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浅野ゆう子×横山剣「堀越高校同級生」対談 修学旅行に取材班が同行、卒業式にマスコミのカメラがずらり…改めて振り返る“風変わりな学園生活”

NEWSポストセブン 2025年1月23日 6時59分

 多くの芸能人が通う学校として全国的にその名が知られる堀越高校(東京都中野区)。トレンディドラマの女王として一世を風靡した名女優・浅野ゆう子と、ソウルフルな歌声で「クレージーケンバンド」を率いるミュージシャン・横山剣も同校に通い、しかも同級生だったという。約半世紀の空白を経て、2人がお互いの現在・過去・未来を語り合う。【前後編の後編】

修学旅行にも卒業式にもカメラ

横山:学業と仕事の両立は、やはり大変でしたか。

浅野:ええ。歌手や俳優だからといって、宿題を免除されるような優遇はありませんでしたし。

横山:浅野さんは、成績が学年トップだったと聞いたことがあります。

浅野:そうでしたっけ?

横山:担任の先生に、ホームルームで発破をかけられました。「芸能の仕事もしている赤澤裕子(本名)さんが、あんなに好成績を上げてるんだから、時間がたっぷりあるお前らはもっと頑張らなきゃダメだ!」って。

浅野:でも、いざ高校を卒業するに際しては、いろいろと融通を利かせてくださいました。

横山:例えば?

浅野:必要な出席日数が足りないとなった場合は、まとめて補習を受けることができたんです。

横山:はいはい、覚えています。ホームルームの後、遅くまで残って補習を受けるんですよね。

浅野:あの頃、芸能の仕事をしている生徒に対して理解のある学校といえば、堀越と日出女子学園(現・目黒日大)ぐらいしかなかったような。

横山:そうでしたよね。

浅野:卒業できて心から感謝しています。ちなみに剣さんは、修学旅行ではどこに行きましたか。

横山:作曲家になる夢が叶わぬことを悟り、高2の夏に中退しちゃったんで、修学旅行には間に合ってないんですよ。

浅野:あら、そうだったんですか。堀越の修学旅行って、当時としては珍しく、国内外の3か所から好きな行き先を選べたんですよね。

横山:そう。ハワイ、韓国、北海道でした。浅野さんはどこへ?

浅野:北海道です。仕事の都合で途中から参加したんですが、しっかり「明星」の取材班が同行しました(笑)。

横山:何といっても、堀越の学園生活で鮮烈に記憶に残るのが、文化祭。中野サンプラザホールで、本物の歌手のステージが披露されるんですが、出演者は全員、卒業生か在校生。ああ、いい学校に来たもんだな、と痛感しましたよ(笑)。

浅野:私も出てました。

横山:あのファンキーなステージ、忘れられません。当日は、どんな気持ちで歌っていたんですか。

浅野:普段の学園生活では口酸っぱく高校生らしくせよ、と諭されているのに、文化祭では芸能人として振る舞うことになる。何か矛盾してるんじゃないかなあ……と思いましたけどね(笑)。

