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「破天荒」「無頼派」を演じてきた玉袋筋太郎、「老害にはなりたくない」 なぜ、“本能のままに生きない”ことが大切なのか

NEWSポストセブン 2025年2月3日 10時59分

 2020年、フリーランス芸人として再出発した、お笑いコンビ・浅草キッドの玉袋筋太郎(57歳)。著書『美しく枯れる。』(KADOKAWA)で、自身の仕事ぶりについて、芸名にとらわれすぎるあまり「破天荒」「無頼派」を無意識のうちに演じてきたことに気づいたと打ち明けている。

 自らを見つめ直すことで、自分の持ち味を生かし「少しくらい身勝手に、好き勝手に生きていいもいいじゃないのかな」とも思えるようになったという玉袋。ただ、それはあくまで仕事の話であり、「ひとりの50代の男」としては、当てはまらないという。

 50代半ばを過ぎた玉袋が「美しく枯れる」生き方をテーマに、右往左往しながらも前に進もうと懸命にもがく心境を綴った同書より、50代からは「身勝手に生きない」理由をお届けする。(同書より一部抜粋して再構成)【全4回の第4回。第1回を読む】

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 そもそもオレ自身が迷ったり、つまずいたり、試行錯誤したりを繰り返している。毎日をどうにかこうにか生きているのだから、そう簡単に真の正解は見つからない。

 だけど、50代を迎えてすでに5年以上が経過して、いまでは「アラフィフ」というよりも「アラ還」として、いよいよ還暦という大台も視野に入ってきた。明確な答えこそないものの、「これからはこうして生きていこう」と考えていることはある。

 じいさんのキンタマ袋のように美しく枯れるために、現在のオレが考えていることをツラツラと述べていくよ。「オレも、そう思うよ」と頷いてくれることもあれば、「それは違うよ、玉さん」となることがあるかもしれない。

 そんなこんなで、ひとまずはオレの考えを書いていこう。

 中高年向けの自己啓発本には、しばしば「50代からは自分勝手に生きてみよう」と書かれている。「会社でも家庭でもさんざん我慢して生きてきたのだから、そろそろ自分に素直になって好き勝手に生きてもいいのでは?」という意味だよな。

 でも、その考えに賛成できないオレがいる。

 オレ自身の話として「玉袋筋太郎という名前に縛られずに、もう少し身勝手に、好き勝手に生きてもいい」と書いたよな。でもそれは、あくまでも芸名にまつわる話であって、ひとりの人間としての話じゃない。

 芸人としては、自分の身の丈に合った「いまのオレだからできる笑い」を追い求めていきたいから、いままでよりも身勝手に自分勝手に生きていくつもりでいる。そして、家庭ではもちろん「カミさんファースト」の精神を忘れずにいたい。

 だけど、「ひとりの50代の男」としては、「身勝手に生きない」ということを目標にしたい。

 それこそさ、昭和の時代には、「偏屈ジジイ」とか、「頑固親父」がたくさんいて、煙たい存在ではあったけれど、それはそれでためになることもあったし、懐かしい思い出もたくさんある。

 だけどいま現在、いわゆる「老害」と呼ばれるおっさんたちを見ていると、あまりにも身勝手過ぎて「ああはなりたくねぇ」と感じることが多いよな。

 そこでオレも考えたよ。「これからは、身勝手に生きるべきか、それともおとなしく謙虚に生きるべきか?」って。

 そこでようやく、「芸人としてはもう少し身勝手に、一社会人としては謙虚に」という結論を得た。

 オレ自身の半生を振り返ってみると、40代までは好き勝手に生きてきた。博士と一緒に「これがお笑いなんだ!」という根拠のないプライドを持って、浅草キッドの漫才をひたすら追求してきた。

「漫才で天下を獲ったぜ」と胸を張っていえるわけでもないし、「別にそんなに売れなくてもいいよ」という開き直りがどこかにあったともいえる。それでも、「自分たちの目指しているものに間違いはない」という、そんな揺るぎない自信だけは持っていた。

 かつての自分を否定することはしないよ。だけど、「もう少し柔軟性があってもよかったのかな?」と反省することがある。「もっと人の意見に耳を傾けてもよかったのかもしれないな」ってね。

 そうしていれば、いまとは違う現実が訪れていたかもしれない。そんなことをいってもはじまらないよな。

 還暦もはっきりと視界に入ってきた年齢だからさ、年を重ねていく過程で、どんどん偏屈になったり、傲慢になったりしたら、「これからはますます孤立していくんじゃないのかな」っていう恐れはあるよ、正直さ。

 孤独は怖くないけれど、孤立はよくない―─。

 仕事でもプライベートでも、孤高の人であることはカッコいいし憧れるよな? でも、孤立してしまった人間は、本当にさみしい存在になっちまう。だからやっぱり、身勝手に生きて孤立しちゃダメなんだよ。

 これはオレの元々の性格もあるのだけど、なにも制約がないなかで好き勝手にふるまうような人間をオレは信用しないようにしている。

 日本国憲法の「権利と義務」の話じゃないけど、しっかり税金を納めて、それではじめて自分の権利を訴えたり、行使したりできるものだよな? それはもう人生そのままの話で、常になんらかのテンションをかけていないと、単なる野放図で真の意味での身勝手野郎になりかねない。

 自由だけを味わって、なんの苦労も我慢もしないというのは、オレからするとどうしてもズルをしている感覚になってしまう。それにさ、自分で自分にある程度の負荷をかけることで、いざ目標を達成したときに、その喜びは何倍にもなって返ってくる。

 めちゃくちゃ空腹のときにはなにを食べても美味しいし、サウナに入って喉がカラカラの状態で呑むビールは普段の何倍も美味しく感じられる。

 要はそういうこと。

 ある程度は分別がつく年齢になったからこそ、ここはあえて「身勝手に生きない」という道を選択したい。

「武士は食わねど高楊枝」じゃないけどさ、若い頃とは違って、あえて本能のままに生きないことでその喜びを倍増させる。それこそ、美しく枯れていくことを目指しているオレたちには大切なことだと思うんだ。

(了。第1回を読む)

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