鋭いタックル、洗練された組み手やダイナミックな寝技。153cmの身体から、次々と技を繰り出していく――。女子レスリング最軽量級の50kg級でオリンピック2連覇を狙う須﨑優衣(株式会社キッツ所属)は、海外選手に94戦無敗、国際大会は24大会連続優勝と、揺るぎない強さでパリ五輪に臨む。そのキャリアは順風満帆に見えるが、父・康弘さんと母・和代さん、姉・麻衣さんは、困難な逆境を乗り越え、成長する姿を見守り、サポートしてきた。圧倒的な強さで頂点に駆け上がった東京五輪以降、他国のライバルに研究されるようになった一方、須﨑自身も海外での武者修行などで自身のレスリングを進化させてきた。「圧倒、圧勝」をキーワードに掲げるパリ五輪へ、3人の家族の証言とともに、25歳の女王の勝負強さの原点に迫った。
(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真提供=須﨑家)
エリートアカデミー進学の決断と成長の軌跡
――須﨑優衣選手は中学2年生の時から高校3年生までエリートアカデミーで実力を磨きました。親元を離れる上で、心配はなかったですか?
康弘:エリートアカデミーに入ることについて、最初にお話をいただいたのは小学6年生の時でした。ただ、やはり心配が大きく、私たちの方では1回目はお断りしたんです。2回目にお話をいただいた時は、大学の先輩が強く押してくれていたんですが、その時も決心がつかずに承諾しかねていました。ただ、優衣自身がいろいろとお話を聞く中で「オリンピックに出てみたい」と考え、それにはアカデミーに入ることが一番近道だと判断したようです。自分の意思で入ると決めたので、仕方なく承諾した感じでしたね。
――本人の意思を尊重したのですね。
和代:レスリング以外の部分ではすごく心配でしたけれどね。中1までは地元の松戸の中学校に通っていたんですけど、中2からは東京の北区の学校に転校しましたから。
麻衣:私より先に家に出るなんて思っていなかったので、寂しい思いもありました。夏と冬の2回しか帰省できないので、なかなか会えなかったですし……。でも、妹が決めたことであれば止める必要もないですし、家族で応援しよう!という気持ちが大きかったですね。
――麻衣さんは、小学生の頃から一緒にレスリングをしてきた中で、勝利を重ねて成長していく優衣さんをどのように見ていたのですか?
麻衣:優衣の方が強くてずっと成績が良かったので、私も負けないように頑張らなきゃなと、最初の頃はライバル心もありました。ただ、妹がエリートアカデミーから帰省する時に、地元の練習場で一緒に練習をすると、どんどん強くなっていくのがわかって、帰ってくるたびに「もう勝てない」という思いが強くなっていったんです。そこからはライバルというよりも、オリンピック出られるようにサポートしていこう、という気持ちが大きくなりました。
――優衣さんは康弘さんと麻衣さんと同じ早稲田大学のレスリング部に進みましたが、進路を決める時にはアドバイスをすることもあったのですか?
康弘:私も麻衣も早稲田のOBなので、流れで入ってもらいたいなという気持ちはあったんですけれど、エリートアカデミーでご指導いただいていた兼ね合いもあって、本人の希望を優先しました。ちびっこレスリングをやっていた小学校時代から松戸レスリングクラブの理事長が早稲田で、周りのコーチも早稲田の方が多かったので、大学といえば早稲田、というイメージが小さい頃から植えつけられていたのかもしれないですね。
完敗から半年でリベンジ達成。悔しさが勝利への原動力に
――最も印象的だったタイトルを挙げるとすれば、どの大会ですか?
