サッカーボール、バレーボール、フラッグフットボール……。子どもたちがさまざまなボールを使って楽しそうにスポーツに興じる環境がある。ドイツ発祥のボールゲーム運動プログラム「バルシューレ」だ。「自由にプレーさせる」「習う前にやってみる」ことを重視し、科学に基づいたプログラムが確立されていて、「多くのスポーツの基礎」を形づくるという。本稿では総合型地域スポーツクラブSLDI代表で、日本で唯一となるバルシューレA級ライセンス保持者である辻本智也氏へのインタビューを通して、幼少期から一つの決まった競技の専門的なトレーニングではなく、ボールゲーム全般に必要な体の動かし方を学び、子どもたちの自発性を育てる取り組みを追った。
(インタビュー・構成=本島修司、写真提供=SLDI)
ドイツ式の子どもの心身を最優先にしたスポーツ教育
バルシューレ。聞き慣れないスポーツかもしれない。
しかし、バルシューレという名前がつく以前からこのようなボール運動自体は、ドイツでは当然のように幼少期から行われているという。1996年にそのドイツで生まれたバルシューレは148を超える最先端のボール運動遊びで、幼少期の自発性を育てることにとても効果があるといわれている。
このバルシューレを率先して育んできた教育機関がある。北海道教育大学岩見沢校と連携協定を結ぶ、総合型地域スポーツクラブ「SLDI(スポーツ・ライフ・デザイン・イワミザワ)」だ。バスケットボール、サッカー、バレーボール、スキー、新体操、野球、陸上、HIPHOPダンスなどの各競技のスポーツクラブに加えて、対象1歳半からのバルシューレのクラブがある。
岩見沢市という豪雪地帯で大切に育まれてきた、ドイツ式の子どもの心身を最優先にした「あたたかみある教育」。 日本で唯一のバルシューレのA級ライセンス保持者であるSLDI代表の辻本智也氏に、バルシューレの楽しさと、幼少期のスポーツ教育において「重要なこと」をうかがった。
幼少期の「ボールスクール」。バルシューレって何?
人間の一生において幼少期は運動能力の形成に大切な時期だ。
この時期は、特定の競技で子どもたちの運動のバリエーションを制限してしまうのではなく、幅広いスポーツを体験しながら「プレイ(楽しむこと)重視の運動」を経験させることのほうが重要だと言われている。バルシューレは、この時期にさまざまなボールゲームを通じて楽しみながらさまざまな体の動きを習得する。
1996年、ドイツのハイデルベルク大学のクラウス・ロート教授によって開発されると、1998年にバルシューレコースがドイツの小学校から始まった。発達障害のある子どもと、運動能力に優れた子どもが、分け隔てなく一緒になって楽しめることが特徴だ。
ボールゲーム指導プログラムであるバルシューレは、英語に訳すと「ボールスクール」。幼少期においておこなうのは、端的に言えば「ボール運動遊び」。その運動遊びが年齢とともに「打ち返し型ゲーム」と「ゴール型ゲーム」「ベースボール型ゲーム」に大まかに方向づけられ、その後に専門的な「多種目の球技」に分散していくイメージだ。その中で子どもたちが自発的に「何をしたいか」に目覚めていく。
活動レベルは主に、4段階+1に分かれている。まずは入り口である+1では、幼児期のボールを通じた身体能力向上をメインとして「自分の回りを独自に探索する認知体験」を、ボールを通じて得ることができる。レベル1では、3~6歳の子ども用のボール運動遊び体験。レベル2では、6歳~9歳の子どもを対象とした、バルシューレの基本的な運動を学ぶ。レベル3では、9~11歳の子どもを対象とした「多くの球技種目の横断」をおこなう。レベル4では、テニス、バトミントン等を含む、競技スポーツに近い運動遊びを実施。ここでの特徴は「子どもたちに大人が決めたゴールを強制しない」こと。そして「競争圧力がない」こと。
年齢を重ねて段階を踏んでいく中でも“指導者や保護者からの「圧」がかからないこと”こそ、バルシューレの最たる特徴かもしれない。
日本を代表するバルシューレ実践の地、SLDIが目指すもの
辻本氏はバルシューレを「多くのスポーツの基礎」と表現する。「その上で専門競技へと分かれていく形がスポーツ教育のベスト」だと語る。バルシューレは「幼少期の詰め込み教育」からの脱却でもあるのだ。辻本氏はこのように語る。
「これまでバルシューレを実践してきた中で、強く感じることは、子どもたちは早期にスポーツを絞って長い期間トレーニングをしなくても、きちんと成長するということです。バルシュ-レを提供すれば、子どもたちは適切に成長し、生涯スポーツを楽しむ心と体ができてくることを日々実感しています」
さらに、ボール運動を始めると、多様性と創造性が身についていくという。投げる・蹴る・打つなど、多くの競技の基礎を身につける中で、子どもたちが自分の直感を信じてプレーできるようになる。その閃きのようなものこそ、すべてのスポーツに大切な要素だ。
このバルシューレを北海道に根づかせた最大の功労者は、北海道教育大学岩見沢校の奥田知靖教授だ。辻本氏は奥田教授のもとで勉強を重ねてきた。また、同大学のキャンパス長である山本理人教授は、各地でトークセッション等を積極的に展開。「どのスポーツをやるかという意思を子ども自身が決める、自発的で健全な教育を」と語りかけてきた。
