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玉袋筋太郎、妻に逃げられたことを告白 LINEはブロックされても「アナログ」でつながる不思議な関係

NEWSポストセブン 2025年2月2日 10時58分

 
 

 円満な夫婦関係を維持させるのは難しい。長年連れ添った夫婦であればなおさらだ。幾度の危機を乗り越えて、より強い信頼関係や安心感が育まれていくこともあれば、次第に関係の修復が難しくなるケースもある。

「オレはカミさんに甘え過ぎてしまっていたんだね」。そう告白するのは30年ともに過ごした妻に出て行かれたという、お笑いコンビ・浅草キッドの玉袋筋太郎(57歳)だ。妻に愛想を尽かされても、その関係は完全に切れたわけではないという。

 50代半ばを過ぎた玉袋が「美しく枯れる」生き方をテーマに、右往左往しながらも前に進もうと懸命にもがく心境を綴った『美しく枯れる。』(KADOKAWA)より、玉袋と妻との不思議な関係をお届けする。(同書より一部抜粋して再構成)【全4回の第3回。第2回を読む】

 * * *
 ある朝、目覚めたら、犬と鳥とカミさんがいなくなっていた──。

 まるで不条理小説のような書き出しではじめてしまったわけだけど、これは本当にオレの身に起こった「不条理」なんだ。いや、自作自演の三文芝居といったほうがいいかな。

 これはまだ、どこでも話していないプライベートなことなのだけど、せっかくオレなんかの本を読んでくれている読者のみなさんに対して、ずっと隠し続けることは心苦しかったので、いまこの場ではじめて告白させてもらうことにした。

 オレは、カミさんに愛想を尽かされて逃げられた。

 この本のテーマである、「美しい枯れ方」にも通じる出来事だから、こうして恥も外聞もなく、正直な思いを語らせてもらうことにするよ。

 オレがいま経験していることは、必ずみなさんの役に立つと思う。もちろん、反面教師としてね。絶対に、オレみたいになっちゃいけない。オレの姿を見て、我が身を振り返ってほしい。

 そりゃあさ、カミさんが出ていった理由はいろいろあるよ。

 ただ、ひとつだけいえるのは、オレはカミさんに甘え過ぎてしまっていたんだね。

 ちょうど芸人として勢いが出てきた20代の頃に知り合ったもんだから、家庭よりも仕事中心の生活をずっと続けてきた。付き合いも多いし、みなさんもご承知のように、オレは酒が大好きで、いつもベロベロに酔っ払っていた。それはいまでも変わっていないのだけどさ。

 オレなりに、カミさんも息子も大切にして、精一杯の愛情を注いできたつもりだったけれど、やっぱり、世間がいう「いいお父さん」には遠かったよな。

 要するに、これまでずっと好き勝手に生きてきたオレに対して、カミさんの堪忍袋の緒が切れてしまったんだよな。

 マグマが爆発する前に、たくさんの予兆はあったはずだよ。けれども、そんなことになにも気づかずに、オレは自由気ままな生活を続けてしまった。

 そりゃあ、怒るって。

「仏の顔も三度まで」というけれど、「三度」どころじゃないもの。原因はすべてオレにある。ただただ、「自業自得」という言葉しか浮かばないよ。

 これまでオレが、何度もカミさんにいっていた台詞がある。

「オレが最後まで面倒を見るから心配するな」

 その台詞の裏側にあったのは、「だから多少の遊びには目をつむってくれよ」という傲慢な思いだったのかもしれない。都はるみと岡千秋の『浪花恋しぐれ』って歌があるじゃない。まるで、その歌詞の一節だよ。

 東京・新宿生まれ新宿育ちの生粋の東京人なのに、ついつい浪花の芸人の生き様と自分を重ね合わせて粋がっていた。

 でも、こうしていざ目の前から姿を消されてしまうと、一気に現実に引き戻されたような気がした。まるで、フェデリコ・フェリーニの『道』(1954年作品)の世界だよな。ジェルソミーナの死を知って砂浜で嗚咽しているザンパノこそ、まさにオレの姿だった。

 コロナ禍に世界中が揺れていたときのこと。緊急事態宣言が発出され、仕事もなくなり、ずっと家に引きこもっていた頃、オレはザンパノのようにただただ部屋で打ちひしがれていた。

 この頃、近所のスーパーでよく出くわす近所のおじさんに会ったときにいわれたよ。

「最近、奥さんの姿を見ないね?」

 内心では「ギクッ」としたよな。さすがにおじさんも、「ひょっとして、奥さんは床下に埋められているのかもしれない……」なんて邪推はしないと思うけれど、やっぱり見ている人は見ているものなんだよ。

