公共交通の主軸を担い、関西圏の発展に寄与してきた関西私鉄。その歩みはスピードやサービスの競争の歴史であった一方、各社が企業努力により独自色を強めたともいえるだろう。
大阪出身の元全国紙新聞記者・松本泉氏が、関西五大私鉄の歴史を綴った『関西人はなぜ「○○電車」というのか─関西鉄道百年史─』(淡交社)より、関西私鉄の日本一をお届けする。(同書より一部抜粋して再構成)【全5回の第5回。第1回を読む】
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人気アイドルタレントのTOKIOが出演する日本テレビ(関西では読売テレビ)のバラエティー番組「ザ! 鉄腕! DASH!!」で、TOKIOが阪神電車とスピード対決したことがあった。
高級外車やボート、流しそうめんなど、さまざまなものとTOKIOの5人があらゆる競争を繰り広げる「対決コーナー」が人気だった。そのコーナーで、阪神電鉄が誇る「ジェットカー」とバトンリレーで速さを競うというものだった。
1998(平成10)年に2回対決して1勝1敗に終わっていた。そのため、最終決着を付けようと対決した2015(平成27)年、TOKIOが見事にジェットカーを破ったと話題になった。この番組で、鉄道マニアぐらいしか知らなかったジェットカーが一躍有名になった。
ジェットカーは、高加速・高減速の日本一を誇る車両で、普通電車用として使われている。加速度が1秒当たり時速4.5キロ、減速度が1秒当たり時速5.0キロ。通常の車両は1秒当たり3キロ程度だから、その性能の高さが分かる。その加速はジェット機並みといわれている。
要するにスタートダッシュが日本一の電車ということだ。
阪神がなぜこのような車両を開発したのかは、駅間の距離が関係している。
阪神の大阪梅田‐神戸三宮は31キロに32の駅がある。駅間距離は平均1キロ弱だ。並行して走る阪急の大阪梅田‐神戸三宮は32キロで16駅、JRの大阪‐三ノ宮は30キロで15駅。JRと阪急の駅間距離は阪神の2倍ある。
駅間距離が短いと、発車した途端に加速する間もなく次の駅に近づいてしまう。すぐに停車するため減速しないといけない。各駅に停車する普通電車は“のろのろ運転”せざるをえない。
困るのは特急や急行だ。普通がのろのろ走っていると、スピードを上げづらくなる。駅の数を減らすわけにはいかず、普通電車の本数を減らすわけにもいかない。解決策は「ビューンと発車させて、ビビッとストップさせる」ことしかなかった。
ジェットカーはわずか25秒で時速90キロに達する。実際に乗ってみれば分かるが、発車すると同時に、吊り革が進行方向とは逆向きにどんどん傾いていくのが目に見えて分かる。ぼーっと突っ立っていると思わず踏ん張らなければいけないほどだ。
TOKIOのおかげで、思わず注目を浴びることになった阪神電鉄の“秘蔵っ子”だ。
日本で最も安く乗れる電車(北大阪急行)
大阪には100円で乗ることができる電車がある(2024年時点)。
大阪府北部を走る北大阪急行電鉄だ。箕面萱野(大阪府箕面市)-江坂(同吹田市)の8.4キロを結ぶ中小私鉄で、2024(令和6)年3月に千里中央(同豊中市)から北に2.5キロ延伸した。延伸しても千里中央‐江坂間では隣の駅までの運賃は100円に据え置かれており、破格の安さを誇る。
北大阪急行は地下鉄御堂筋線と相互直通運転をしているが、集電は第三軌条方式で、地下鉄と同様に各駅停車のみの運転ということもあってか、相互直通運転という印象が薄い。
北大阪急行の利用客も「北大阪急行を使っている」という人より「御堂筋線を使っている」と話す人の方が圧倒的に多い。
「御堂筋線のようで御堂筋線でない」「相互直通運転なのに相互直通運転に見えない」という不思議な路線だ。
北大阪急行電鉄株式会社の出資比率は阪急が54%、大阪府が25%で、阪急の完全子会社だ。1970(昭和45)年2月に開業したことから分かるように、大阪万博のアクセス路線としてつくられた。
1日あたり数十万人の観客を輸送するためには、会場と中心部を直結する鉄道線が不可欠だった。万国博組織委員会と大阪府は、当時、新大阪が終着点だった御堂筋線をさらに北へ延ばしてアクセス路線にするのが最も合理的だと考えた。地下鉄を運営する大阪市と、大阪北部に路線網を持つ阪急に共同での延伸を持ち掛けた。
しかし、大阪市も阪急もこの延伸計画には乗り気でなかった。
・建設費が膨大になる。
・沿線人口が少なく、万博が終わったら赤字路線になる。
・混雑でパンク寸前の御堂筋線が、本当にパンクしてしまう。
本音はこんなところだった。
