なぜ、「日本の至宝」を、ゼロ円で送り出さなければならなかったのか――?
今年6月に、FC東京からレアル・マドリードへの移籍を発表した久保建英。プレシーズンツアーで堂々たるパフォーマンスを披露し、瞬く間にスペインのメディアとファンの心をつかんだ。現地時間8月22日にはマジョルカへの期限付き移籍が発表され、加入からわずか2日でのデビューも期待されるなど、これまでに多くの日本人選手がその高い壁に阻まれてきたスペインの地で、弱冠18歳にして確固たる評価を手にしつつある。
そんな久保を送り出したFC東京の大金直樹社長は、移籍に際して「契約が満了した後の移籍ということで、違約金(移籍金)は発生していない」ことを明かした。
これまでに数々のサッカー選手の国際移籍を手掛けてきた代理人の田邊伸明氏に、この移籍劇をどのように見たのか、話を聞いた。
(インタビュー=岩本義弘[REAL SPORTS編集長]、構成=REAL SPORTS編集部)
久保の強みは「自分のことを自分の言葉で話せる」6月14日に久保建英選手のレアル・マドリード移籍が発表され、翌15日にFC東京の大金社長が「契約期間は久保選手サイドの意向で18歳の誕生日(6月4日)までになっていた」と話していました。このことは、代理人の世界では知られたことだったんでしょうか?
田邊:そうですね。ヨーロッパのビッグクラブが久保選手の調査をしたり、来日して見に来ていることも知っていました。
代理人はみんな、そういう情報を持っているんですね。
田邊:情報交換していますからね。
そうした中でレアル・マドリードへの移籍が決まったとき、どんな第一印象を抱きましたか?
田邊:久保選手がコパ・アメリカで海外メディアの取材にスペイン語で流暢に話していたところを見ても、彼にとってはやっぱりスペインでやることが一番良かったんだろうなとまず最初に感じました。スペインありきで考えていたのかなと思います。
僕もそう思いました。せっかく10歳からスペインに行って、言葉も完璧にできるというストロングポイントを生かさないのはもったいないですよね。
田邊:加えて、久保選手のインタビューを見ていると、自分のことを自分の言葉で話せる選手だという印象を受けました。海外でプレーする上で、言葉の重要性をすごく感じていますので。
代理人として選手の移籍に関わる中で痛感しているわけですね。もし自分が担当の代理人をしていたら、どういったことを考えるのですか?
田邊:言葉のことはもちろんですが、18歳ぐらいの選手がスペインでやりたいとなったら、まず最初はよっぽどのことがない限りBチームに入ることになると思います。その中で、高いレベルで試合に出られるにはどこかと考えて、久保選手の場合、レアル・マドリードが一番だったのかなと思います。
ゼロ円でのレアル・マドリード移籍は特殊なケース今回の移籍に際し、FC東京との契約期間が18歳の誕生日までだった、それが当初からの約束事だったと明かされました。これは非常に特殊なケースですよね?
田邊:そうですね、非常に特殊なケースです。2015年に久保選手が日本に帰国することが決まった際に、いくつかのクラブで争奪戦が起きたと思います。その中で、FC東京を選んだ理由の一つには、18歳になったらフリーで出すというのが一つの条件だったのかもしれません。
久保選手サイドが絶対に譲らないポイントだったということですね。当初は当然バルセロナに戻ることを前提に考えていたでしょうし。
田邊:そうですね。そもそも海外でプレーしていた18歳未満の日本人選手が帰国すること自体が初めてのケースでした(※)。
帰国したくて帰国してきたわけではなかったので、当然、選手サイドとしては、18歳になったら戻れることを最優先に考えます。だってそこはアマチュアですからね。FC東京に入るときも、違約金(移籍金)は発生していないわけですから、そういう主張は絶対にしたと思います。
(※国際サッカー連盟(FIFA)は未成年者の国際移籍を原則的に禁止しており、バルセロナがその禁止事項に違反したとして、久保選手の公式戦出場停止処分が続いていたことから、日本への帰国を決めた)
プレーする環境を考えるとFC東京が一番レベルが高かったとか、いろいろな理由はあったと思いますが、やっぱり一番のポイントは18歳になったらすぐにバルセロナに戻れるようにしておきたかったというのは間違いなかったと思います。
田邊:何の障害もなく戻れるということが絶対だったでしょうね。久保選手サイドとしては、例えば年俸とかはそんなに大事ではなかったと思います。実際、加入した際はプロ契約ではありませんでしたから。なぜすぐにプロ契約しなかったのか? ここも今回の移籍劇のポイントの一つだと思います。(※2017年11月にプロ契約を締結したと発表された)
FC東京の立場でいえば、どうせ18歳で出ていくのであれば一日も早くプロ契約をしたほうが、トレーニング・コンペンセーション(TC)をより多くもらえたわけです。
TCを簡単に説明すると、ボスマンルールができて、契約が満了した選手は移籍金ゼロで自由に移籍できるようになったことで、選手を育ててきたクラブにとっては大きな打撃となりました。その救済措置として、23歳以下の選手の移籍については、育ったクラブに対してお金が入る仕組みがつくられたのです。それがTCです。TCを受け取る資格があるのは、選手が12歳の誕生日以降に所属していたクラブで、これはフリーの移籍だったとしても、移籍先のクラブが支払うことになります。
違約金(移籍金)とは別に支払うということですよね?
