いよいよキャンプも終わりを告げ、新シーズンに向けた形が見え始めてきた。2019シーズンの阪神タイガースは、怒涛の6連勝で大逆転のクライマックスシリーズ進出を決め、横浜に乗り込んだファーストステージでは1点を争う痺れるような展開を制するなど、見る者を魅了した。
期待される15年ぶりのリーグ優勝。そのキーマンは果たして誰になるのだろうか? その思考と哲学に迫る連載、最後の一人は、藤浪晋太郎だ。長く暗いトンネルに迷い込んでしまったエースに新たな気づきをもたらし視界を開いたのは、稀代のジョッキーの唯一無二の言葉だった――。
(文=遠藤礼、写真=Getty Images)
誰よりも自分自身が自分を信じられなくなっていた光と影、栄光と挫折……そんな言葉も陳腐に聞こえてしまうほど上下動の激しい濃密な7年間を過ごしてきた。
0勝0敗――。昨季刻まれたキャリア初の数字に「屈辱」以外の捉え方なんてないはずだった。プロ8年目を迎えた藤浪晋太郎は、俯瞰しながら苦闘の長い道のりを静かに振り返る。
「(昨年が)悔しいシーズンなのは間違いないですけど、その前の2年(2017、18年)も0勝でもおかしくなかったので。あの状態でごまかして3勝も5勝もよくできたなと思う。そういう意味では(0勝だったのも)不思議じゃない。ただ、ショックを受けていても仕方ないので、今年やるしかない。ありきたりですけど、今はそういう気持ちですね」
結果の出ない日々を投げやりに、素通りしてきたわけでは決してない。「高卒でプロに入って、もう25歳かと。あっという間の7年間でした。本当にいろんなことを経験し過ぎたというぐらいしてきました」。
高校生から社会人へ。誰だって18歳が25歳になれば、それぞれ艱難辛苦の経験は積むだろう。小さな成功もあれば大きな失敗をすることだってある。笑うこともあれば、泣くこともある。藤浪もそうだ。順風満帆と思われたキャリアに突然“逆風”が吹いただけだ。浴びていた脚光が罵声に変わることも知った。ただ、時に顔を背けることはあっても、前だけは向いてきた。だから「勝てなかったですけど挫折とかそういう感じで思ったことはないです」と言い切る。不調の期間と比例する、自身と向き合ってきた膨大で孤独な時間は、悩める若きエースにとって、決して無駄ではなかった……いや、そうしなければいけない。
名門・大阪桐蔭のエースとして春夏連覇の偉業を成し遂げ、2012年のドラフト1位で阪神タイガースに入団すると高卒1年目から10勝。3年連続で2桁勝利をマークし瞬く間にチームに欠かせぬ存在になった。待望されてきた生え抜きの大黒柱に多くのファンが夢と希望を乗せた。そんな中、見えないところで歯車は狂い始めていたのかもしれない。2016年は7勝に終わると翌年の2017年春には制球難に陥り、初めて不振を理由に2軍降格も経験。本来の姿を取り戻せないまま、長く暗いトンネルに迷い込んでしまった。
普段から研究熱心で、知識や引き出しがあるが故、試行錯誤するうちに「自分の投げ方を忘れてしまった」と投球フォームは大きく崩れた。ただ、それ以上に心の部分での揺らぎが悩みをより深くし、見えない何かとの戦いにいざなった。
「今思えば病んでましたね……。グラウンドに行くのも憂鬱になった時期もあったので。全員が敵に見えるというか、疑心暗鬼になるというか。俺、そんな悪いことしたのかなと……」
個人成績の下降とともにチーム内からも厳しい視線が注がれた。練習姿勢や先輩へのあいさつに至るまで……自分の悪評ばかりが、どんどん耳に入ってきた。「自分が弱かったですね」。誰よりも自分が、藤浪晋太郎という人間を信じられなくなっていた。
数え切れないほどの称賛と批判を受けた「唯一無二」の2人そんな時、思考の転換を促してくれたのは稀代のジョッキーだった。親交のある武豊からかけられた言葉は、発する者、受け取った者が「唯一無二」であるからこそ響き合い、新たな気づきになった。
「これは語弊があるかもしれないんですが。おごりとかそういう意味じゃなく、自分のことをもっと特別だと思ったほうが楽になれるよ、と。いろんな批判、バッシングを受けても自分でおれるよと。(武)豊さんは特にそういう話をしてくれました。あえてそう思えよと。自分が特別だから、それだけ批判も言われる。そう思うようにしてから気楽になれた部分はあります」
10代の頃からターフで数え切れないほどの称賛を受け、批判にもさらされてきた境遇は、高校時代に日本の頂点に立ちプロでも背負いきれないほどの期待を受けてきた右腕と重なる部分は少なくない。武豊が藤浪晋太郎に教示するからこそ意味を持った「境地」。期待や批判を受け止めるのではなく必然の「あるもの」とする心構えは、これまで備えていなかったもの。苦しんだ3年以上もの期間、何度も遠回りしながら、ようやくたどり着くことのできた“場所”だった。
しかし、藤浪が上がっているのはプロの舞台。どれだけ苦しい過程を踏んで精神的にたくましくなっても、結果がすべてを凌駕してしまうある意味、残酷な世界だ。だからこそ歩んでいく道は一つしかない。
「いつか“あの苦しんだ時期があったから”と言えるようにしたいですよね。そのためには、結果を出さないといけない。プロなんで、いつ切られてもおかしくないと思ってます。まだいける、とかそんな感じではないですね」
道半ばでも復活へ向けて着実に前進はしている。昨年の秋季キャンプと今春キャンプで臨時コーチを務めた元中日ドラゴンズの山本昌氏の指導も受け、課題とされてきたリリースポイントは安定しつつある。何より、宜野座のブルペンで投じるボールの威力を見れば、やはり背番号19が「特別な存在」だと感じざるを得ない。その輝きを取り戻すことが、リーグ優勝を目指す矢野阪神最大の“補強”となることは間違いない。
すべてを覆すようなことを言えば、1軍での躍動も、過去4年間のもがきも、今はまだ「意味」を持っていないのかもしれない。その“答え合わせ”はもっと先にあると信じて、25歳はマウンドに上がり続ける。
<了>