新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響で4月4日、5日に行われる予定だった全日本選抜柔道体重別選手権も延期となり、東京五輪の代表の座を懸けた阿部一二三と丸山城志郎の世界チャンピオン二人の決戦も保留となった。あらためて今、世界で最もハイレベルなライバル二人の戦いの軌跡を振り返ってみたい。
(文=古田英毅)
二人の世界王者の対決の行方東京五輪が延期となり、競技によって代表権の行方はさまざま。柔道日本代表は目下のところ「再選考か」「代表内定権維持か」で揺れている。
4月15日の全日本柔道連盟常務理事会までには方向性が決まると思われるが、その結果のいかんにかかわらず強者二人による最終対決という決定的なステージの設定が確実な階級が一つある。男女14階級のうちただ一つ決着がつかず、最後まで内定が打たれることのなかった男子66kg級だ。
雌雄を決するのは阿部一二三と丸山城志郎の世界チャンピオン二人。2016年のリオデジャネイロ五輪以降3度行われた世界柔道選手権はすべて日本人が優勝、この二人以外に世界王者は生まれていない。まさに世界最高峰の対決である。
本来であれば5日の全日本選抜柔道体重別選手権で行われるはずだったこの決戦。時期はどうなるかわからないが実現自体は確実。そして、間違いなく柔道競技史上に残る歴史的大一番である。
「旬」に制度が噛み合わず、リオ五輪に一歩届かなかった天才・阿部既に天才との呼び声高かった阿部は高校2年生だった2014年、全国高等学校総合体育大会柔道競技大会(インターハイ)と全日本ジュニア柔道体重別選手権大会を圧勝した勢いを駆ってなんとシニアカテゴリの講道館杯全日本柔道体重別選手権大会で優勝。これで出場権を得たグランドスラム東京2014でもパワー自慢の海外選手を投げまくり、男子史上最年少のグランドスラム大会制覇を達成。一気にリオデジャネイロ五輪代表の有力候補に浮上することとなった。
しかしもっとも大事な2015年は周囲の徹底マークに遭って肝心のところで成績を残しきれず。世界選手権代表が掛かる4月の全日本選抜体重別では髙市賢悟に抑え込まれて3位、グランプリ・ウランバートルではダワードルジ・トゥムルフレグ(モンゴル)に逆転負けを喫して2位、そして五輪代表の1次選考会である11月の講道館杯では準々決勝で丸山城志郎に巴投「有効」で敗れてしまい、ここで五輪の夢は断たれてしまった。すべての選手にターゲットにされる立場は、高校3年生には過酷過ぎた。
既に権利を失った中で出場したリオ五輪代表最終選考会、2016年4月の全日本選抜体重別では爆発的な強さで優勝。準決勝では代表確実の海老沼匡を大外刈「技有」、左袖釣込腰「有効」、そして背負落「技有」と立て続けに3度投げつけるというすさまじい出来であった。会場は騒然となった。明らかに阿部には全盛期が訪れつつある、五輪にもっとも必要な「勢い」もある。それでも阿部を選ぶことはできないのか。3年間コンスタントに勝ち続けねばならない現在の選考制度に対し、突如出てきた阿部の若さは噛み合わなかった。全盛期を迎えながら、そして国内最高峰大会で力を示しながら、五輪の舞台に立つことはかなわない。
阿部はまだ22歳だが、既に五輪の挫折を知っている。実はメンタルの揺れ幅の大きい彼が「五輪」という軸だけは絶対にブレさせない、あの執念はここにルーツがあるのだ。
66kg級世界に訪れた「阿部の時代」最強をうたわれながら五輪に出場できなかった。その鬱憤を晴らすかのように、リオ後の阿部は勝ちに勝ちまくった。それまでの、攻めが強いが守りに隙がある「抱き勝負」スタイルを正面に構えての背負投中心にあらためて、片襟から、両袖から、この技を決めまくった。2017年のブダペスト世界選手権では6戦して5つの一本勝ちという圧勝で初出場初優勝。唯一「一本」を逃したジョアオ・クリソストモ(ポルトガル)戦も「一本」級の「技有」を3つ決めており、ここ十数年の軽量級世界ではちょっと記憶がないほどの無双ぶり。遠間から体をぶつけるなり一気に「ごぼう抜き」で相手を高空に連れ去り、たたき落とす阿部の技は見た目のインパクトも十分。まさしく鎧袖一触、その強さと力強い投げに、世界は、酔った。
続く2018年バクー世界選手権も当たり前のように優勝。全選手に狙われる立場にありながら、有り余る地力ですべての挑戦を跳ねのけて2連覇の偉業を成し遂げた。試合の様相は「いつ仕留めるか」だけが焦点のまさに据えもの斬り。国内はもちろん、世界にも阿部の敵は全く見当たらなかった。JOCシンボルアスリートへの選出も当然であったと言える。東京五輪を象徴する、若きスターの誕生である。
