昨年3月、ドジャース・大谷翔平(30)の口座から不正に送金したなどして、専属通訳だった水原一平被告(40)が球団から電撃解雇された事件。昨年から行われていた裁判の量刑言い渡しが2月6日(日本時間7日)に迫るなか、水原被告は裁判所に申立書を提出。「ギャンブル依存症だった」として悪意を否定し、減刑を求めている。
検察は被告に禁錮4年9か月、大谷への賠償金として約26億円の支払いを求めている。禁忌である相棒の財産に手をつけ、大金をギャンブルに注ぎ込んだ被告の心理状態はどのようなものだったのか——それを知りえるのは、井川意高氏(60)以外にいないだろう。彼は大手製紙会社「大王製紙」の創業家3代目でありながら、会社の資金から約106億円を不正に利用してギャンブルに溶かし、特別背任の容疑で逮捕された過去を持つ。ノンフィクションライターの水谷竹秀氏が話を聞いた。(以下、敬称略)【前後編の前編】
「井川さんが負けた総額の端数だね」
井川意高はその日、個人YouTubeチャンネルのスタッフが慌ててかけてきた連絡で、事件を知った。米ドジャース大谷翔平(30)の通訳、水原一平被告(40)が違法賭博に関与し、大谷の資金を盗んだ疑いが発覚した2024年3月20日のことである。
その時点ではまだ事件の全貌が明らかになっておらず、米スポーツ専門局・ESPNの報道によると、水原は大谷の銀行口座から少なくとも450万ドル(約6億8000万円)を違法賭博の関連口座に送金していた。
井川が回想する。
「担当者から『今日のニュース見ました?』と聞かれ、事件のことを知りました。第一報は被害額が6億8000万円で、『井川さんが負けた総額の端数だね』って言われました。私は1人で106億8000万円負けたのをトレードマークにしているので、最初はその程度の話でした」
大王製紙社長時代からマカオやシンガポールのカジノに通い、バカラにハマっていた井川氏は負けを取り返すため、グループ会社の資金を次から次へと借り入れ、溶かした総額は約106億8000万円に上った。そして2011年11月、特別背任の容疑で逮捕され、起訴された。裁判所からは懲役4年の実刑判決を言い渡され、約8年前に出所している。
その奇抜な体験から急遽、自身のチャンネルで水原の違法賭博騒動を取り上げることになったというのだ。
「私は普段、政治や経済についてお話をしているので、他人のお話に乗っかるのはあまり好きではないんですよ。それで渋ったんですけど、スタッフから『一平さんの件は、井川さん以外に語る人間がいないから』と説得されまして」
渋々引き受けた井川は、その時点での報道内容をベースに、自身の見解を語った。編集された動画の時間は約14分間で、大谷に対しては「人生のデッドボールを避ける選球眼を身につけるきっかけになればいいんじゃないかと思います」とエールを送った。
「どれだけ神様に愛されてるか試す」
「動画をアップしたら3日間で再生回数が160万回を超えたんです。少し飲み代を稼がせて頂きました。まあ、一平さんが負けた額なんてかわいいもんですよ。私の知っている人だって、1回行く度に20億円負ける実業家もいますし、トータルで3桁億円負けているような人はたくさん知っています」
冗談混じりに語る井川だが、自身もまた、ギャンブルにおいてジェットコースターのような人生を歩んできた。
井川がギャンブルの入り口に足を踏み入れたのは小学生の頃だ。家族麻雀のメンツに組み込まれたのがきっかけで、いつの間にかギャンブル好きになった。初めてカジノで遊んだのは1997年ごろ。オーストラリアのゴールドコーストへ3日間の家族旅行で訪れ、知人の誘いでカジノへ足を運んだ。その時に初挑戦したバカラで、種銭の100万円が2000万円に“化けた”のだという。
井川のカジノ通いが本格化したのは、その約5年後のことである。2007年6月に大王製紙の社長に就任してからは、勝負の仕方がエスカレートした。賭けるのは、もっぱらバカラだ。
「麻雀とかポーカーは自分の腕が出るのですが、バカラは自分がどれだけ神様に愛されているかを試すゲームなんです。勝つか負けるかは運しかないですから。勝てば神様の機嫌が良かったねっていう、そういうゲーム」
