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沖縄芸人が語る「O-1から全国へ」の野望 「沖縄のお笑いが本土の笑いより下だとは思ってない」「沖縄芸人に舐められない沖縄ネタをやりたい」

NEWSポストセブン 2025年2月1日 15時59分

 令和ロマンの2連覇で過去最高とも言われる盛り上がりを見せたM-1グランプリ。その裏で、沖縄芸人たちは「O-1グランプリ」の熱闘を繰り広げていた――。そこには、沖縄出身で「沖縄ネタ」と向き合う難しさや、全国区進出にあたってのハードルなど、沖縄芸人ならではの知られざる暗闘があった。ノンフィクションライターの中村計氏がレポートする。【前後編の後編。前編から読む】

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 あまり知られていないが、沖縄は「お笑いの島」だ。地元のFECオフィスやオリジン、さらには吉本興業という3つの主要なお笑い系のタレント事務所が共存している。

 沖縄にお笑い王国・吉本興業の芸人養成所であるNSCが開校したのは2011年のことだ。沖縄の芸能事務所は吉本の進出に震え上がったそうだが、それから10年以上経った今も、吉本は沖縄県内のいち事務所というポジションのままだ。沖縄は吉本に制圧されなかった唯一のエリアでもある。

 歌、踊り、芝居など古くから芸能が盛んだった沖縄では、大阪や東京のお笑いの方程式だけでは解答が得られない何かがある。

 4年のブランクを経て、昨年からまたO-1の舞台に戻ってきたベテランコンビ・ハンサムの仲座健太はその「何か」をこう語る。

「大阪、東京の芸人とのいちばんの違いは『沖縄でやっていく』って決めている人たちが多いということじゃないですか。モテたいとか、お金を稼ぎたいというのもあるとは思うんですけど、沖縄芸人の最大のモチベーションは何よりも自分の生まれ育ったこの場所の人たちに笑いを提供したい、っていうことなんですよ」

 O−1をきっかけに大ブレイクしたコンビのうちの1つがハンサムだ。ハンサムは2017年、護得久栄昇(ごえく・えいしょう)という沖縄の尊大な年配者をイメージした沖縄民謡の師範役を創出し、優勝は逃したものの、王者を食うほどのインパクトを残した。

O-1発の「全国区芸人」

 護得久栄昇はその後、沖縄を代表する人気キャラクターとなり、CM等に引っ張りだこの存在になる。今やハンサムの金城博之は、沖縄芸人の夢である年収1000万円超え芸人になったとも言われている。

「いちばんよかったときの月収を『×12』にしたら……という程度で。実際は、そうでもないんですよ」

 沖縄に執着することで笑いの広がりという意味では狭まる気もするが、仲座はこう力説する。

「O−1で勝っても食えないという芸人もいますけど、そんなことはない。O−1には夢がある。僕らは人生、変わりましたから。O-1は独特な大会だけど、別にオンリーワンを目指しているわけではないんです。沖縄の芸人はまだまだ力不足なところもあるけど、かといって、沖縄のお笑いが本土の笑いより下だとは思ってない。オンリーワンを突き詰めた先に、ナンバーワンがあると思ってやっているんで」

 1990年代、沖縄アクターズスクールが輩出した安室奈美恵やSPEED、そして2000年前後に台頭してきたMONGOL800やORANGE RANGEらのロックバンド、そして今、カリスマ的人気を誇る女性ラッパーAwichなど、沖縄の芸能の力は実証済みである。仲座が続ける。

「O-1で名前を売って、そこから全国で売れるという前例がないので、今はまだなかなかその像をイメージすることができない。でも、ありんくりんでも誰でもいいんですけど、その道筋さえつけば、あとは一気に続くんじゃないかと思っているんですよ」

 ハンサムは一昨年から始まったフジテレビ系列の全国的な漫才コンテスト、THE SECONDに今年、初参戦する予定だという。

「沖縄ネタ」との向き合い方

 ハンサムにそのことを決意させたのは、同年代で初代O−1王者でもあるハンジロウが昨年に挙げた成果だった。

 ハンジロウはO-1を制した2年後、2009年に東京に進出。昨年、THE SECONDのベスト8、つまりファイナルラウンドまで進出した。沖縄出身者のコンビが全国ネットのお笑いコンテストで決勝の舞台に立つのは2010年のM-1におけるスリムクラブ以来という快挙でもあった。

 ハンジロウのネタ作りを担当するしゅうごパークは、東京に出ることを決めた理由の1つをこう語る。

「沖縄にいたら鼻折られることないなと思ったんで。で、実際、東京出てきてみたら、もう折らんでいいっていうぐらい折られてます」

 上京後、彼らはしばらく沖縄ネタは封印していた。しゅうごがその理由を語る。

「ガレッジセールさんをはじめ、沖縄出身の先輩たちがそれをさんざんやっていた。なので、それを追いかけたら負けだと思っていたんです」

 しかし、テレビの企画で沖縄方言を使った英語授業のネタをつくったところ大評判となり、2人の代名詞とも言えるネタになった。しゅうごの相方であるたーにーはこう自画自賛する。

「こっちの人にも通用するし、沖縄の人が聴いても笑えるネタができちゃった。沖縄にいたら、このネタはできてないんじゃないかな。沖縄出身者の僕らが東京の人の目線でつくったから、このネタができたんだと思います」

 ただし以降、沖縄ネタを量産したわけではない。しゅうごが内情を明かす。

「難しいんですよ。沖縄ネタを作ろうと思えばいくらでも作れるんですけど、安易につくると沖縄芸人にバカにされるんで。それだけは嫌なんです。普段、あいつらあんな言い方してないだろ、とか。言葉のチョイスとか、微妙なラインがあるんです。僕らは東京在住の、沖縄芸人には舐められない沖縄ネタをやる沖縄芸人だという自負があるんですよ。ややこしいですけど」

「沖縄のお笑いも“本場”で味わうもの」

 県外の人にも開かれていて、かつ沖縄芸人も爆笑させられるネタ。それが再び完成したとき、今度こそハンジロウの「オンリーワン」が「ナンバーワン」にくるりと回転するのかもしれない。
 ディレクターの山里は将来の展望をこう語る。

「今、ラッパーのAwichとかがリリックの中にうちなーぐちを混ぜたりしていて。今の若い世代の間でもうちなーぐちのニュアンスみたいのがカッコいいよね、っていう感じになりつつあるんです。お笑いの世界でも沖縄らしいことがそのまんま通用する時代が目の前まで来ている気はするんですよね。ただ、O-1もそうだけど、沖縄の笑いは本来、沖縄で観るものなんです。だから、沖縄のお笑いが全国で認知されるようになったら、今度は本場に観に行こうとなってくれるのが理想。意味がわからなくても、へー、沖縄の人はここで笑うんだというのだけでもいいんですよ。それもお笑いなんで」

 そして、こう締めくくった。

「オリオンビールも泡盛も沖縄で飲んだ方がおいしいでしょ?」

 納得だ。沖縄で味わう沖縄のお笑いは、言ってみれば初めて泡盛を飲んだときの印象に近い。明かな文化の隔たりだ。だが、そのギャップが魅力であり、引力でもある。

 初めて沖縄のお笑いに接する県外出身者は自分が異邦人であることを痛感するに違いにない。だが、その取り残される感じがたまらなく楽しいのだ。

【了。前編から読む】

■取材・文/中村計(ノンフィクションライター)

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