2022年にベルギー1部ロイヤル・ユニオン・サン=ジロワーズへ移籍し、海外挑戦を果たした日本代表DF町田浩樹。ジュニア・ジュニアユース時代の町田を指導し、鹿島のアカデミーで計13年間の指導実績を持ち、数々のJリーガーをプロの舞台へ送り出した天野圭介氏が迫る、町田が常に持ち続ける向上心の原動力とは? 「サッカー」×「学び」に特化した映像メディア『Footballcoach』の特別インタビューを通して、町田浩樹の人生のターニングポイントを辿る。
(構成=多久島皓太[Footballcoachメディア編集長]、写真提供=Royale Union Saint-Gilloise)
東京五輪での悔しさから海外挑戦へ
天野:2021年の東京五輪後、日本ではなく、海外で挑戦することを選んだ理由は何だったの?
町田:東京五輪は補欠からギリギリでメンバー入りして、なんとか本戦に出場できたのですが、出場時間はほんの5分ほどでした。直前のスペインとの親善試合でも、ボールに触れることすらままならない状況で、完全に圧倒されました。「このまま日本にいても、自分の成長には限界がある」と感じて、もっと厳しい環境で自分を試したいと思い、オリンピック後にベルギーでの挑戦を決めました。
天野:そうだったんだ。やっぱり環境を変えることで自分を追い込もうとしたんだね。実際に海外に行って成長を実感できた?
町田:東京五輪が終わって、ベルギーで揉まれて、自分に自信を持ってプレーできるようになりました。やっぱり自信を持ってプレーしている時、自分が伸びたなぁと感じますね。自信を持てずにプレーしている時はだいたい躊躇しちゃってうまくいかないじゃないですか。自信を得られるきっかけって一試合でもワンプレーでも変わることがある。勘違いであってもいいんですけど、何かのきっかけで自信を得ると今までできなかったことができるようになったり、成長速度が上がると思います。
天野:実際にベルギーに行ってみて、大きく感じたプレー面での変化や成長はある?
町田:まず、サッカーのスタイルが大きく違いました。日本では後ろからじっくりとボールをつないでゴールを目指しますが、欧州ではもっとダイレクトにゴールを狙う攻撃的なサッカーが主流です。それに、守備の場面でも1対1の局面が多く、自分が負ければすぐに失点につながります。でも、この環境でプレーすることで、自分のスキルが大きく成長したと感じています。また、幸運なことに日本人選手を理解してくれる監督に恵まれ、すぐに試合でも使ってもらえて、思った以上に早く適応できたことも大きかったです。
天野:正直、海外に行ってから適応するのにもっと時間がかかるかと思ったけど、すぐに順応できたんだね。それにしても、欧州の環境は厳しそうだけど、そういう環境でプレーすることがマチを成長させたんだね。
「日本の指導者は選手より上にいるイメージ」
天野:ベルギーは当然言語の違いもあるけど、コミュニケーションは英語?
町田:ベルギーでは主に英語でコミュニケーションを取っていましたが、地域によってはフランス語やオランダ語が主流で、選手によっては英語が苦手な人もいました。そういう場合には、簡単なフランス語を使って指示を出すこともありますね。例えば、試合中に「右」「左」といったシンプルな指示をフランス語で伝えたり。最初は言語の壁を感じましたが、日々の練習や試合を通じて少しずつ慣れていきました。
天野:言語の壁がある中でも、うまくコミュニケーションを取ってたんだね。語学力は日本にいる時から鍛えてたの?
町田:高校時代に英語の基礎を学んでいたことが役立ちましたし、実際に使っていく中で徐々に慣れていきました。言語もそうですが、特にこっちでは感情をしっかりと表現することが求められます。日本にいた時は、感情を表に出さないタイプでしたが、こちらでは自分の意見や感情をしっかりと伝えることも大切だと感じていましたね。監督とも積極的にコミュニケーションを取るようになって、その点で自分自身も成長できたと思います。
天野:日本だとあまり自分の意見を強く言わないことが多いけど、感情表現も大事なんだね。海外の指導者の違いなんかはどう? 「日本人指導者と違うな」と感じる部分とかはあるのかな?
町田:イメージですけど、日本の指導者は選手より上にいるじゃないですか? 海外だと基本的には選手も指導者もフラットな立場で1対1のコミュケーションは取りやすいです。「監督室のドアはいつでも開いているから」と言ってくれてますし、試合に使ってくれなかった理由も聞いたりできる。コミュニケーションの頻度は、全然違うなと感じますね。
日本代表としての使命感を胸に、一人でも多くに夢と希望を
天野:ベルギーに来て3年が経つと思うけど、今後については何か考えているの?
町田:試練を求めて、常にレベルの高い環境に挑戦していきたいという気持ちは持っています。現状はユニオンとまだ契約が残っていて、自分だけの問題ではないので難しい部分ですが。でも、今の自分にとって次のステップに進むことが重要だと思っています。レベルを上げて、自信が無くなるくらいの経験を求めています。人間って一つの環境にずっといたら成長が止まってしまうと思うんです。
天野:そっか、次のステップに進もうとしているんだね。安心と安全ってパフォーマンスを発揮するためにすごく大事。だけどあえてそれを崩して、もう一回大きくしていこうとしているんだね。その姿勢があれば、まだまだ上にいくね。環境を変えることで、また新しい成長のチャンスが得られると思うよ。クラブでも、代表でも更なる活躍が楽しみだね。
町田:パリ五輪を見ていて、感動して泣きそうになることも多かったんですよ。そんな時にふと、自分もプロサッカー選手として、日本代表として多くの人に夢と希望を与える立場なんだなと感じました。なかなかプレーしている時には気づきにくいことかもしれませんが、幸せなことだなと。
天野:まさにその通り。試合中にどんなに厳しい状況でも、「もうダメだ」とは思っちゃダメだよ(笑)。マチがファンや周りの人たちにとっても、大きな影響を与えている。純粋に応援したくなる人だなって思うよ。
町田:そうですね。僕がプレーしている姿が誰かの勇気になったり、希望を与えることができるなら、それが一番うれしいです。これからも、自分にできることを全力でやっていきたいと思います。
【連載前編】「このまま1、2年で引退するのかな」日本代表・町田浩樹が振り返る、プロになるまでの歩みと挫折
(本記事はFootballcoachで公開中の動画より一部抜粋)
<了>
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[PROFILE]
町田浩樹(まちだ・こうき)
1997年8月25日生まれ、茨城県出身。鹿島アントラーズの下部組織出身で、2016年にトップ昇格。2022年にベルギー1部ロイヤル・ユニオン・サン=ジロワーズに移籍。各年代の世代別日本代表にも名を連ね、2023年にA代表初招集。現在の日本代表に欠かせない長身で左利きのセンターバック。
[PROFILE]
天野圭介(あまの・けいすけ)
1978年10月23日生まれ、神奈川県出身。元鹿島アントラーズノルテ・ジュニアユース監督。大阪体育大学卒業後、指導者の道へ。鹿島アントラーズのアカデミーで計13年指導し、数々のJリーガーをプロの舞台へ送り出した。町田浩樹は鹿島時代の教え子にあたる。現在は中国四川省成都市のFAテクニカルダイレクターを務める。
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