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「町中華」人気の玉袋筋太郎、大事にするのは“打算のない生き方” 50代になり「持ち味が活かせる場所が増えてきた」

NEWSポストセブン 2025年2月1日 15時57分

 何歳まで働けるか、老後の身の振り方など、残りの人生を意識し始める50代。若い頃とは違う焦りや不安に襲われる年代でもあるが、これからの人生をより良く生きるためには、どのような心構えを持てばいいのか。

「“人生の棚卸し作業”が大切」と語るのは、2019年にスタートしたグルメ番組『町中華で飲(や)ろうぜ』(BS-TBS)が人気のお笑いコンビ・浅草キッドの玉袋筋太郎(57歳)だ。「50代には50代にしか持ち得ない武器や味わいがきっとあるはず」と同年代にエールを送る。

 50代半ばを過ぎた玉袋が「美しく枯れる」生き方をテーマに、右往左往しながらも前に進もうと懸命にもがく心境を綴った『美しく枯れる。』(KADOKAWA)より、玉袋ならではの50代の仕事術や生き方のヒントをお届けする。(同書より一部抜粋して再構成)【全4回の第2回。第1回を読む】

 * * *
「美しく枯れる」ということを考えたときに、ふと「発酵」と「腐敗」という言葉が頭に浮かんだ。

 発酵している状態なら絶品となる珍味も、一歩進んで腐敗してしまったらただの腐った食い物になって、腹を下すことになる。

 これは腐敗なのか、それとも発酵なのか?

 ギリギリのラインのところで、「食べられそうだな」って口にしてみる。「あっ、ダメだ」ってペッと口から吐き出すこともあれば、「おっ、意外にいけるぞ」となり、「いやいや、これは病みつきだぜ」って箸が止まらなくなることもある。

 フグの卵巣なんて、本当にすごい食いもんだぜ。元来、毒性が強いのに、数年間糠漬けしたら毒が抜けて信じられないくらいの美味になる。

 若い頃は釣ったばかりの鯛を船上でさばいて、まだ口がパクパクしている状態で躍り食いするような華やかな素材に魅了されたものだけど、50代になったらあらためてこのわたや塩辛の旨みがさらに理解できるようになった。

 人間だってそうだよな。若い頃はとげとげしていて、「売れたい」「儲けたい」「モテたい」と欲望にまみれているのに、「人生」という糠床につかることで毒素が抜けて、いい味が出てくる。

 それこそ、年齢を重ねて蘭奢待のような絶妙な香ばしさとなるのか、それとも単なる加齢臭となってしまうのか──。そこには、天と地の差があるよ。

 そしてこのスタンスは、「50代の仕事術」にも通じるものがあると思う。

 オレには、鯛の躍り食いのような華やかさはすでにない。いや、そもそもなかったのかもしれない。眩しいくらいにキラキラして華やかな芸能界では、強烈な華やかさがないと天下は獲れないよ。

 でも、50代になったことで、ちょうどいい具合に発酵が進んで、ようやく年相応の渋み、辛み、塩みのようなものが評価されるようになってきた。

 その最たるものが、『町中華で飲ろうぜ』だよ。

 最近になって、オレにしかできない仕事、オレの持ち味が活かせる場所が増えてきたように感じている。もちろん、ここで調子に乗ってしまったら、そのままズルズルと「発酵」ではなく「腐敗」となってしまうことも理解している。

 やっぱりさ、50も過ぎればいつだっていい具合に発酵している状態でいたいものだよな。そして、それこそがこの本のなかで何度も伝えている、「美しく枯れる」ということ。

「『町中華で飲ろうぜ』を10年も、20年も続けていきたい」。それは半分冗談で、半分本気でもある。オレがこれから年齢を重ねていくことで、自分でいうのもアレだけどさ、これからもっと円熟味を増していけると思っているんだ。

 そうなったら、もっともっといろいろな表現ができる気がする。若い頃とは違った自分になれそうな気がする。

 最近は、そんなことを痛感している。

むしろ、「これからは新しいことをはじめない」

 街の本屋をのぞいてみると、「50代の生き方」に関する本がたくさん並んでいる。ちょっと気になってパラパラめくってみたのだけど、たいてい「老後に備えて新しい趣味を見つけよう」なんてことが書いてある。