オレとカミさんとの不思議な関係

 自業自得でメタメタに打ちのめされていたのだけど、実はカミさんとの関係はまだ完全に切れたわけじゃない。

 カミさんが出ていって、もう5年が経った。まだ籍は残っているし、日常の身の回りの世話も献身的にやってくれる。いまでもオレが仕事に行っているあいだに、カミさんはひっそりと我が家にやってきて、洗濯や掃除をしてくれている。外食中心だから食べることは自分でやっているけれど、それ以外の家事全般はカミさんがやっていてくれるので、なんとか“普通の生活”は維持できている。

 オレの仕事のスケジュールもすべて把握しているから、それこそ地方に出かけるときには、きちんと荷物をまとめてくれて、カバンひとつで出かけられるように準備までしてくれる。そして、いつもメモが置いてあって、そこで簡単な近況報告のやり取りをする。

 電話を鳴らしても着信拒否だし、LINEはブロックされているから、デジタル上のつながりは完全に失われてしまった。

 けれども、アナログでのつながりはかろうじて保たれている。我が家では、競輪場で車券を購入するときに記入するマークカードの裏をメモ用紙代わりにしているのだけど、これまでに数えきれないくらい投票券による往復書簡が繰り返されている。

 ほかの手段としては、せがれの嫁さんに言付けをして代わりに連絡を取ってもらうこともある。直接声を聞いているわけじゃないにせよ、それだけでもホッとするよ。

 そのうち、往復書簡も失われて伝書鳩や矢文や狼煙になるかもしれないけどさ、コミュニケーションツールが残されているだけありがてぇよな。

 カミさんが出ていく前、ふたりで個人会社を発足させた。で、その会社の社長の名義はカミさんだ。会社をつくった途端にいきなり社長が失踪して、波乱万丈の幕開けだったわけだけど、カミさんの偉いところは、オレに愛想を尽かしつつも社長としての業務をまっとうしてくれていることだよ。

 オレは結婚してからずっと小遣い制でやってきた。カミさんからの供給がストップしてしまえば、真っ先にオレはダウンしてしまう。

 だから、兵糧攻めをして、オレを干上がらせることなんて簡単なことなのに、きちんと定額を準備しておいてくれるし、不測の事態が起こったときにもちゃんと工面してくれる。それだけじゃなく、社長でありながらも、会計や経理も担ってくれている。

 ゆっくり対面したり、じっくり話をしたりする機会はないよ。でも、生活面でも仕事面でも、公私にわたって支え続けてくれているのだから、本当に助かるよ。

 もちろんまだ怒っているだろうし、これまでのことを許してくれたわけじゃないのは十分過ぎるくらいに理解している。それでも、かろうじて関係が途切れていないことは、幸せなことだと思う。

 カミさんが出ていってから、こんなオレにも初孫が誕生した。孫の存在もまた、オレたち夫婦の関係をつなぎとめる接着剤の役割を果たしてくれている。

 孫の誕生日やお宮参りに行くときなど、なにかと孫がらみのイベントや行事があるから、そのたびに「じいじ」と「ばあば」は顔を合わせることになるってわけだ。そのときはお互いに気まずさや気恥ずかしさはあるけれど、そのおかげでカミさんの顔を見るチャンスが与えられて、「元気そうにやっているな」って確認できるのは素直に嬉しい。

 まさに、「子はかすがい」ならぬ、「孫はかすがい」だよ。

 ちなみに、孫をあやしながら、「ばあばはどこに行ったのかなぁ? じいじのところに戻ってくるかなぁ?」って、ふざけていっていたら、せがれの嫁さん、つまり義理の娘が「帰ってこない!」って断言していたっけ(苦笑)。

 女同士では連絡を取り合っているんだろうな、きっと。幸いなのは、せがれ夫婦とカミさんとの関係は以前のままであること。いや、むしろ深まっているようにも感じる。「ダメ男」という共通の“悪役”ができたのがよかったのかな?

 で、いまさらながらカミさんの立場でものごとを考えるようになった。

 結婚して30年ものあいだずっと、身勝手な暴君の悪政に耐え続けてきたんだよな。そしてついに堪忍袋の緒が切れて、彼女は「家を出ていこう」という決断を下した。

 きっと、オレに気兼ねすることのないひとりでの生活は楽しいと思う。結婚後はじめて、「自由」というものを満喫しているのかな? 本来ならそのままフェードアウトして自然消滅となってもおかしくなかったし、いきなり離婚届が送られてきたっておかしくなかった。だけど、それでもオレのことを気にかけてくれるんだからさ、やっぱり「感謝」という言葉しか思い浮かばないし、泣けてくるってもんだよ。

(第4回に続く)

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