テコンドー日本代表としてすでに来年の東京五輪出場が内定している鈴木セルヒオ&鈴木リカルド兄弟と、山田美諭。この3選手を育て上げたのが大東文化大学テコンドー部監督の金井洋だ。「彼らの活躍に日本テコンドーの未来がかかっている」と期待をかける金井は、どのような指導法で彼らをオリンピックの舞台に導いたのか? その柔軟でいて芯のブレない育成術はスポーツの垣根を超えた若手指導のヒントに溢れている。
(文=布施鋼治)
鈴木セルヒオが掛けられた「自分で考えろ」の言葉テコンドー男子58kg級代表の鈴木セルヒオ(東京書籍)は父が日本人で、母がボリビア人。中学時代にボリビアでシニアのナショナル王座に就くと、高校は韓国へテコンドー留学を果たす。そして大学進学を機に日本へ。大東文化大学に進学した。
セルヒオは大東文化大学テコンドー部の金井洋監督にいろいろ教えてもらえると期待したが、待てど暮らせど具体的なアドバイスはない。意を決して「なぜ教えてくれないんですか?」と詰め寄ると、金井はにべもなく答えた。
「自分で考えろ」
この一見突き放したような言葉に、金井のコーチング論が集約されている。最初から手取り足取り指導するわけではない、金井の指導法はいかに確立されたのか。
「一つは、私はJOCナショナルコーチアカデミーの3期生なんですよ。そこで学んだことが大きい」
JOCナショナルコーチアカデミーとはオリンピックをはじめとする国際競技大会で活躍できる選手を育成・指導するコーチやスタッフの養成を目的に設立された教育機関を指す。
アカデミーで研究を重ねるうちに、金井は日本のテコンドーが置かれている状況に悩まされた。
「正直、いまのままではダメだと思いました。他競技のコーチたちと一緒に受けるわけですけど、テコンドーのコーチングがいかに遅れているかがわかりました。コーチとして何をすべきか。その部分が決定的に立ち遅れていた」
コーチングの進歩は日進月歩。スポーツ科学の発展とともに、どんどん進化している。少なくとも「俺は、こうやって強くなった」というスポーツ根性路線を下敷きにした指導はもう時代遅れだろう。
「コーチが自分の経験則だけに頼っていたら抜かれるのは当たり前ですよ」
金井はアカデミーで学んだ「指導とは本来自分で答えを出せるほうに導いていくものではないか」という伝え方に深く共鳴した。
「実は誘導したんだけど、選手個人が気づいた形にする。指導者が選手の首根っこを捕まえ、ああしろこうしろと指導するのはカデット世代(テコンドーの場合、12~14歳)まででしょう」
みんながみんなを応援し合えるチーム大会出場が決まると、金井は必ず選手用にイメージ画像を作る。昨年末には初めてコーチ用のそれも作った。筆者は『THE FINAL STAGE FOR TOKYO2020』と題された作品を見せてもらった。これは、2月9日の2020東京オリンピック日本代表選手 最終選考会のために制作されたものだ。
トレーニングや試合の写真が編集されて並び、各選手の試合や練習映像へ。もちろんその映像は競り合った末にビッグポイントを得たりしたものだ。練習映像は苦しいところでもう一踏ん張りするところが使われている。
エンディングは「だからこそ勝ち獲る ブレない真の強さを」「最高の瞬間を選手とともに ありがとう」というテロップで結ばれていた。金井は個々のモチベーションが上がるような映像制作を心掛けたという。
収録時間は約7分。これは「人間の集中力が持つのはだいたいそのくらい」であることを見越したうえでの時間設定だ。
結果的に鈴木セルヒオや女子49kg級代表の山田美諭(城北信用金庫)はオリンピック出場権を勝ち取った。しかしながらまだ決まる前に周囲から「鈴木や山田はオリンピックに行けそうですね」と振られても、金井が相槌を打つことはなかった。それはそうだろう。最終選考会には彼らの他にも一緒に汗を流すOBや在校生たちもあまたいたのだから。
「そこで『はい』と言ってしまうと、『ああっ、やっぱり金井さんもそう思っているんだ』と思われてしまう。そこのところはすごく気をつけていました」
練習中はどんな選手でも対等に扱う。昔もいまもその点における金井の指導方針は不変だ。
「やっぱり一回も勝てない選手もいれば、オリンピックを目指している選手もいるわけです。どっちが偉いということではなく、人として同じ方向を向いている。(勝利という)同じ目標に向かって頑張るチームでないといけない。目標に差別はない。そういうチームでなければ、ウチは破綻していたでしょうね」
その結果、大東文化大テコンドー部はみんながみんなを応援し合えるチームになった。トップレベルはトップレベルで刺激し合う間柄だ。
「卒業生たちは下(在校生)に抜かれまいと頑張る。在校生は常に上がいるので目標を立てやすい。いまはものすごくいい状態だと思います」
イレギュラーをレギュラーにできる選手を育てる大東文化大の他にも大会に選手をエントリーしている大学はいくつかあるが、この大学ほど大きな実績を残しているところはない。以前は大東文化大より好成績を収める強豪校もあったが、最近はとんと活躍を聞かない。競技の発展を願うならばライバル校があったほうがいいに決まっているが、現段階で大東文化大はONLY ONEというべき存在になっている。
なぜ独り勝ちのような状況になったのか?
「不景気なので、(マイナー競技に)力を注げる時間も人も減ってしまったのかもしれない。なぜ大東文化大がこんなに伸びたかといえば、大東ならではの風土があったからだと思う」
具体的にいうと?