 趣味というのは、いわば人生の潤滑油のようなものだから、新しい趣味を見つけることは大切なことだよ。でもさ、「絶対、新しい趣味を見つけなくちゃ」って、血眼になって探すようなものでもないよね。

 だから、オレの場合はむしろ「これからは新しいことをはじめない」という意識で生きていこうかなと思っている。

 もちろんオレも、以前は「新しいことをはじめよう」としょっちゅう考えていたよ。

 雀荘の息子なのにマージャンができなかったから、「本格的に勉強しようか」と覚えてみようとしたこともある。まわりの人間の多くがゴルフをやっているので、「ゴルフでもやってみるか」と考えたこともある。

 ほら、マージャンにしてもゴルフにしても、その世界の人たちで通じる独特のボキャブラリーとか、比喩表現とかがあるじゃない。それを身につけることは芸人としてもマイナスにならないし、なによりも交友関係が広がって、それが仕事につながる可能性だってあるもんな。

 ただ残念なことに、いざはじめてみても結局は長続きしなかった。

 そりゃそうだよね。だって、動機が不純なんだから。心から、「やりたい」と思ったことじゃないんだからさ。

 ものごとは打算があったらダメなんだよ。ズルしちゃいけない。

 そう考えたら、「だったら、別に新しいことをはじめなくてもいいや」って気づくことができた。だって、オレにはすでに大好きな居酒屋があり、スナックがあり、町中華がある。家に帰れば好きな映画を観たいし、プロレスの名勝負のDVDも観たい。競輪専門の放送『SPEEDチャンネル』を観て、選手の脚の状態を欠かさずチェックしなくちゃいけない。

 オレには、やるべきことはたくさんある。そんなに興味もないのに、無理して新しいことなんかはじめている時間なんかないよ。

 若い頃に、山本周五郎の作品を読破したことがある。それをこの年齢になって再読すると、当時とはまったく違う感想を抱くんだよね。最近、『樅ノ木は残った』を読み直したのだけど、かつては読み流していた部分もオレのハートにビンビン響いてくる。当主を引き立てる家臣の目線が理解できるようになったからだよ。

 映画『男はつらいよ』も20代の頃から数えきれないほど観ている。でも、50代になったいま、寅さんの気持ちがもっと理解できるようになったし、グサッと深く刺さってくる。オレもそれなりに人生経験を積んだことで、一箇所に定住できない寅さんの悲しさ、「家庭を持つ」という人並みの幸せを手にできない悲哀がよくわかるんだよ。さすがだよな、山田洋次監督は。

 プロレスなら、正直いってむかしはジャイアント馬場の素晴らしさがいまいちピンときていなかった。断然、アントニオ猪木派だったんだ。だけど、自分も50代の半ばを過ぎ、芸人の世界でもベテランの域に差しかかってみると、馬場さんの渋さや佇まいに魅了されるようになってきた。馬場チョップも16文キックも最高だよな。

 いまのレスラーには、「椰子の実割り」なんて技は決して使えないだろう。

 なぜそんな心境になれたのかといえば、人生経験を積み50代になったことで、つまり「年齢」が「物語」を補完できるようになったからだと思う。だからこそ、いまから新しいことをはじめるよりは、すでに手にしているものをもういちど見直してみることって、意外と大切な気がする。

 それこそ「牛の反芻」じゃないけどさ、新しいことよりも、すでに経験したことをもういちどじっくりと味わい直す。そのうえで、新しいことをはじめても遅くないよ。

 若い頃と比べたら、確かにもの覚えは悪くなっているし、新しい言葉もすんなり頭に入ってこない。「サブスクリプション」だ、「ローンチ」だって横文字でいわれても、なんだかピンとこないもの。

 仕事だって趣味と同じだよな。さらなるステップアップを目指して、新しい資格取得のために努力するのはとても立派なことだよ。

 でもさ、「新しいなにか」を獲得する前に、もういちど「自分はなにを持っているのか?」という“人生の棚卸し作業”も、これからは大切になってくるんじゃないかな?

 自分ではあまり気づいてない、50代には50代にしか持ち得ない武器や味わいがきっとあるはずだから。

 新しいことは次の世代、若い世代に託して、オレたちはオレたちが持っている武器で仕事に臨んだほうがいいと思わない?

 むしろ、そのほうが「勝ち目」がある。

 オレはそう思うよ。

(第3回に続く)

 

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