スポーツの発展に欠かせない育成・普及のシステムにおいて、「日本に明らかに欠けている構造がある」と指摘するのは、アメリカを拠点にプロホッケーコーチとして25年以上の実績を持つ若林弘紀氏だ。人気・経営規模ともに拡大を続ける北米四大スポーツをはじめ、さまざまな競技が発展するために最適化された競技環境を研究してきた同氏は、日本の育成年代で「甲子園型」のレベル分けされてない一発勝負のトーナメント形式の大会が一般化されている現状に警鐘を鳴らす。北米スポーツの現状とともに、その問題点と解決策を探る。
(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真提供=若林弘紀)
育成年代の競技構造が抱える課題とは?
――若林さんは欧米、アジアのスポーツチームや組織、コーチング、育成環境や組織のマネージメントなど、幅広い国やカテゴリーで適切な競技環境を研究してこられたそうですが、その分野に注目したきっかけは何だったのですか?
若林:スポーツの競技構造に注目し始めたのは、20年近く前です。私自身がアイスホッケーに長く関わってきた中で、日本は20年前は世界でも一流半ぐらいの地位だったのが、今はその地位を少し落としてしまっています。その理由を考えた時に、「他国に比べて歴史が浅い」とか、「競技人数が少ない」と考える人は多いと思います。ただ、実は日本のアイスホッケーは100年以上の歴史があって北米とほぼ変わらないですし、競技人口も平均2万人くらいから徐々に減少傾向で推移してきたものの、ずっとトップ10には入っていました。しかし、日本が最近勝てていないデンマークやノルウェーは日本の4分の1ぐらいの競技人口で、トップリーグはセミプロです。スウェーデンやフィンランド競技人口は平均して日本の3倍から4倍程度ですが、50万人以上を擁するカナダやアメリカと互角以上に渡り合う最強国の一つです。そう考えたら、「何かがおかしいんじゃないか」と思い、競技資源の配分や、競技環境に注目するようになったんです。
――歴史や競技人口が同じなら、トレーニングや強化方法など、他の要因があると考えるのが自然ですね。長く見続けてこられた中で、どのような傾向が見られたのでしょうか。
若林:まず、日本に明らかに欠けているのが「育てながら競わせる」構造です。これは日本のさまざまなスポーツに共通して言えることですが、競技のその年代のトップを決める大会の多くが、無差別級の一発勝負のトーナメントになっています。例えば野球は日本で一番盛んなスポーツで、甲子園は全国3500校近くも出場するのに、その頂点が一つのトーナメントで決まるのはあまり合理的ではないと思います。甲子園の文化的な価値は素晴らしいと思いますが、野球に全力を注いでいる高校と、ギリギリ野球部員が10人いるかいない高校が1回戦で当たって、後者がコールド負けする――そんな大会は、高額な遠征費をかけてきたのに大敗して一回戦で去るチームだけでなく、大勝したチームにとっても実力が拮抗した接戦が減って得る物が少ないですし、そもそも競技のあり方として正しくないと思います。私自身、外に出ていろんな国やカテゴリーでコーチングをしてわかったのですが、そんなことをやっているのは日本だけなんですよ。欧米のアイスホッケー大国と比較するまでもなく、アイスホッケー競技が発展途上のアジアの国でさえ、子どものスポーツはリーグ戦が基本的に主体になっていて、競技レベルが低い国でも、各種大会を最低2つぐらいのレベルに分けているんですよ。
育成年代の先にある「分断」
――育成年代の大会はリーグ戦によって強化を図るというシステムが、世界的なスタンダードなのでしょうか。
若林:そうです。レベルを分けてリーグ戦にすればたくさん試合ができて点差がつきにくく、競いながら成長できるし、楽しい。それはスポーツの本質的なところです。それに、一発勝負の大会では指導者も育ちません。負けられないから、うまい子を試合に出すことが戦術になって、その中で指導者としての戦術や交代などの戦略など、得るものがほとんどなくなってしまう。限られた競技人口の、さらに一部しか質の高い試合経験を得られないのは競技資源の配分という意味ではものすごく不合理だと思うんです。
――勝利を優先して成長の機会を失ってしまうのは本末転倒ですね。
若林:競技構造がそうなっているのは、日本でもアマチュアの一部だけです。例えばプロ野球は年間140試合以上するし、ちゃんとレベル分けされた2軍や独立リーグがあるじゃないですか。アイスホッケーもトップレベルになったら40試合、50試合しますし、バスケもサッカーも同じように、プロや大学、一部の高校はレベル分けしてリーグ戦をやっています。スポーツは子どもから大人に向けてだんだんその形がプロになるように整えていくものなのに、育成年代は無差別級一発勝負のトーナメントで、ある年代になったらいきなりリーグ戦をやらないといけない。そこに分断があって、合理性や整合性がないんですよね。
普及は「楽しい」が正義。「甲子園は5大会ぐらいあってもいい」
――若林さんは国内外でアイスホッケーの育成年代の指導や普及にも長く携わってこられましたが、競技構造の違いが及ぼす影響をどのような場面で実感されますか?