康弘:一番印象に残っているのは、高校1年生だった2015年に、シニアの全日本選手権に初めて出場した時に決勝戦まで行ったんです。僕たちは「よくそこまで行けたな」と賞賛したい気持ちがあったのですが、その決勝戦で、自衛隊体育学校の7歳上の入江ゆき選手に0-10のテクニカルフォール負けで完敗してしまいました。その時に優衣が本気で大泣きしていたので、「もしかしてこの子は本気でオリンピックを目指しているのかな」と思って、少しびっくりしたんです。ただ、その半年後に行われた明治杯という全日本選手権の試合で、入江選手に決勝戦で勝ちました。エリートアカデミーの吉村祥子コーチの指導の成果も大きかったと思いますが、完敗した相手に半年間で勝てるようになるのは並大抵のことではないですし、その涙は、他の大会で優勝した時よりも印象に残っています。
――優衣さんは好きな数字が1番で、ロッカーとか編み込みの本数にも「1」を選ぶそうですね。
麻衣:そうです。「1」という数字に強くこだわりがありますし、金色のものとか、金メダルを連想させるような色もたくさん集めていますね。
――レスリングノートを欠かさずつけているそうですが、これは康弘さんのアドバイスもあったんですか?
康弘:ノートはつけた方がいいよ、とは言っていたんですが、具体的にその内容を読んでいたわけではないです。アカデミーで吉村コーチや、当時の菅芳松監督に指導してもらうようになってから丁寧にノートをつけるようになって、今でもつけているので、続けることはすごいことだなと思っています。自分の目標に対する集中力は、人一倍持っていると思います。
逆境乗り越え、頂点に立った東京五輪
――これまで、優衣さんのレスリングを近くで支えてこられた中で、困難な時期や逆境もあったと思いますが、それぞれどんなシーンが印象に残っていますか?
麻衣:強い選手がたくさんいる中でも、同じ48kg級で一緒に戦ってきた登坂絵莉選手と入江選手の2人の存在はやっぱりすごく大きかったですね。その2人が出場する大会でどうやって勝つかが、いつも大きなプレッシャーになっていたと思います。2人に勝たなければ優勝できないし、オリンピックにも出場できない状況だったので、すごく大変だったと思いますが、あの時期があったからこそ、今があるなと心から思います。
――当時、麻衣さんは優衣さんをどんなふうにサポートされていたんですか?
麻衣:技術の面では妹の方が全然上なので、そういうアドバイスはせずに、いかにモチベーションを上げるかを考えて、メンタルの部分で支えになれればいいなと思っていました。練習を一緒にしたり、試合の前には「今まで練習してきたことを信じれば絶対大丈夫」というふうに、気持ちを上げるような言葉を伝えて。試合会場では、届いているかわからない中でも、大きな声で応援していました。
和代:私は、一番の逆境というと、やっぱり2018年の天皇杯欠場から始まって、2019年の(世界選手権で入江選手と世界選手権の代表を争った)プレーオフの時期を思い出します。
康弘:シニアの大会に切り替わってからは、私もその時が一番大変な時期だったと思いますが、もう一つは、小学校時代のレスリングをやり始めた時に、千葉県の他のクラブのライバルの選手になかなか勝てなかった時期です。その子は優衣よりも体が少し大きかったんですが、「その子に勝ちたい」という気持ちを持ち始めてから、かなり真剣に練習をするようになって、対策を考えていた時期がありました。その時は1年間くらいかけてその子に勝てるようになったのですが、私にもどういった技が有効かをよく聞きに来たり、子どもなりの執念というか、勝ちたい気持ちの強さは記憶に残っています。その勝利への執念は、今にもつながっていると思いますから。
試行錯誤した3年間。目指すのは「圧倒」と「圧勝」
――初出場の東京五輪は、4試合とも、相手に1ポイントも与えずテクニカルフォール勝ちという圧倒的な強さで金メダルを獲得しました。追われる立場になりましたが、この3年間の優衣さんの成長についてはいかがですか?
康弘:エリートアカデミーを卒業して社会人になって、学生時代とは違った背負うものができた中で、自分で相手を分析して、練習内容も考えるようになりました。今まではどちらかというと指導を受けながら強くなってきた形ですが、この3年間は、フィジカル面やメンタル面の強化など、自分なりに試行錯誤しながら失敗も成功もあった中で、自分なりにいい形でオリンピックを迎えられるような状況に持ってきたのかなと思います。
――食事の面では、今も和代さんがサポートされる部分はあるのですか?
