「僕、大きな病気してるのに長生きなんですよね」──。昨年12月に文化庁長官特別表彰を受賞した落語家の林家木久扇さん(87)は今年、米寿を迎える。55年間出演した『笑点』では“木久ちゃん”の愛称で親しまれ、日本中に笑いを届けてきた。
その笑顔の裏で、その半生は冒頭のように大病と向き合う日々でもあった。30代で腸閉塞症を患うと、2000年には胃がん、2014年には喉頭がんを発症した。それでも元気で明るい木久扇さんが、現在のリハビリ生活、昨年かかってきた田中眞紀子氏からの突然の電話、人生でやり残した夢などについて語った。【前後編の後編。前編から読む】
「『笑点』を卒業して、この1年は寄席に出ることが多くなりました。寄席に出るとお客さんのパワーが強すぎて、それに応えるために笑いで返すのが大変です(苦笑)」
──舞台では、そういった戦いもあるんですね。ところで、その手元にあるスケッチブックは何ですか。
「僕は自分の周りで起きたことをスケッチブックにまとめているんです。これを参考に文章を書いたりしています。過去にどんなことを自分がやったかという情報のもとなんです。落語のメモや、その時々に感じた自分の思いなどを書き留めてきました。寄席のチラシも貼っています。自分の弟子のことやちょっとしたことでも、なんでも書いてあります」
──今年は米寿の年でもあります。
「あんまり年とったって感覚はないんですね。僕って貧乏性でいつも何かやってないと気が気じゃないんですよ。本を書くにしても挿絵を描いたり、全部やらないと気が済まない。本は今まで70冊くらい出してますけど、よく生き急ぎって言われまして。毎朝、ラジオ体操はちゃんとしていますよ」
──健康の秘訣はそこにあったんですね。
「ラジオ体操の後は、加圧ベルトで足をぎゅーっと縛って圧力を加え、血流に負荷をかけるんです。足の小指を毎日、細かく動かしていますね。そうしないとほかの足の指も固まってきちゃうんで、自分の仕事と思ってずっと動かしてます。あとは毎日の昼寝ですかね。夜眠れなくなるから45分か1時間くらい、短い時間ですが、必ず昼寝をするようにしています」
──『笑点』では座布団ではなく、椅子に座る場面も拝見しました。お体は大丈夫ですか。
「毎週1回リハビリに通っています。リハビリって言ってもそんな大したことやってるわけじゃなくてね。まあ普通の方はあんまりやらないだろうけど、両足をゴム紐で縛って膝を広げて40回とか。あとはマットレスを3枚重ねて、そこに正座して何にも掴まないで立ち上がる。両足のかかとを使ってね。結構難しいです、ヨロヨロするし。あとはエアロバイクもあって、全部で8コースやるんです。もう3年続けてます」
──月1回ほど健診にも通っていると聞きました。ほかに健康に気をつけていることはありますか?
「食ですね。うちのおかみさんが僕のことをすごく心配してくれて、美味しいものを作ってくれるんで、思わず食べちゃうんです。必ず野菜がいっぱい盛りつけされていて、随分違うと思うんですね。大好きなのはやっぱり煮物ですね。ごぼうや蓮、それから鶏肉が入ってね、里芋使って山盛り作ってくれる。ああいうのがやっぱり体にいいんですよね。
おかみさんは下町生まれ、下町育ちなんでお母さん譲りの料理っていうか、ぬかみそ一つにしても、すごいうまいんですよね。毎日かき回してくれていますから」
──がんを克服したときも奥様の助言があったと伺いました。
「僕は東京でアメリカ軍からの空襲(1942~1945年)を経験してるので、子どもながらに『もう死んじゃうんじゃないか』と思ったこともありました。あのときの戦争にくらべたら“がん”は1人で病気と闘ってればいいんだからって思う。そしたら割合、深刻にならない。
あと、大切なのは早期発見なんですよね。僕はおかみさんが『ちょっとお父さん変よ』って、『風邪じゃないから診てもらって』って。そしたら喉頭がんだったんですよ。だから、それはすごくうちのおかみさんのおかげだなと思ってね。今の僕があるのはおかみさんのおかげです」
──先日、寄席で大変なことがあったそうですね。何があったんですか。
「昨年11月、上野にある鈴本演芸場の寄席で僕の『明るい選挙』って噺をしたんです。その中で、田中角栄さんのシーンがあるんですよ。“田中でございます”っていう。それが客席でウケて得意になって家に帰ってきたら落語協会から電話があったんです。前から2列目の席に娘の田中眞紀子さんがいたと。それで『うちの父の声を聞かしていただいて、懐かしかった。本当に嬉しかった。木久扇さんに伝えておいてよ。私感激してんだから』って。角栄さんと同じ声だったそうです(笑)。後日、ご当人から『清酒田中角栄』というお酒が届き、お正月に一門で“田中角栄”をいただきました。いろいろなことが繋がって、もう世の中は本当におもしろいですね」
──「明るい選挙」の新作落語などは考えたりしますか?
「昔はね、古い話ですけど、吉田茂さん、浅沼秀次郎さんとかね、モノマネをするとその人の顔と動作がパッと浮かぶ人がいっぱいいましたもんね。今はモノマネをする人がいないんですよ。
でも内閣総理大臣の石破茂さんは面白い人だと思うんです。石破さんが防衛庁長官時代に僕は自衛隊のパーティに呼ばれて行ったんです。そのときに挨拶の言葉で、『石破さんとかけて、新聞と解く、その心は、長官(朝刊)がやはり一番いいでしょう』って言ったら『上手い上手い』って喜んじゃってね。あんな少年っぽい人だとは思わなかったですね。普段は怖い目つきでね、貫禄がある人なのに」
──今後、やってみたいことなどをお聞かせください。
「実は5月ごろ、スペインへ行く予定なんです。最後に行ったのは、1992年のバルセロナオリンピックだからずいぶん昔ですよ。
当時、『木久蔵ラーメン』の名前を貸してほしいという依頼があって、バルセロナオリンピックに向けてオープンしたラーメン屋『カサデボスケキク(Casa de Bosuque KIKU)』というお店があったんですが、今も経営しているみたいで……。
カサって言うのが家、ボスケが森とか林とかって言う意味で、この店名をつけたんです。だから街並みをよく覚えてるんです。そこを歩きたいですね。人生はいろんな面白いことがありましたけども。その話をしているとそれだけで2時間くらいになっちゃいますから、今回はこのくらいで(笑)」
木久扇さんは、“座布団10枚”のような幸せに満ちた日々を送り続けている。
(了。前編から読む)
取材・文/千島絵里香(ジャーナリスト) 撮影/岩松喜平