その上で同大学では、豊かな運動体験をつくる「CAPS-Child」を掲げる。CAPSとは、「Creative」(創造力)、「Active」(活発さ)、「Play orient」(自らの意志で夢中になる)、「Skillful」(巧みな身のこなし)の頭文字。このCAPS-Childプログラムの中核に置かれているのがバルシューレだ。
SLDIは、CAPS-Childの理念をしっかりと受け取る形で辻本氏が指揮を執る総合型地域スポーツクラブということになる。
バルシューレを中核に置いた科学的なスポーツ教育
バルシューレの効果として、実際にどんなことが起きているのか。
辻本氏によると、「例えば、現在中学3年生の男子が良い例です。幼少期はバルシューレを体験、小学校になると、バルシューレ+競技スポーツ(サッカーとバスケットボール)を経験しました」
ここからが特徴的だ。
「しかし、弊社では競技スポーツで全国大会を目指すことをしません。小学校ではあまり多くの戦術を教えません。楽しく運動能力を高め、戦術に必要な直観力を鍛えることを目的とします」と語る。
「彼は中学校に入って部活に入りました。バスケットボール部です。ここでようやくバスケに特化する形です。当然、中学1年生の時には、小学生の時からガチガチにその競技を教え込まれた少年団の子を相手に、苦戦をします。ですが、発育・発達の時期に、適切に科学の力を取り入れて多様性と創造性を身につけているその子は、すぐに小学校時代にガチガチの技術指導をされていた少年団の子に追いつき、今では同等の活躍をしています」
そしてこう続けた。
「現代にはどう指導すればいいか科学的に伝えられるものが少ない。多くの指導者がテキストを見様見真似という状況です。バルシューレでは、すべてのプログラムにどんな能力が身につくかが決められている。子どもたちのレベルに合わせて環境を設定できる、最善のプログラムだと感じます」
バルシューレのキーワードは、「自由な空間で」「自主性を守る指導」なのだ。
では、この現象はSLDIの内部だけで繁栄しているものなのか。近隣のスポーツ団体にはバルシューレという競技はどう映っているのか。
同じ空知管内で活動する、卓球クラブ&スクール「リバイバル」。地元の中・高生から圧倒的な支持を受ける人気のクラブだ。辻本氏と親交が深いリバイバルの墓田監督は、「指導者の圧がないスポーツの場を」という理念を持つ。SLDIで卓球の指導を行った際の「バルシューレを体験した子どもたち」の印象を次のように語ってくれた。
「日頃からバルシューレを経験した子どもたちは、本当にのびのびしています。自主性が尊重され、自発的に体が動く。私のクラブは中学生での燃え尽き症候群防止を重視します。高体連で完成期を迎えるように育成する。SLDIと共通している部分があります。バルシューレは、私が教員免許を取得した時にはまだ日本では珍しかった競技ですが、子どもたちの意欲向上の効果を感じます。文献の通り、科学の力で理想的な成長過程を描けることがわかる。これから岩見沢市のスポーツ教育全般もこうありたいですね」
今後は辻本氏とタッグを組み、教員ライセンスを取得しているコーチ陣で「バルシューレから卓球へ」という最先端の幼少期・卓球部門の設立も視野に入れているという。
バルシューレを中核に置いた科学的なスポーツ教育は、確実に浸透しつつある。
幼少期こそ、「自主性を守る空間」でたくさんの競技体験を
最後に辻本氏は、「私の夢は、SLDIを世界から注目される総合型地域スポーツクラブにすることです」と目を輝かせながら語った。その点において、北海道教育大学岩見沢校の存在は欠かせないとも語る。この大学ではスポーツを専門的に学ぶことができる下地があるからだ。バルシューレに惹かれて、大学で勉強を積む者も増えているという。
SLDIでは後継者も順調に育っている。北海道教育大学岩見沢校の大学生だ。大学で教員免許を取得しながらバルシューレの講師としても活躍し、大学卒業後は教員免許を保有してSLDIへ就職するという流れができているのだ。これによりコーチの「人材の質」が保たれる仕組みだ。
子どもたちにとっては「楽しいボール運動」。教える側は「教育者」。そんなベストなバランスが確立されている。
北海道の小さな町の大学。その構内で大切に育まれる、ドイツ生まれのバルシューレ。幼少期のスポーツ教育の現場に、必要以上の詰め込みや、体育会系のノリはいらないのだろう。
勝利至上主義による子どもの燃え尽き症候群も、多くの子どもたちが小学校、中学、高校卒業を機に競技を引退する生涯スポーツとは正反対の現実も、全国的にたくさん見聞きされている。
子どもの運動能力の向上には、適切な成長速度と、発達時に詰め込みすぎないことが重要視される時代になった。
バルシューレを体験した子どもたちの、弾けるような満開の笑顔が、それが正解だと物語っている。
<了>
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