追撃者・丸山城志郎の登場無人の野を行く阿部、ライバルさえ存在しない阿部。ここに待ったを掛けたのが4歳年上の丸山城志郎である。すでに天理大学2年時の2013年に講道館杯で優勝していたが、翌年左膝前十字靭帯断裂の大けがを負って伸び切れず。リオ以降も序列上はあくまで「阿部の次」を他と争う立場であり、2018年の全日本選抜体重別の優勝でようやくこの位置を固めたに過ぎなかったこの選手が、明らかに変わったのは2018年アジア競技大会のV逸。すさまじい切れ味の技を連発、全試合一本勝ちで決勝に進みながら2015年世界王者アン・バウル(韓国)を相手にまさかの秒殺負け。
天才肌の業師にありがちな「ポカ」であり、これまでの「評価は高いが結果が残せない」という丸山のキャリアが凝集していたような試合であったが、ビッグタイトルを逃した衝撃が彼を変えたのか、続いて畳に現れた12月のグランドスラム大阪では佇まいが一変していた。古武士のような風格ある進退から放たれる内股は、まさに名刀の切れ味。決勝までに4度この技を決めると、ファイナルの阿部一二三戦ではこの内股の恐怖を晒して阿部を押し込み、腰を引かせたところに巴投をねじ込んで「技有」奪取。ついに阿部に土をつけた。
結果以上に衝撃的だったのは、強気を持って鳴る阿部が蛇に睨まれた蛙のように「下がった」こと。投げがアイデンティティのはずの阿部が、見た目の攻勢を積んでの「指導」ポイントで勝とうとしたこと。予備知識なしに見れば丸山が格上に見えたはずの試合だ。
阿部は丸山が苦手なのか。筆者は直後、丸山に直接聞いてみた。柔道選手同士は、組み合えば力関係がわかる。丸山は阿部と組んで、直感的にどう感じたのか。彼の答えは「負けるというイメージは感じない」だった。気負いなく、慎重に言葉を選び、落ち着いて語るその口調からは自分を大きく見せようなどという山気は微塵も感じられなかった。真実の言葉だ。ライバル誕生の瞬間である。
ここまで丸山が3勝1敗、いよいよ訪れる「勝ったほうが代表」の最終章阿部の独走から、一転しての天敵出現。そして2019年4月の全日本選抜体重別の決勝で二人は再び矛を交えることとなる。この試合は、阿部が恐怖に打ち勝って前に出続けることで丸山の理と力を突破。なんと試合時間13分を超える大熱戦となったが、最後はまたもや丸山の巴投が炸裂。阿部に腰を引かせた一瞬体を足元に滑り込ませる巧技で「技有」を奪って勝利を決めた。
第3ラウンド、8月の東京世界選手権準決勝の対決は凄絶な一番となった。試合開始早々に丸山が指をつらせ、しかも右膝を負傷。開始僅か1分強で「指導2」まで失ってしまう。しかし後がなくなった丸山はここでスイッチが入った。掴めない、跳ねられないままそれでも得意の左内股を打ち込み続けて主導権を奪回。両手を下げ、脚を引きずってユラリと前に出るその迫力に阿部が一歩、二歩と思わず下がる。総試合時間7分46秒、掴めず、跳ねられない丸山が選んだフィニッシュは相手の背を抱いての浮技。自ら体を捨てた丸山に引き込まれた阿部が体側から落下し、劇的な「技有」で試合が決した。事実上の決勝を制した丸山はそのまま金メダル獲得。ここに、日本の1番手の座は丸山に移ることとなる。
スタッツは0-3、今度は阿部が追いかける番。2019年12月のグランドスラム大阪決勝は丸山が勝利すれば東京五輪代表内定という大一番となったが、負傷で調整不足の丸山を尻目にこの日の阿部は絶好調。2017年世界選手権時のような体の力が復活していた。前に出続け、押し込み、「指導」をリードし、最後は窮した丸山が放った乾坤一擲の左内股を弾き返しての内股返「技有」奪取。ついに天敵・丸山に勝利してギリギリで五輪代表争いに踏みとどまった。
そして「丸山が勝てば五輪代表内定」が再び設定された今年2月のグランドスラム・デュッセルドルフは、丸山が直前に左膝を負傷して欠場。阿部はライバル不在の大会をしっかり優勝し、ついに「勝った方が代表」というところまで位置を戻して最終選考会である全日本選抜体重別を迎えることとなったわけである。
この大会はギリギリで延期となったわけだが、状況には一片の変化なし。出来上がったシチュエーションは、世界チャンピオン同士が、全14階級中最後に残った「地元開催の五輪日本代表」の座を懸けて戦うという替えの利かない大一番。世界最強をうたわれる日本柔道が4年間掛けて凝りに凝って練り上げた、振り替えの利かない1試合だ。
これまでの戦いから導き出されるのは「戦略的構図では丸山が優位」「ただし1試合だけなら勝負はどちらに転ぶかわからない」という2項。組み手がうまく、攻撃の引き出しの多い丸山が理屈としては優位だが、あまりの大一番ゆえ阿部の最大の長所である勝負強さが最大限まで増幅されるのではないかという見立てだ。
阿部か、丸山か。4年間にわたる二人の戦いは、ついに最終章を迎えることとなる。まさに歴史的なこの大一番。対決は延期されたわけだが、二人がこれ以上ないベストコンディションでやってくるであろうこともまたこれで保障されたともいえる。最後の戦いただ1試合に向けて、ただ一人の敵に照準を合わせて力を練ることが許された二人はいま、いったいどのような方向の成長を期しているのだろうか。世界最高峰の戦いを、ファンは絶対に見逃してはならない。
<了>