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【沖縄芸人の「もう1つのM-1」】 知られざる「O-1グランプリ」の熱闘 “うちなーぐち”の「方言じゃないと漫才ができないんですよ」「沖縄あるあるは出尽くした」

NEWSポストセブン 2025年1月31日 16時13分

 日本一の漫才師を決めるM-1グランプリは年末の風物詩となっているが、沖縄では「O-1グランプリ」が年始の風物詩となっている。全国的にはあまり知られていない沖縄芸人たちの熱闘を、ノンフィクションライターの中村計氏がレポートする。【前後編の前編】

* * *
「宜野湾だね! それは宜野湾のことだから」

 オリオンリーグの玉代勢直が、沖縄の地名である「宜野湾」と「宜野座」を勘違いした相方にそうツッコミを入れた。

 宜野湾市は人口約10万人の都市であるのに対し、宜野座村は人口約6000人ちょっとの小さな村。宜野座を宜野湾と聞き違え、宜野湾トークを展開してしまうという沖縄県民の「あるある」を題材にした漫才のネタだった。

「東京では絶対にできないですね」

 玉代勢は、そうにやりとする。

 令和ロマンの史上初の連覇で幕を閉じたM-1の興奮が冷めやらぬ年明け、1月2日のお昼過ぎ。関東エリアでは箱根駅伝の第5区、山の区間で青山学院大がトップに立った直後のことでもあった。日本の南、沖縄テレビのスタジオでは「もう1つのM-1」がひっそりと開催されていた。

 O-1グランプリ2025──。

 沖縄県民の、沖縄県民による、沖縄県民のためのお笑いコンテストである。アルファベットの「O」は沖縄の「O」であり、琉球王の「O」でもある。今年で19回目を迎え、県民にとっては新春の風物詩として定着している。

友近と冠番組を持つ「沖縄の宝」

 今大会、5度目のファイナル進出を果たした沖縄出身のコンビ・わさびの小だいらくんは、沖縄芸人にとってのO-1をこんな風に表現した。

「1月2日はだいたい親戚で集まってO-1を観ている。なので、決勝に出られると親戚が喜んでくれます。がんばってるねー、って」

 ただ、応援してくれる人間との距離が近すぎるためにこんな窮屈さもある。相方の具志堅将司は顔をしかめる。

「決勝に上がれなかった年の親戚周りは地獄です。一度、仮病を使った年もあったぐらい。とにかく会いたくなかったんで」

 O-1は沖縄の芸人にとって、ときにM-1以上のものだという。O-1で過去3度、戴冠しているありんくりんのクリスは話す。

「昔はM-1よりもO-1のほうがぜんぜん緊張した。沖縄芸人である以上は、どうしても獲りたいタイトルだったので」

 アメリカ人の父と、日米ミックスの母を持つクリスは、見た目は欧米人。一方、相方のひがりゅうたは沖縄古来の伝統衣装に身を包み、三線やうちなーぐち(沖縄方言)を得意とする生粋の沖縄人。沖縄の特異な文化と伝統を凝縮したような2人は沖縄テレビで『友近ありんくりんのい~あんべぇ』という冠番組を持ち、全国ネットの番組からもたびたび声がかかる。『い~あんべえ』は共演者の友近たっての希望で実現した番組であり、ありんくりんは今、友近をして「沖縄の宝」と評されるほどの存在だ。

 彼らが目指すのは、沖縄に住みながらも全国で売れる芸人だ。ひがが地元にこだわる理由をこう話す。

「方言を大事にしたいというより、方言じゃないと漫才ができないんですよ。『なんでだよ』って言うより『なんでよや』のほうが気持ちが入るんで。昔、本土のライブで、ばりばりの方言で挑んだことがあるんですけど、信じられないくらい滑って。あんとき、島から離れないでおこうと思いましたね」