若林:長年指導してきてわかったのは、育成年代においては特に競技を始めた時の入り口が重要で、普及においては「楽しい」が正義だということです。今は少子化が進んでいるので、昔のように「しごきに耐えた者だけが残ればいい」なんて言っていたら競技人口は減る一方ですから、指導者として子どもたちがいかに競技を続けやすい環境を作れるか。特に、競技をやり始めた時にどれだけ競技の楽しさを知ってもらうかに尽きると思います。そこで先ほどの競技構造の話に戻るのですが、せっかく始めたのに1回戦で負けたり、補欠で試合に出られなかったりしたら、たとえそこで学ぶものがあったとしても、子どもには何のためにやっているのかわからないですよね。「褒めて伸ばしたほうがいい」とか、そういう指導方針の話をする前に、そもそも、子どもが楽しい環境を提供できていないと思うんです。
――小さい頃に「楽しい」と感じる成功体験が多ければ多いほど、大人になってからもスポーツをやめずに「続ける」という選択肢が増えそうですね。
若林:それはあると思います。育成の上でまず大切なのは「楽しさ」を提供することで、そのために子どもたちがプレーできて、失敗が許される環境を整えることだと思います。その点で興味深いのは、例えば草野球って必ずレベル分けされているんですよね。それは草サッカーも同じで、いきなりプロの人とアマチュアの人が試合をやっても面白くないからです。大人はそれができているのに、育成年代にそういうものが用意されてないのはかわいそうだなと。
――問題点が明確なのに、その年代の構造がなかなか変わらない要因は何なのでしょうか。
若林:基本的には、人気競技である野球、サッカー、ラグビー等の伝統的な全国大会の影響が大きいと思います。無差別級一発勝負型のトーナメント形式を雛形にいろいろなスポーツが発展して、そこに美学を求めるようになってしまったようにもみえます。ただ、競技構造改革はまったく進んでいないわけではなく、例えばサッカー界ではデッドマール・クラマーという指導者の方がリーグ戦の必要性を60年くらい前から提唱していたので、早い段階で日本サッカーリーグを作ることに注力したし、さらにJリーグ創設と同時期に育成年代の教育構造を変えようとした流れが一つのアドバンテージになったと思います。その上で、2011年には高校年代の高円宮杯 JFA U-18サッカーリーグが整備されたのは大きかったですね。
高校野球でも自主的なリーグ戦などが誕生していますし、アイスホッケーにおいても、特に小中学生ではリーグ戦化が進んでいる地域も出てきました。現場レベルでは確実に問題意識が広がっているということでしょう。ただ、各競技団体や中体連、高体連主催の大会等はなかなか変わる気配がありません。個人的には、日本の野球の競技人口の多さを考えれば、甲子園はレベル分けしてそれぞれの参加校を減らし、運営をコンパクトにして5大会ぐらいあってもいいと思うんですよね。
プログラム化が苦手な日本。「まずすべきこと」とは?
――アメリカのアイスホッケーの現場だと、大会の形式はどのようになっているのですか?