「大学が経営を考えたら、露出も少ない競技を強化するのはお金がもったいないというふうになりがち。でも、大東文化大には昔から『頑張っているなら応援してやろう』という風土があって、『テコンドーって何?』という時代からお金をかけてくれた。それを私は粋に感じているので応えないといけない。それで、ずっとやってきたというのはあります」
2023年に開学100周年を迎える大東文化大はまだ世の中に駅伝やラクビーが浸透していなかった時代からサポートしてきた。「頑張っている学生は応援する」という風土は、何もテコンドーに限ったわけではない。
「ラクビーはいまでこそ花形ですけど、誰も知らない時から大東文化大はトンガ人を入れたりして強化していましたからね。テコンドーの場合、結果を出したら、だんだん予算を上げてくれました」
もちろん、自分の経験から行動に移す時もある。金井は現役時代、海外で行われた国際大会に幾度となく出場しているが、自分のコーチが帯同することはほとんどなかった。
「予算の問題? いや、帯同する時間を設けられないということだったのでしょう。コーチとのパワーバランスも悪かったんでしょうね。だから自分で考えることが多かった」
その結果、金井は自分なりに勝利の方程式を作った。「○○さんがいなかったら勝てない」というのは言い訳にしかならないということだ。「どんな状況でも勝つ方向に持っていく。自分でやるべきだと思います」。
だからこそセコンドに就いてくれた他の選手のコーチや代表コーチとは、コミュニケーションをよくとるようにしている。
「試合になったら、これだけを言ってくれというのも大事。『いくつも言わないでください。絞って言ってください』と頼んだこともありますね」
その姿勢は指導者となったいまも変わらない。
「うちの選手は私がいなくても勝つ。どんなイレギュラーにも耐えうる。イレギュラーをレギュラーにできる選手に育ててきたつもりです。何がなければダメとか、誰がいなければダメとか、そんな弱い選手はいらない」
山田美諭と立てた復活までの計画選手によっては、やる気という名のスイッチが入るのを待つケースもある。金井は山田美諭もこのタイプだったと振り返る。
「正直、(2016)リオデジャネイロ五輪の前は本当にイライラしていました」
当時からオリンピックを狙えるだけの逸材だった。主要国際大会ではベスト8まで進出するケースが多かった。しかし、4回出場した世界選手権でベスト8は初出場した2013年大会のみ。
「本気ではなかったんじゃないですかね。山田は本気だったと主張するかもしれないけど、(かつてオリンピックを)目指した人間からすると、練習に対する取り組み方が甘く見えました。言われたことは一生懸命にやっていたけど、言われた以上のことはやらない」
顕著な変化が表れたのは、リオの最終選考会で大ケガを負ってからだった。
「山田は本当に苦しいリハビリをしていたと思う。その苦しみは本人にしかわからない。その苦しみを乗り越えたからこそ、いまの活躍がある」
現役続行ができるかどうかわからないという状況の中で、金井は山田に伝えた。
「やる気があるなら全力でやるよ」
山田の父親は地元愛知県で空手道場を経営し、兄・勇磨はテコンドーの強化指定選手だったという家族の精神的なサポートがあったことも見逃せない。金井はケガをした時が採用年だったが、それでも採用を取り消さなかった所属の城北信用金庫にも感謝する。
「それで山田も、周りに恩返ししたいという思いが大きくなったんだと思います」
復帰するにあたり、金井は山田とともに東京五輪までの計画を立てた。いまも残るデータには次のように記されていた。
■2020 年東京五輪までの計画
2017 年度 強化指定選手に復帰…短期目標
2017 年 国際大会でのメダル獲得(世界ランク 30 位、五輪ランク 50 位に)
2018 年 世界ランク 15 位(五輪ランク 30 位に)…中期目標
2019 年 ワールドグランプリシリーズでメダル獲得
12 月発表 世界ランク 5 位/五輪ランク 6 位
2020 年 東京五輪 49 ㎏級金メダル…長期目標
金井は「この計画は結構ピッタリといった」と胸を張る。
「途中で山田の戦績が計画を上回ってしまった部分もある。2019年は協会の強化計画と合わなかった部分もあったので、外れてしまったところもありますけど」
鈴木リカルドは「車に例えると、ベンツ」一方、男子ではセルヒオの実弟リカルド(大東文化大)も68kg級で日本代表の枠を獲得した。第三者から見ると、リカルドはダークホース的な存在に映ったが、関係者の間の下馬評はリカルドで一致していたようだ。金井は「急成長ではない。順調に伸びた」と評した。
「リカルドには日本人にはないパワーがある。車に例えると、ベンツみたいなもの。だから試合になると、国産車とベンツがぶつかるような感じ。彼にはそれくらい持って生まれた頑丈さがある。いい意味でいまのリカルドは無心。そこに制限をかけるのではなく、伸ばしながら実力を上げることを考えました」
ちなみに今回女子57kg級代表の濱田真由(ミキハウス)も含め、テコンドーの日本代表選出は開催国枠を利用したもの。オリンピックランキングの上位5位以内、あるいはグランドスラムポイントの1位という基準を満たせば、最終選考会を待たずに選出されていた。巷では「テコンドーは期待されていない」という厳しい声も聞くが、金井は「彼らの活躍に日本テコンドーの未来がかかっている」と声を大にして主張した。
「燃えている? いや、いつも燃えているから私の指導は変わりません」
もっとテコンドーに光を。
<了>
PROFILE
金井洋(かない・ひろし)
1973年5月24日生まれ、東京都出身。大東文化大学スポーツ指導職員/体育連合会テコンドー部監督。小学3年時からテコンドーを始め、16歳で日本代表入り。全日本テコンドー選手権大会10回優勝(1990~1993、1995、1997~2001年)。1998年のアジア競技大会・銅メダル他、数々の国際大会で入賞を果たした。