横山:卒業式も中野サンプラザでしたよね。

浅野:マスコミのカメラが並んでいる卒業式って、他にはありえない(笑)。

横山:ちなみに、入学式は昔の渋谷公会堂でした。どちらも、コンサート会場として親しんでいた場所だったから、何だか不思議な気分でしたよ。

浅野:改めて振り返ると、ずいぶん風変わりな学園生活だったのかも。

一芸に秀でていれば、それでいい

横山:堀越を卒業した浅野さんは、歌手のみならず、さまざまな分野へと翼を広げていきます。

浅野:いえ、実際のところは、迷走が続いていました。周囲のスタッフが持ってきてくれた、いろんなタイプの楽曲にトライしたものの、なかなか結果には結びつかず……。

横山:僕は20歳の浅野さんがリリースした『半分愛して』というシングルが大好きなんです。AORサウンドにのせたウィスパー風のヴォーカルにしびれましたね。

浅野:マニアックな楽曲をご存じですね。あまり売れなかったのに(笑)。

横山:作詞は康珍化さん、作曲は林哲司さん。現在のシティポップブームにおいて鉄板とされる黄金コンビです。海外のクラブでも、この曲の人気が高まっているんですよ。

浅野:初耳です! じゃあ、TikTokか何かで歌ってみたら、結構な反応があったりするのかしら。

横山:ぜひ! 浅野さんが俳優一本でやっていくと決意したのは、いつのことだったんですか。

浅野:20代中盤ですね。いろいろな取材で「あなたの本業は何ですか」と聞かれることが増えた頃かなぁ。歌手なのかタレントなのか、それともモデルなのか、と問われた時、私には、はっきりと返すことのできる答えがなかったんです。

横山:マルチな才能の持ち主ならではの悩みとも言えそうですけどね。

浅野:その時に、今後は“女優”と名乗りたいと思ったんです。今では男女問わず“俳優”という言い方が主流ですが。

横山:俳優としてやっていける自信は、いつぐらいから湧きました?

浅野:20代後半、トレンディドラマと呼ばれる作品に何本か出演するうち、演技者としての自覚がほのかに芽生え始めました。

横山:浅野さんは、トレンディドラマの代名詞。『君の瞳をタイホする!』『抱きしめたい!』といった主演作品は、一世を風靡しました。

浅野:そんな流れの中で迎えた30代の10年間は、ただがむしゃらに、いただいた仕事をこなす日々でしたね。第2のアイドル時代みたいに、寝る暇もなく過ごしたものです。

横山:ご活躍でしたねえ。

浅野:そして、40代に差しかかる頃、ふと不安に襲われたんです。

横山:四十にして惑っちゃったわけですね。

浅野:その頃、仲良くさせていただいていた野際陽子さんに相談したんです。「手に職があるわけでもないし、資格を持っているわけでもない。私は、どんな風に生きていけばいいんでしょうか」って。

横山:その答えは?

浅野:「あなたは、一芸に秀でているんだから、それでいいの」。その言葉が、本当にうれしくって。

横山:NHKのアナウンサーから女優へと華麗な脱皮を遂げた野際さんの言葉、さぞかし説得力があったことでしょうね。

浅野:そうなんですよ。このまま続けていく自信をいただきました。

横山:浅野さんは、芸能生活50周年を記念するショーを開催しますよね。

浅野:そうなんです。東京と大阪の2会場で1回ずつ、「KANSYA」と題した公演を行ないます。

横山:楽しみですね。人前で歌声を披露するのは、相当久しぶりでは?

浅野:かれこれ、30年ぶりぐらいになるかも。これまで、ミュージカルのオファーもお断わりしていたぐらいですからね。

横山:めちゃくちゃレアな機会じゃないですか!

浅野:これは、私にとって一つのけじめ。ここで歌い納めて、51年目のスタートにしたいと思っています。

横山:そんなこと言わず、これからも歌い続けてほしい。お願いしますよ!

(前編から読む)

【プロフィール】
浅野ゆう子(あさの・ゆうこ)/1960年、兵庫県生まれ。1974年に『とびだせ初恋』で歌手デビュー。同年のドラマ「太陽にほえろ!」で俳優デビュー。1980~1990年代のトレンディドラマのブームを担い、1995年に公開の映画「藏」では第19回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。主な出演作はドラマ「君の瞳をタイホする!」、「大奥」、大河ドラマ「功名が辻」など多数

横山剣(よこやま・けん)/1960年、神奈川県生まれ。1981年にクールスRCのヴォーカル兼コンポーザーに抜擢されデビュー。1997年春、地元本牧にてクレイジーケンバンド(CKB)を結成。これまでに数多くのアーティストにも楽曲を提供し、自他共に認める東洋一のサウンドマシーンとして活躍。ニューアルバム『火星』が発売中。火星ツアーで精力的に全国行脚中

構成/下井草秀 撮影/朝岡吾郎

※週刊ポスト2025年1月31日号

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