若林:中学高校年代の全国大会だけでもレベル別、年齢別で10個以上あります。また、どんな小規模な大会でも、必ず予選リーグと決勝トーナメントがあり、試合数が保証されています。
――大会の数だけ優勝チームが生まれて、より多くの子どもたちが成功体験を得られるわけですね。
若林:そうです。全国大会までいかなくても、地元の大会や、アイスホッケーのリンク内だけで優勝を決めるハウスリーグという大会があって、子どもたちも親もすごく盛り上がりますよ。誰もがプロを目指しているわけじゃないわけですから、それでいいと思うんです。レクリエーションも一つのスポーツのあり方として考えて構造を変えていかないと、あらゆる競技の継続率は上がらないと思います。
――女子選手は特に、競技人口が減ってしまう理由として、レベルや地域別で受け皿となるチーム数の少なさが指摘されます。原因がわかればチーム数も増やせるのでしょうか。
若林:できると思います。どの競技でもまずやらなければいけないのは、継続率を調査して、どの年代で継続するためのギャップが生まれているか、またその原因を突き止めることです。例えば強豪チームには部員がたくさんいて、出られない選手のほうが多いじゃないですか。そこをうまく部員数が少ないチームにレンタルしたりして実力が似たチーム数を増やしてリーグ戦化を進めれば、より良い状況が生み出されると思います。レンタル制度はすでに青森県のアイスホッケーU-15リーグでかなり前から導入されてます。
こういう話を競技関係者の方にすると、「日本ではリーグ戦の試合数はこなせない」と言われることがあるのですが、現場の方の話を聞くと、例えば高校のアイスホッケー部や野球部はリーグ戦ができるぐらいの練習試合をこなしているんですよ。練習試合でも、レフェリーをつけてスコアシートも出ている。その競技資源をリーグ戦に費やせたら理想的ですよね。もちろん、すべてを海外のような環境にするのは不可能ですし、それが最善でもありません。でも、日本の特性を生かし、競技資源を最適化してより良い競技構造を作る余地はまだまだあると思います。
――解決の糸口は見えているのですね。
若林:日本では問題がわかっていても解決することにはあまりエネルギーを使わず、「イロイロあって難しい。こういうものだから」と諦めてしまうことが多いように思います。競技関係者はみんな、問題点はいくらでも出してくれるのですが、それを解決するための道筋を立てるプログラム化が苦手なんですよね。
――プログラム化するために、まずすべきことは何でしょうか。
若林:まずは問題を解決するために、現状を調査し、問題解決のための達成度を数値化して達成期限のあるプロジェクトにすることです。次に、それを実現するために日常的なプログラムに落とし込み、その結果を評価する。勝てる組織(チーム)は伝統的にこの構造化がしっかりしていて、リーダーはその運用がうまいということです。
<了>
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[PROFILE]
若林弘紀(わかばやし・ひろき)
1972年7月16日生まれ、大阪府出身。筑波大学大学院体育科学研究科修了。World Hockey Lab, LLC代表。アリゾナ・カチーナス・ゴールテンディング(GK)ディレクター。北米のユース、大学チームの他、日光アイスバックスのテクニカルコーチ、香港女子代表、トルコのクラブチームなど、プロからユースまで幅広いカテゴリーで25年以上の指導歴を持つ。2015年にアメリカに移住し、世界最高峰リーグNHL傘下のユースチーム等でコーチやディレクターを務める他、世界各地でアイスホッケーキャンプやクリニック、ビデオ分析をおこなっている。加えて一般企業や医療業界等、他業種のチーム作りやリーダーシップ、メンタルタフネス等のコンサルティングも請け負う。また、競技人口や競技施設を効率的に配置し、最適化された競技環境を構築する『競技構造』という概念を考案、研究している。アイスホッケーのプロコーチとしてUSA Hockeyコーチ・ライセンスの最高位であるLevel 5(マスターコーチ)のに加え、2024年にUSA Hockeyで新設されたゴールテンディングコーチの最高位Gold Levelを取得した最初の10人となった。
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