卓球界でワールドクラスのスター選手がまた一人、国際舞台からの引退を決めた。今年開催されたパリ五輪の男子団体にも出場し、惜しくも準々決勝でスウェーデンに敗れたドイツのティモ・ボルだ。20年以上にわたって世界の舞台で輝きを放った43歳は、晩年となった今年の試合でもいまなお中国のトップ選手とも互角に渡り合える実力を持つことを示した。ティモ・ボルの活躍を通して見えてくる“特殊な競技”卓球の価値とは?
(文=本島修司、写真=ロイター/アフロ)
「人生100年時代」に重要な意味を持つ競技
ドイツの皇帝、ティモ・ボルが遂に引退の時を迎える。
通算20回のヨーロッパチャンピオンに輝き、オリンピックでは4つのメダルを獲得。世界選手権でも9つのメダルを獲得してきた、衰え知らずの「生きる伝説」と言われた男だ。
そんなボルも、ついに国際大会からの引退でラケットを置く時がきた。36歳になって世界ランキング1位に返り咲く偉業を達成。東京五輪出場時は39歳。今年のパリ五輪出場時は43歳だった。オリンピックは、2000年シドニーオリンピックから6大会連続出場。引き際としては、もう「充分にやり切った以上」のものがある。
なぜ、ボルは、この年齢まで世界のトップで戦うことができたのか。 そこには、高齢になっても生涯楽しめるスポーツである卓球が「人生100年時代」に重要な意味を持つ競技であることとも、関係性が見えてくる。
自己管理次第で、長く世界のトップで戦う可能性を見出せる
ディモ・ボルが長く第一線、それも世界のトップの場で活躍できた理由。それは何よりも、本人の自己管理と努力の賜物としか言いようがないだろう。
43歳。オリンピックに出場するだけでもすごいが、それが今でも国一番のエースとして、また、打倒中国の急先鋒として名前が上がる存在でいることは、まずボルが100年に一度クラスの伝説的な名手であるとしか言いようがない。
そんなティモ・ボルのプレースタイルは、豪速球ばかりではない。それもまた、長きにわたり世界のトップで戦えた要因かもしれない。そして、卓球が「パワー」だけではない奥深さのある競技である証明にもなっている。
まずはサーブだ。若い頃から抜群にうまかったサーブは、年を追うごとに磨きがかかっている。やや小さめの投げ上げから、左利き特有のフォームで、手首でしっかり切る。YGサーブ(ヤングジェネレーションサーブ)で、逆の動作での切り方もある。これはあの水谷隼も舌を巻いて絶賛する強烈な回転量だ。サービスエースを連発で一気に試合が決まってしまったことも少なくない。
全体的に横回転系が多く、その精度が凄まじい。YGで出す切り方で、ショートサービスながら横回転。つまり逆・横回転が、台上で短くツーバウンドする。そしてこれが見た目には斜め下回転(斜め下に落ちる)サーブにも見えるのだ。水谷は以前「ストップしても浮いてしまう」と発言している。ボルには多彩なサーブがあるが、このサーブが最も際立っており、ボルの代名詞の一つになっている。
ボルと、日本のトップを走ってきた水谷隼との対戦成績は、通算15勝1敗。この成績を見るだけでも、ボルが長く第一線にいたことだけではなく、激戦の中で常に勝負強さを維持していたことが見て取れる。 また、ボルは素早い動作のチキータでも、観衆を魅了する。無駄のない動きで、バックハンドで回り込み、鋭く回転をかけてレシーブから「2球目攻撃」を仕掛ける。腕力ではなく、回転量と意表を突くコース取りで2球目から仕掛けていく姿が印象的だ。
晩年のボルの持ち味が凝縮された試合
引退イヤーとなった2024年も、何度も世界のトップ勢力と激戦があったが、卓球ファンの中では3月に行われたシンガポールスマッシュ男子シングルス準々決勝での梁靖崑との一戦は語り草となった。
中国の豪腕、梁靖崑を第1ゲームから19-17へ追い詰める形で試合開始。43歳のボルが淡々と中国のトップ選手相手に得点を積み重ねていく姿は“皇帝”というより“職人”のようにも見える。
その後、ゲームカウントは1-2となり、打ち負ける姿も目立つと、さすがにここまでかというムードが漂う。しかし、ボルが多くのファンから尊敬を集める理由はここからだ。
ループドライブを丁寧に重ねて打ち込み、緩急をつけ、相手を左右へ振る。チキータも混ぜる。たくさんの戦法を駆使しながらも、卓球の基本を忠実に守る。そしてまた、淡々と追いついていく。