田邊:その通りです。今回のレアル・マドリードへの移籍で見てみると、FC東京は久保選手とプロ契約を結んでから約1年半在籍したことになるので、厳密には日割り計算になりますが、約2500万円を受け取る権利があります。FC東京からレンタルしていた横浜F・マリノスにも受け取る権利が認められています。
レンタル先のクラブも受け取れるんですね。
田邊:少しややこしいんですが、FIFAのルール上は関係ありません。ただ日本国内においてはレンタル先クラブがTCを得ることは認められていません。だからJクラブは23歳以下の日本人選手をレンタルで借りた場合に育て損になってしまいます。このローカルルールはなんとかしたほうがいいとは思いますが、FIFAルールでは認められています。
ただ、クラブと選手が違約金を設定する際に、TC込みの金額で設定することもあります。なので、FC東京は久保選手と契約した際に、TCの請求権すらも放棄している可能性もあるかもしれません。移籍する際の足かせになるので。僕が担当の代理人だったら、とりあえずはそう言ったと思います。戻ってきた経緯が経緯ですし、違約金がかかって加入したわけでもありませんからね。
近年のJリーグにおける選手契約の傾向は?
久保選手の場合、未成年のうちにバルセロナに行ってすごく注目されましたし、実力はもちろんマーケティング価値も高かったという面で、非常に特殊なケースだといえると思います。ただ、そうではない若い選手の場合でも、海外移籍を意識して単年で契約更新したいというケースはあるんでしょうか?
田邊:そういう選手が多いことは確かですが、だんだん「自分はこのクラブに対してお金を残していこう」と思う選手は増えてきています。でも、これはチームによって偏りがあります。
そういう選手とクラブも増えてきているんですね。
田邊:だけど、やっぱり選手は海外には行きたいので、海外移籍の場合だけ、フリーで移籍できるような特約をつけるケースも増えていますね。やっぱり最後は“選手の希望をかなえますよ”というスタンスをクラブが持っていることが大事だと思います。例えば、最低限の違約金だけを決めて、それをクリアすれば海外移籍を認めるとか。
もちろんその金額はなるべく大きくするけれども、ということですね。
田邊:そういった契約を認めるクラブもありますし、中には信頼関係の薄いクラブの場合、「いや、そんなのは認められない。10億円じゃないとダメです」みたいなことを言うクラブもあります。ただそれだと実際には、選手がそのクラブを嫌になってしまいますから、うちの場合は、クラブから信用してもらうために、事前の取り決めよりもずっと高い金額で移籍させるという実績をつくることや、そうした実績を積み上げることでクラブからの信頼を得て、他の代理人では引き出せない海外移籍の条件を引き出すことを重視していますね。
クラブも選手が海外に行くことに対して理解を示していかないと、かたくなにダメだと言っていると選手が来てくれないし、海外に行かせてくれるクラブという実績をつくったほうがいい。鹿島アントラーズは、そういうところが圧倒的に上手ですよね。
そうですね。これだけ多くの選手が移籍してしまえば、どう考えても戦力的には落ちてしまうから、普通だったら嫌がりそうなところですが、それでも認めるという。
田邊:昔からそうです。中田浩二、小笠原満男、柳沢敦、内田篤人、大迫勇也、柴崎岳、植田直通、昌子源、さらにこの夏には安西幸輝、安部裕葵、鈴木優磨も。選手を3年周期くらいで考えていると思います。まさにマネジメントですよね。
しかもクラブ愛があって、ほとんどの選手が鹿島に戻ってくる。すごいですよね。
田邊:それがやっぱり一つのクラブの理想形。そして、チームとして大きく崩れることがない。それをうまく利用して世代交代をしていく。
鹿島は本当に“クラブチーム”なんだなって思います。
田邊:チームマネジメントが本当にうまい。鈴木満さん(鹿島アントラーズ常務取締役強化部長)は、選手に対してものすごく愛情があります。だから選手はみんな「満さん、満さん」って。もっとそういうクラブが出てこないといけないと思います。
