映画『PERFECT DAYS』は、『パリ、テキサス』、『ベルリン・天使の詩』、『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』など、通をうならせる数々の名作を世に送り出し続けているヴィム・ヴェンダース監督が東京を舞台に描いた作品。主演の役所広司は、本作で2023年の「第76回カンヌ国際映画祭」で日本人俳優としては柳楽優弥以来、19年ぶり2人目の最優秀男優賞を受賞し、大きな話題となった。
役所が演じるのは、東京・渋谷の公衆トイレで清掃員として働く平山。スカイツリー近くの古びたアパートで一人暮らしている彼は、毎日早朝に起きて身支度をし、掃除用具が詰まれたワゴン車で1960~70年代の洋楽のカセットテープを聴きながら職場へ向かう。彼の性格そのものの丁寧な仕事ぶりでトイレを磨き上げ、神社のベンチで昼食を取り、フィルムカメラで木漏れ日を撮影する。仕事を終えると銭湯へ行き、一杯飲んで帰宅。本を読んで眠りにつく。傍から見ると単調なルーティンを繰り返す代わり映えのしない日々だが、彼にとっては毎日が新しく、小さな幸せを感じていた。しかも平山は無口で、冒頭から半分過ぎまで、役所のセリフはほとんどない。なのに見ている者は、事件も起きない彼の日常にどんどん引き込まれていくのが不思議だ。
そんな平山の毎日を小さく揺らすのが、女性の存在だ。同僚のタカシ(柄本時生)の意中のアヤ(アオイヤマダ)は、初めて平山のドキッとした感情を見せてくれる。そして家出をして平山のもとにやってきた姪のニコ(中野有紗)の登場で、ようやく平山の会話が始まり、ひとりを楽しんでいた平山が、誰かと一緒にいる幸せを感じるようになる。もうひとりの大きな存在は、日曜だけに通う飲み屋の女将(石川さゆり)だ。女将は平山の読書の趣味を褒め、彼を笑顔にする。好意を抱いているのだろうが、それ以上を望んでいないのも彼らしい。彼女たちをきっかけに、人との関わりが生まれ、それが彼に新しい「PERFECT DAYS」をもたらしてくれる。
口数の少ない平山の心情を映すのが、彼が車の中で聴いているカセットテープだ。この作品にはBGMは存在しない。作中でかかる曲は、すべて平山が実際に聴いている音楽。つまり、彼がその時に聴きたい曲。彼の心情が反映されている曲というわけだ。劇中で流れるルー・リードの楽曲「Perfect Day」も本作タイトルと同じ。英語ではあるが、劇中で流れる楽曲の歌詞を確認すると、本作への理解度が高まるはず。特にラストシーンで流れるニーナ・シモンの「Feeling Good」が秀逸だ。歌詞のように、同じ毎日を送っているようで、毎日は確実に新しいものになっていると彼は感じているのだから。
言葉ではなく、平山の選曲センスや読書の趣味、立ち居振る舞いが人となりを雄弁に語ってくれる。平山の妹であるニコの母の言動から、彼にワケアリの過去があることが察せられるが、インテリジェンスを感じさせる平山だからこそ、日常の中に潜む哲学的なテーマを引き立たせることができるのだろう。
彼が従事するトイレ清掃員という仕事は、この作品でたびたびフィーチャーされている。それもそのはず、この映画は、渋谷区などと連携して公共トイレを刷新するプロジェクト「THE TOKYO TOILET」の延長線上で制作されたものだ。このプロジェクトは、「ユニクロ」などを展開するファーストリテイリング社の取締役である柳井康治氏が、世界的建築家やデザイナーの力を借りて進めた取り組みである。そして、このプロジェクトの一環として、「東京に新しく誕生した公共トイレと清掃員を題材にした物語を作ってほしい」という依頼をヴィム・ヴェンダース監督が引き受け、完成したのが本作である。
小津安二郎監督を敬愛するドイツの名匠ヴィム・ヴェンダースが、現代の日本で公共トイレを題材に日本を代表する俳優・役所広司と「小確幸(※小さいけれども、確かな幸福という意味)」を描き出し、人生における「完璧な日々」は劇的なものではないと教えてくれる。
そんな日本的な価値観を再認識させてくれるところが小津作品のように世界の人々を魅了したのだろう。「たいくつだ」と感じている私たちの毎日も「PERFECT DAYS」なのかもしれないと思える、日々の幸福度を少しだけ上げてくれる作品だ。
(文・坂本ゆかり)