乱れない。諦めない。この姿勢に多くの卓球ファンが魅了されてきた。
ゲームカウントは2-2となり、ここから梁靖崑が豪快なドライブで突き放しにかかる。しかし、ゲームカウント3-2とされてからも、また諦めない。むしろ、中国トップの若手のボールが自分のフォア側へ打ち抜かれそうなところを、必死で追いかけることを、楽しんでいるかのようにも見える。長いサーブはフォアで打って出る作戦に切り替えて、3-3と追いついてしまう。
最後は打ち合いで競り負けたが、この試合は晩年のボルの持ち味が凝縮されたような試合だった。
「卓球選手の教科書」の強さの理由
至近距離でとても軽いボールを扱う競技、卓球。
回転量や、打つ角度を工夫するだけで、豪速球と同じように1点が取れること。これこそが卓球の醍醐味の一つだ。
筋力も重要だが、卓球は筋力だけでは捻じ伏せることができない競技であるがゆえ、そこに面白味が生まれる。
だからこそ、年を重ねてもコツコツと練習を重ねることで強さを維持できたり、むしろ進化してしまう面も生まれてくる。
そして、ボルの強さの根源は、やはり諦めない姿勢。試合の中で追い込まれても一球一球を楽しみ、巻き返していく精神力。
ドイツの皇帝と呼ばれるティモ・ボルという存在は、競技へ向かう姿勢を含めて、すべてにおいてまさに「卓球選手の教科書」という言葉がとても良く似合う。
卓球は「キッズが強い」。そして「高齢でも強い」
キッズ選手が頭角を現すと、「天才少年、天才少女現る!」といったキャッチーな見出しが躍る。次々と世界の舞台でも結果を出すことができる若い選手が登場することも卓球の魅力の一つ。
一方で、日本では年代別に、30歳以上の部、60歳以上の部など、「マスターズの部」という枠が用意されている。このことからもわかる通り、卓球は年齢を重ねても楽しめる場がある競技だ。
やはり卓球は、筋力も必要とはいえ「パワーだけで捻じ伏せる」ということは難しい。他の球技と比べてもその傾向が強く、野球、サッカー、バレーなど、重いボールを扱う競技に比べると、はるかに「筋力が足りないキッズやベテランがトップクラスで活躍できるスポーツ」だ。
加えて、試合中ずっと走り続ける体力を必要とする競技、例えばサッカーなどでは、40代が20代と運動量で渡り合うのは、かなり厳しくなるだろう。当然のことだ。
そういった面でも卓球の場合「30代、40代のトップアスリート」という可能性は十分に見いだせる。 日本では16歳の張本美和の活躍が目立った2024年。同様に、43歳のティモ・ボルも世界の最前線で活躍できてしまう。それが卓球という競技なのだ。
目標なんてなくても、年齢を問わず楽しめる、卓球という競技
パリ五輪に最年長選手として出場した、ルクセンブルクの61歳の女性卓球選手シャリャン・ニが、トルコ代表選手に勝利して、オリンピックの「最年長勝利・世界ギネス記録」に認定された。
2021年(58歳時)には、世界選手権の女子ダブルスで銅メダルまで獲得している「スーパーおばあちゃん」の愛称で親しまれる選手だ。これまで6度のオリンピックに出場を果たした彼女は、4年後のロサンゼルス五輪にも「挑戦する可能性はある」と熱意を燃やしており、世界中の卓球競技者、卓球ファンに夢を与える存在だ。
ティモ・ボルも、国際大会の第一線からは身を引くことになるが、これから卓球の存在意義を後継者たちに伝えていく、大きな仕事が待っているだろう。ボルにしかできないことや、ボルにしか伝えられない経験は、きっと山ほどあるはずだ。
仮に「壮大な目標」などなくても楽しむことができる。10回ラリーを続けること。そのくらいのことで、今すぐ盛り上がれるのも卓球の良いところ。孫とおじいちゃん・おばあちゃんで楽しむことだって可能なのである。こういうスポーツは他になかなかないかもしれない。
今日も各地の体育館に、人気の卓球スポットに、あるいは温泉宿の卓球台に、人々が集い、老若男女がラリーにいそしんでいる。軽々なラリーの音、ポコンポコンという初心者の打つ音、さまざまなリズムが、それぞれのペースで鳴り響く。全世代が楽しめるスポーツは、きっと平和の象徴の一つだ。
卓球。この競技には、他のスポーツにはない、確かな存在意義がある。
<了>
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