大阪市交通局は「地下鉄は大阪市営だから、大阪市外での建設はできない。大阪市民の税金を使って大阪市外の住民の利便を図るわけにはいかない」との理由を盾に拒んだ。大阪市域を出たところから万博会場までは然るべき民間会社による敷設が必要だとした。
一方、阪急は千里線に「万国博西口」駅を設けて、アクセス路線にする準備を進めていた。「新たな2本目のアクセス線に関わって負担を増やしたくない」との思惑もあった。
「御堂筋線の終着駅の江坂駅からシャトル便のバスを運行すればそれで十分だ」という意見が出てきたこともあった(もし本当にそんなことをしていたらバスは数千台が必要になったと推測されている)。
結局、阪急が子会社をつくって建設することになった。「万博を成功させるため」との大義名分が阪急を動かしたわけだが、どれだけ莫大な赤字を生み出しても自社だけで損失を被ることがないように、大阪府と大阪市をしっかり抱き込んだのはさすが阪急だといわれた。
ところが大阪万博は、予想を倍以上も上回る6400万人の入場者を記録した。1日当たりの平均入場者は35万人に上り、その7割近くを北大阪急行・地下鉄御堂筋線が輸送した。
おかげで建設費の償却が、半年間の観客輸送で完了してしまった。
また万博を契機に千里ニュータウンの開発が一気に加速し、沿線人口が急増した。赤字を心配するどころか、混雑対策に頭を悩ませることになる。これほどの“幸せな誤算”はなかった。
徹底したコスト削減などの企業努力もあって、運賃はずっと安く抑えられ、いつしか「大阪で一番安く乗れる電車」を経て「日本で一番安く乗れる電車」になってしまった。
北大阪急行は2016(平成28)年、隣駅までの運賃90円を100円に値上げした。値段だけを見ると、若桜鉄道(鳥取県)の最安区間・八頭高校前‐郡家間と並んだ。しかし、近畿圏や首都圏など都市部の大量輸送機関では圧倒的な安さを誇っている。
五大私鉄の派手な競争ばかりを見ていると、「やっぱり関西の電鉄会社がやることはえげつないことばっかりや」と思われがちだが、初乗り100円で頑張っているけなげな電鉄会社があることもぜひ心に留めておいていただきたい。
日本で最も運賃が高いと噂の電車
日本一運賃が安い電車が大阪にあれば、日本一運賃が高い電車も大阪にあると騒がれたことがある。
大阪府南部の泉北ニュータウンを走る泉北高速鉄道(中百舌鳥‐和泉中央)だ。
大阪市南部と泉北ニュータウンを直接結ぶ路線として、南海が建設を計画していた。しかし、資金面の問題から大阪府の第三セクターが建設・経営し、南海に業務を委託するという形で1971(昭和46)年に開業した。2014(平成26)年には南海に株式が譲渡され、南海グループの一員となった。
泉北高速は開業以来、南海高野線と相互直通運転している。
隣駅までの運賃は180~220円で、阪神の160円、阪急の170円と比べたら高めだが、大阪モノレールの200円、大阪メトロの190円と比べるとほぼ同一レベルだ。
相互直通運転をしているので両社路線をまたいで乗車するときは割高になる。難波‐中百舌鳥間は350円だが、泉北高速線に入って初めての駅となる深井までは450円で一気に100円上がる。
相互直通運転している路線では、両方の鉄道会社の運賃を合算したうえで乗り継ぎ割引を適用して、急激に高くなることを抑えている路線が多い。泉北高速鉄道の運賃は対キロ区間制を使っており、ほかの私鉄路線と運賃体系は同じで、泉北高速鉄道だけが特別に高いというわけではない。
にもかかわらず、なぜ「泉北高速は日本で一番高い」などという噂がまことしやかに流れたのだろう。ネットではこんな理由が挙げられている。
「南海の子会社になったのに運賃体系が以前と同じだから」
「定期券の割引率が低いうえに、定期券には南海との乗り継ぎ割引がないから」
こんな説もある。
泉北高速はほかの私鉄と比べると、駅と駅の間の距離が長い。私鉄の駅間距離は普通は1~2キロ程度だが、泉北高速は平均2.9キロもある。
14.3キロに駅は6つで、駅の数では通常の私鉄線の半分以下だ。
南海高野線から分かれて泉北高速線に入った途端に、乗車感覚と運賃が急に合わなくなり、「運賃が高い」という錯覚に陥ったのではないかというのだ。
どれも日本一高い運賃の根拠になっていない。それではなぜそんな噂が広がったのか。
ニュータウンは完成とともに、一気に大勢の人が引っ越してくる。引っ越してきた途端に、通勤や通学で泉北高速を利用する人は相互直通運転で割高感のある運賃を支払わされた。
「ここの電車賃、えらい高いのと違うやろか」
そんな会話が新住民たちの間で交わされ、「日本一高い」という噂があっという間に広まったのかもしれない。
(了。第1回を読む)