和代:今は独学で栄養について勉強して、自炊も頑張っているみたいですが、週に1、2回、会いに行く時にはご飯を作ってあげています。
――パリ五輪では世界各国の挑戦者たちに対して、どんなレスリングを見せてほしいですか?
康弘:4月のアジア選手権は、ある意味ライバルから研究されていることがわかった大会だったと思うので、それから本人も惜しまず努力をして、今回のオリンピックでは圧倒して圧勝したいと言い続けてきました。東京五輪が終わってから3年間の努力や一日一日積み重ねてきたことをすべて出し切って、悔いのないように戦ってもらいたいですし、「やることをやれば結果が出る」という気持ちで、積極的に自分のレスリングを貫いてほしいですね。「勝負は時の運」という言葉もありますが、悔いを残さないように、やりきってほしい。もちろん、優勝はしてもらいたいですけれどね。
――和代さんはいかがですか?
和代:東京五輪の時は、会場となった幕張メッセの近くのホテルの1室から家族全員でテレビで応援していました。優勝した後は、夜遅くに本人がホテルに戻ってきてから、電話でメダルの報告をしてもらったのを覚えています。今回は3人でパリに行って応援します。今までやってきたことを全部出し切って、最後は自分を信じて頑張ってもらいたいですね。レスリングを楽しんで、パリの舞台を楽しんでもらえたらと思います。
――麻衣さんは、優衣さんにどんな声をかけたいですか?
麻衣:試合前は「本当に自分のことを信じて」ということを必ず伝えるようにしていて、そうすると、妹も必ず「やりきってくるね」っていう返事をくれます。それと、テレビ電話で表情を見て、「大丈夫だな」っていうことも確認しています。有観客でのオリンピックは初めてなので楽しみにしていると思いますし、東京大会の時とはまた違った会場の雰囲気中で戦うオリンピックを楽しんでほしいです。今まで練習してきたことをすべて出し切ることができれば、絶対に結果はついてくると思うので後悔のないように戦ってほしいですし、優衣らしく試合をしてほしいなと思います。
康弘:帰国してから落ち着いたら、またみんなで食事会をしたいですね。そこで優勝を祝えたらうれしいです。
――女子レスリング界をリーダーとして引っ張っている優衣さんに、どんな存在になってほしいと期待されますか?
康弘:競技を続けるのであれば、常に進化し続けて強くなってもらいたいというのはもちろんですが、ここ数年は海外で武者修行をする中で、ロシアに行ったり、キルギスに行ったりと、いろんな国でレスリングという共通言語で友達を作ってきました。今後もレスリングを通して、日本だけでなく、世界中の人たちと交流を広めて、自分らしく活躍し続けてくれればいいなと思っています。
【連載前編】レスリング世界女王・須﨑優衣の強さを築いた家族との原体験。「子供達との時間を一番大事にした」父の記憶
<了>
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[PROFILE]
須﨑優衣(すさき・ゆい)
1999年6月30日生まれ、千葉県出身。女子レスリング選手(50kg級)。株式会社キッツ所属。早稲田大レスリング部だった父の影響で、小学校1年生の時にレスリングを始め、小学3年生の時には全国少年少女選手権で優勝。2014年(中学3年生)の国際デビュー以来、これまで海外選手に94戦無敗、国際大会は24大会連続優勝と、勝利を続けている。リオデジャネイロ五輪金メダリストの登坂絵莉など強力なライバルとの代表争いを経て出場した東京大会では、八村塁とともに日本選手団の旗手を担当。4試合すべてで1ポイントも失うことなくテクニカルフォール勝ちをし、金メダルを獲得した。UWW(世界レスリング連合)世界ランキングは1位(2024年7月現在)で、パリ五輪では連覇に期待がかかる。