バルセロナからは正式なオファーが無かった可能性も……久保選手に話を戻すと、バルセロナのファンはカンテラ育ちの選手をライバルのレアル・マドリードに奪われたことで、痛烈にクラブを批判しています。バルセロナがカンテラ育ちの選手に対して慣例的となっている約3000万円の年俸だったのに対して、レアル・マドリードは1億円を超える金額を提示したといわれています。
田邊:僕は、お金で選んだんじゃないと思います。レアル・マドリードのほうが年俸が高かったからレアル・マドリードに行ったわけではなく、熱心さが違ったんだと思います。
「戻ってきてもいいよ」というバルセロナと、「どうしても欲しい」というレアル・マドリード、ということですか。
田邊:そう、熱心さが違ったと思います。バルセロナは「きっと戻ってくるだろう」と思っていたように見えました。
「久保にはバルセロナの血が流れている」という感じがあって、「だから特別扱いしないよ」と余裕をもって構えていたところに、ものすごく熱心なオファーが来たと。
田邊:そうですね。久保選手がコパ・アメリカの日本代表に選出されたときにバルセロナのことを聞かれて、「もう過去のことなので」と話していましたからね。そうした言葉が出てくるのは、そもそもそんなにバルセロナにこだわりがなかったのか、それともここまでのアプローチの中でどこかがっかりしてしまったのか。後者だとしたら、年俸の金額が低かったからという理由では、ああいう言葉は出てこないと思います。彼は本当にバルセロナに戻りたいと思っていたと考えるのが自然なので、そのバルセロナ愛を踏みにじられたように感じたんじゃないかなと。そうじゃないと、「バルセロナは過去のこと」とは言わないと思います。
バルセロナを熱望している中で、その熱意と見合う対応をされなかったと……。確かにそう考えると合点がいきますね。
田邊:もちろんこれはわかりません、あくまで推測ですが、もしかすると、実はバルセロナは久保選手に対して正式なオファーはしていなかった、ということもあり得ることだと思います。例えば、「韓国のメッシ」といわれたイ・スンウは、結局バルセロナBからトップチームに昇格することなく売られたわけですよ。それぐらいにしか考えていない、バルセロナのトップレベルにはならないと思ったかもしれません。もちろん実際のところはわかりませんけど。
これは推測でしかないという前提ではありますが、確かにバルセロナから正式なオファーがなかったんだとしたら、久保選手のその発言もわかりますし、レアル・マドリードに行くのも理解できますよね。もしどっちからも熱心にオファーがきていたら、おそらくレアル・マドリードには行かなかったんじゃないかとも思いますし。
田邊:僕もそう思います。だから、バルセロナからは正式なオファーはしなかった、もしくはオファーはしても、Bチームで、トップ昇格はもちろん保証しないと。そうした熱意の違いが、契約年数やお金に表れるんじゃないかと思います。もし、「君のことがどうしても欲しい。でもお金はこれしか払えない」ということだったら、他のクラブがどんなに高い年俸を提示したとしても、バルセロナに行ったと思います。
バルセロナにしてみれば、カンテラで育った選手なので、他の外国人選手と比べて絶対に適性はあるわけですよね。バルセロナのDNAを持っているし、スペイン語も話せるし、スペインでの生活にも慣れている。だから、“やれる”と考えていれば、絶対オファーしているはずなんですよ。だから、そこまでやれる可能性はまだまだ高くないと判断してオファーしなかったと考えるほうが自然かなと思います。
<了>
PROFILE
田邊伸明(たなべ・のぶあき)
1966年生まれ、東京都出身。日本サッカー協会(JFA)登録仲介人(元JFA認定選手エージェント)。大学卒業後、スポーツイベント会社に就職、1991年からサッカー選手のマネジメント業務を開始。1999年JFAのFIFA選手代理人試験を受験し、2000年FIFAより選手代理人ライセンスの発行を受ける。これまでに海外移籍を含めて数多くの移籍を手掛けてきた。2013年JFA公認C級コーチライセンス取得。株式会社ジェブエンターテイメント代表取締役。