バカラは「バンカー」と「プレーヤー」のそれぞれに置かれた2枚のカードの合計下1桁が「9」に近いかを予想して賭けるカードゲームだ。その魅力を井川はこう力説する。
「ギャンブルは、二択が最も“シビれる”んです。コイントスと同じ。我々ギャンブラーの間では、コインを投げて表か裏を選び、外した側が自分の頭を撃ち抜くというルールでやるギャンブルが一番シビれると言われています」
同じ“シビれる”でも、カネをつぎ込むギャンブルの場合は、「絶対に手をつけてはいけないカネを賭けてからが本当のギャンブル」だと井川は強調する。韓国などのカジノでは、ひと張り(ひと勝負の賭け金)で最大5000万円まで賭けるという。
「このお金を失ったらもう終わりっていうお金が3億円があったとします。それが負け続けてあと1000万円、あと100万円と減っていき、そこから大勝ちして2億5000万円まで戻したとする。実際には5000万円負けているのですが、『生き残れた』っていう感覚がシビれるんです」
水原被告にとって「最も手をつけてはいけないカネ」
大王製紙で社長業をやりながら、井川は週末になるとマカオやシンガポールへ通い、月曜日朝にはなに食わぬ顔で出勤した。カネが欲しい、あるいは勝ったカネで何かを買いたいという物欲があるわけではない。ただ、それまでの負け分を取り返すために、カジノに向かったという。
それはシンガポールでのこと。手持ちが残り2万5000ドル(当時のレートで約150万円)のチップ1枚だけになった。そこから逆転劇を果たし、わずか1時間で23億円に化けたという。ところが井川は、そこで止めなかった。
「その10時間後に全部スッてしまいました。でも、そういう人間だから150万円を23億円にできるんです。種銭100万円が500万円に増えた時点で、それでレクサスを買おうと考えている人間はそもそも500万円にできません。
500万円になろうが1000万円になろうが、23億円になろうがもっと増やしてやろうとなるか否か。そもそもお金が欲しくてやっているわけではないんです。今まで負けて返済しなきゃいけないカネもあるから、それを取り返すためにまた駆り立てられる」
そうして賭け続けた結果、井川は106億円という“天文学的数字”の金を溶かしてしまったのである。その心境を井川はこう説明する。
「例えるなら、主婦の方が100万円をスってしまうのと同じだと思います。ギリギリの金額っていうのは人によって違いますよね。私にとっては、それが100億円だっただけのことなんです。例えばパチンコにハマってへそくりを使い、消費者金融からも借りて、それ以上やったら夫にバレてしまう、そういう状況の主婦にとっての100万円と変わらない」
その人にとって限界を超えた世界で勝負するヒリヒリ感が、井川のようなギャンブラーたちを虜にしてしまうのだろう。
水原被告の場合も、それは同じだったのかもしれない。アメリカ連邦検察によると、水原被告は違法の胴元を通じて少なくとも1万9000回の賭けを行ない、少なくとも約220億円勝ち、少なくとも約284億円負けたという。
水原被告にとって最も「手をつけてはいけないカネ」、それは相棒である大谷の財産だった。被告はそれを種銭に、自らの限界を軽く超える金額を賭け続け、泥沼にハマったのだ。
その背景について被告は、裁判所に提出した申立書で「ギャンブル依存症という病気だった」と主張。大谷の過密なスケジュールに同行する仕事を続けるうちに、ストレスで賭博に手を出してしまい、抜け出せなくなったとしている。
しかし井川は、被告の行ないに対し「病気だからと言って許される話でもないでしょう」と喝破するのだった——後編では、井川がギャンブラーの先輩として水原被告に送ったエール、計画する「YouTube対談」について詳報する。
(後編につづく)
【プロフィール】
水谷竹秀(みずたに・たけひで)/ノンフィクションライター。1975年生まれ。上智大学外国語学部卒。2011年、「日本を捨てた男たち」で第9回開高健ノンフィクション賞を受賞。最新刊は『ルポ 国際ロマンス詐欺』(小学館新書)。10年超のフィリピン滞在歴をもとに「アジアと日本人」について、また事件を含めた現代の世相に関しても幅広く取材。2022年3月下旬から2か月弱、ウクライナに滞在していた。