「沖縄あるあるがディープ過ぎて……」

 そう言いつつも、ありんくりんは何度か東京進出を企てたことがある。だが、結局は実現に至らなかった。ひががこんな秘話を披露する。

「僕、同級生と飲食店をやってるんですけど、ありんくりんのYouTube番組(『ありんくりんチャンネル』)を観て、歌手の槇原敬之さんが遊びに来てくれたことがあるんですよ。友近さんとの番組もそうですけど、沖縄でやっていても、こうやって東京とつながれるんだな、って」

 ありんくりんが3度目のO-1優勝を飾ったのが2022年のこと。その年、初めて決勝ラウンドに駒を進めたのがオリオンリーグだった。彼らも沖縄出身者同士のコンビだが、いずれも東京吉本で芸人としてのキャリアをスタートさせている。だが、なかなか芽が出ず、2020年に地元沖縄に拠点を移したばかりだった。

 O-1が創設されたのは2007年だ。その頃、すでに玉代勢は東京で活動していて、以降も稼ぎ時の正月に里帰りをするわけにもいかず、O-1の存在は知っていたものの、実際に観たことがなかった。初めてO-1を目の当たりにしたときのことを玉代勢が思い出す。

「沖縄に帰ってきたばかりで、まだ沖縄のお笑いにぜんぜん入り込めていなかった。東京だと、誰でもわかるような手前のほうの沖縄あるあるで盛り上がる。でも、沖縄ではぜんぜんでしたね。そこへいくと、ありんくりんのネタはすごかった。圧勝でしたから」

 ボケ役の剛くんも沖縄人でありながらO−1の地域色の濃さに衝撃を受けたと話す。

「他のコンビの沖縄あるあるがディープ過ぎて、ついていけなかった。判定が視聴者投票なので、より沖縄色の強いお笑いに寄っていってしまう傾向があるんだと思います」

 ありんくりんのネタは沖縄の方言がわからない人にはハードルが高い。しかし、そのぶん沖縄県民の笑いのツボにより深く刺さるのだ。

「沖縄はローカルスターをつくらないと、バラエティが衰退してしまう」

 O-1の生みの親である元沖縄テレビのディレクター山里孫存は視聴者投票にした理由をこう話す。

「O-1が目指してきたのは、沖縄の人がいちばんおもしろいと思う芸人は誰だ、ということなんですよ。つまり、日本中に届けたいわけじゃないんです。沖縄は立地的に交通費などの問題もあって、内地から芸人を呼ぶのが難しい。なので、ローカルスターをつくらないとバラエティ番組は衰退してしまう。沖縄の人は沖縄あるあるを突っついたほうが湧く。なのでO-1も必然的に沖縄の言葉や文化を入れ込んだものが増えていったんです」

 わさびの具志堅は、こう苦笑いを浮かべる。

「O-1はどうやって県民を笑わせるか。もう、ほぼ沖縄あるあるも出尽くしているんで。たぶん、そろそろなくなるんじゃないかな」

 今大会、84組の中で頂点に立っためーばーカーリーのボケ役であるじゅん選手も、沖縄を代表する中堅のうちの1人。ありんくりん同様、うちなーぐちを多用するため、県外の人からすると何度となく脳裏にクエスチョンマークが浮かぶ。ただ、本人はまったく意に介していない。

「自分は標準語、しゃべれないんで。沖縄が好きだから、沖縄でずっとやっていきたい。芸人として沖縄で食っていく、家族を養うことが目標なんで。子どもが5人いるので、いずれは家を買いたいという夢もあります」

 これぞO-1王者とも言える優勝コメントだった。

 じゅん選手はこの日のために1回大会から18回大会までの動画をすべて見直し、クリスマスも正月も返上し、ネタを磨き上げてきのだという。

「自分はO-1を観て、芸人やりたいなと思ったんで」

 おそらく、大阪・東京以外で、この大会のために芸人になりたいと思えるようなお笑いコンテストが存在するのは沖縄だけだろう。

【沖縄芸人が全国区進出の野望を語った後編を読む】

■取材・文/中村計(ノンフィクションライター)

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