る。
「話を聞いた人が、何かひとつでも、気づいたり感じたりすることがあれば、それでもう正解だと思うんです。いろんな人がいろんな人に伝えて、当時のことを考えるきっかけになればいいなと思います」
今日も米山さんは娘とともに、多くの被災者の思いを背負って、記憶と教訓を伝えている。
●取材:加藤慶
◆NEWSポストセブンでは、1月17日の朝から24時間にわたって『阪神・淡路大震災30年特集』としてトップページ「TOP VIEW」コーナーで震災関連記事を掲載する企画を実施しています。