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本谷有希子氏、約10年ぶりの長編小説『セルフィの死』インタビュー「昔は勘違いしても糾されなかっただけで、全て比較できる今は勘違いさえできない」

NEWSポストセブン 2025年1月24日 7時15分

 2000年代。劇作家で小説も書き、自らの劇団まで主宰する表現者・本谷有希子の出現は、各ジャンルを越境する1つの事件となった。その後芥川賞作家となり、2児の母ともなった彼女は、最新作『セルフィの死』で自意識や承認欲求の問題と再び向き合うことになる。

「この歳にもなって恥ずかしいんですけど。ただ、私達の頃に比べると、やはり今はSNSの存在が若い子達の自意識に影響を与えていないはずはなく、自分の中で最もコアだった主題を今の自分が書くとどうなるかも含めて、一度原点にかえってみることにしました」

 主人公は〈ミクル〉、またある時は〈勘解由小路〉や〈イオキベ〉や〈大右近〉等、複数の偽名を使い分けている〈私〉。自撮り仲間の〈ソラ〉と〈双子コーデ〉で決め、人気店を訪れては写真をアップする彼女にはフォロワー数こそ命であり、〈私はマウントを取ったり迷惑をかけたりすることでしか他者の存在を確かめることができない〉と、自覚もしているのが切ない。やがて彼女は願う。〈もう二度とSNSができない身体にしてほしい〉と。

 表題は自撮りのこと。

「私がまさにこの中に出てくるようなお店で書き物をしていたら、隣の子が突然自撮りを始めたんですよ。それが明らかに場違いで、不快は不快なんですけど、なぜ撮っちゃいけないのかと訊かれたら、私ちゃんと答えられないなあと思って。

 このうっすら不快で迷惑で、なのに何も言えない感じを言語化したいと思ったのと、もし彼女達にこちらからは想像もつかない、それこそ〈パンケーキと撮影できないと死ぬんです、私達〉というような事情があるのなら、それを彼女達の側から書いてみたいと思ったんですね。

 昔は私も自分の自意識のことで興味が完結していて、自分はなぜこんなに滑稽なのかというのが出発点だった。でも最近はその滑稽な自分や人間を形作る社会の側に興味があるんです。

 今の子は一見スマートだし、自意識もあまり表に出さないけれど、イイねの数とか数値で可視化されるぶん、切実に苦しいんじゃないか。それって昔はなかった苦しみですし、なぜ今の子達がイイねやフォロワーの数を生きてていい資格のように捉えるようになったのか、現代人の自意識の変容についても書いてみました」

 本作は原宿、池袋、新宿、浅草等々、東京都内の人気スポットを訪れた主人公が行く先々で誰かしらと会い、発見もするが傷付きもする、全6話で構成される。

 例えば自分を「ミクルちゃん」と呼ぶソラと乃木坂の人気カフェで会う約束をしていたある日、〈バグった地図〉のせいで道に迷った私は思う。〈Googleマップは常に私を欺き続ける〉〈私がどこにも辿り着かないように陰謀を企て続ける〉……。しかたなく私はそこから最も近い洋菓子店でソラを待つことにし、自分達を排除しようとした〈邪悪なウェイトレス〉に食ってかかるのだ。

〈店員に横柄にすると世界が少しだけモリッとする〉〈しょうもないマウントを取るために、私は今日も私の生を無駄にする〉〈どうして私はあらゆることが全て自分を貶めるための策略、という妄想から逃れることができないのだろう〉

 またある時は自然食系の会合で知り合った先輩女性〈マッスーさん〉がSNSにあげていた文鳥の写真を、抗鬱剤の服用中に無意識に流用。指定された謝罪場所に向かう道中、正しい謝り方をSNSで検索した私が、結局はそれも見透かされて土下座する羽目になるなど、全てがよくできた喜劇にも生き地獄にも思えてくる。

「実は私も発売日の1週間前にXを始めたんです。ヤバい、もう本が出ちゃうって、大慌てで(笑)。だから彼女達の気持ちは今はまだわからないかもしれない。でも、理解したいとは思っている。特にこのフォロワーが欲しいというような、あらゆる物事がタグ付けされる中でどこにも分類してもらえず、軽視されがちな個人の苦しみを、私はひたすら描写を積み重ねることで理解し、できるだけ偽善的じゃない形で肯定したいんです。

 傍目には下らない悩みに見えても本人達は切実で、自分なんか要らないとすら思ってしまう。そうやって自分や人間について考えてしまうのが人間らしさだとしたら、その人間らしさを手放して、数字だけが真理だって割り切れるソラみたいな子が、たぶん現代では社会的強者なんです」

今SNSによって何が起きているか

 その後も誰かに期待しては失望することを繰り返し、〈私の玉ねぎはとても繊細な玉ねぎです〉〈社会に無理矢理迎合するような真似をすると皮が剥け、鍋の中で溶け始めます〉と、ソラにすら言えずにいる私は思う。〈誰かと関係を持ち、その摩擦で玉ねぎを傷つける〉〈私は一体何がしたいのだろう〉〈玉ねぎを捨てることでしか拓けない世界というものが、あるのだろうか?〉

 そんな中、完全機械化が売りの回転寿司店を訪れた私は、子供客の迷惑行為を動画で告発するソラの姿が〈憤っている人のコピー〉にしか見えず、思わずスマホをレーンに流してしまう。

 だがそんなデトックス状態も長くは続かず、ソラが投稿した唐あげや餃子といった〈変わり種〉寿司を私が爆食する動画が国内外でバズり、念願のフォロワー1万超えを果たしたことで、再び自撮り生活に戻るのだ。

「人間は自分を変えてまで環境に適合する節操のない生き物で、SNSによって私達の感覚や考え方に今、何が起きているかを記録しておきたかったんです。

 昔は汚いものにこそ本質があるみたいな言い方をしたけど、今は違う。真実は普通に美しく、汚いものは単に見苦しい排除の対象だとか、人間の感覚が物凄い速さで変化している。人間らしさを手放すことでもし本当に幸せになれるんだとしたら、私達はなんて世界に生きているんだろうと思わなくもないですけどね。

 ただ、昔はこうだったと言い張るのも違う。私達は勘違いしても誰にも糾されないから平気だっただけで、今の子達は全て比較できるから勘違いさえできない。そこまで人間が急速なアップデートを求められ、でも簡単には変われずに矛盾を生んでいる渦中を書けることが、なんか、居合わせたなっていう感覚なんです」

〈傷つくことは、私のアイデンティティだ〉と言ってなおも抗う主人公の痛みや、どんな人のどんな生も俯瞰することで、「私達って滑稽だね」と笑いに変えることはできると本谷氏は言う。

【プロフィール】
本谷有希子(もとや・ゆきこ)/1979年石川県生まれ。2000年に「劇団、本谷有希子」を旗揚げ。作・演出を手がけ、2007年『遭難、』で鶴屋南北戯曲賞、2009年『幸せ最高ありがとうマジで!』で岸田國士戯曲賞を受賞。2002年には初小説「江利子と絶対」を発表し、2011年『ぬるい毒』で野間文芸新人賞、2013年『嵐のピクニック』で大江健三郎賞、2014年『自分を好きになる方法』で三島由紀夫賞、2016年『異類婚姻譚』で芥川賞を受賞。著書に『生きてるだけで、愛。』『静かに、ねぇ、静かに』等。161cm、O型。

構成/橋本紀子

※週刊ポスト2025年1月31日号

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