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伊藤美誠の完封勝利が明らかにした「暗黙のルール」の終焉。発祥の地・中国世論を動かした識者の見解

REAL SPORTS 2020年4月25日 12時10分

かつて卓球界にはスコアが10-0になったら相手にポイントを与え、完封勝利を避ける暗黙のルールが存在した。ITTFワールドツアー・カタールオープンで日本の伊藤美誠がリオ五輪金メダリストの丁寧に完封勝利を収めたことで、卓球界独特のマナーが再び注目を集めた。卓球コラムニストの伊藤条太氏は「完封回避マナー」はスポーツマンシップに反するとして数年来、批判してきた。それでも国際大会に根強く残っていたこのマナーだったが、ひとつの試合によって終焉を迎えた。伊藤美誠の完封勝利は、その終焉を象徴するものだという。

(文=伊藤条太)

伊藤美誠、11-0完封勝利が持つもう一つの意味 

3月8日に行われた卓球のITTFワールドツアー・カタールオープンで、伊藤美誠(スターツ)がリオ五輪金メダリストの丁寧(中国)をゲームカウント4-0のストレートで破る快挙を成し遂げた。中でも圧巻だったのは第3ゲームで、丁寧に1点も与えず11-0で完封した。新型コロナウイルスの不安が広がる中、届いた明るいニュースだったが、実は今回の11-0は、単に大差での勝利という以外の意味を持つ。

かつて卓球の国際大会には、10-0になったらリードしている方があからさまにわざとサービスミスあるいはレシーブミスをして相手に点を与える「完封回避マナー」が存在した。2000年代に中国卓球スーパーリーグの選手たちが、完封して相手のメンツをつぶさないとの配慮からやり始めたと言われている。それ以前から他国にもあったという証言もあるが、あくまでそれらは局所的なもので、常態化したのは2001年に1ゲーム21点制から11点制になって10-0になる機会が増えてからのことだ。

私は数年来、このマナーをスポーツマンシップに反するものとして批判してきた。スポーツである以上は、全力で戦うことこそが相手とスポーツを尊重することであり礼儀であるはずだ。わざとミスをして点を与えるのは、絶対に逆転されないという慢心の表れであり、むしろ相手を愚弄する行為に他ならない。

中国の文化ではそれでメンツが保たれるのかもしれないが、価値観の違う日本選手がつきあう必要はない。競技によっては、実力差がありすぎるときの全力プレーは相手に無駄な消耗を強いたり、ケガをさせる心配があるが、その心配のない卓球の全力プレーに何の問題があろうか。

幸い、「完封回避マナー」は日本の卓球界には定着していない。国際大会に出るようなトップ選手とそのかいわいでやられているだけだ。そのトップ選手たちにしても、小さいころから全力で戦うことをよしと指導されてきたはずだから、こんなマナーが性に合っているはずはない。

今こそ日本代表選手が率先して範を示し、世界卓球界を正常な状態に戻すべきだ。それができないならせめて国内の大会だけでもやめるべきだ。これが私の主張だった。

フェアプレーか侮辱か? 中国でも大論争に

その主張もむなしく、リオ五輪以来、卓球への注目が高まるとともに、珍しい物好きのテレビやニュースメディアがこのマナーをこぞって取り上げ始め、「イギリス生まれの紳士のスポーツだから」などという見当外れな説明とともに、さもこれが卓球界の常識あるいは良識ででもあるかのように紹介された。「だったら初めから1対1で始めればよくない?」とマツコ・デラックスが言った以外は疑問を呈する声もなく(さすがマツコだ)、次第にそれは日本卓球界全体を覆う兆しさえ見せ始めた。

2018年1月の全日本卓球選手権大会では、女子シングルス決勝で伊藤美誠が10-0からサービスミスをし、観客から拍手が沸き起こった。対戦相手の平野美宇(日本生命)を「思いやった」からだろう。
一方で、張本智和(木下グループ)が審判も気がつかなかった自分のサービスミスを申告して相手の得点に訂正したときには観客は無反応だった。どちらが本当に称賛されるべきプレーなのかは言うまでもない。

観客は真摯なフェアプレーよりも、テレビで知ったわかりやすい似非モラルの方に拍手を送ったのだ。その後も卓球Tリーグなどで故意のレシーブミスが見られ、その都度私はこのマナーの撲滅を主張し続けたが、どうにもならなかった。

事態が一変したのは2019年の1月だった。中国のスポーツメディア「新浪体育」で私の主張が取り上げられ、それがきっかけでこのマナーの是非を問う大論争が中国のインターネット上で巻き起こったのだ。

意外にもそこでのコメントの大半が私の主張に賛同するものだった。いわく「このマナーは一種の偽善であり、相手への侮辱に他ならない」「表面上は相手を気遣っているつもりでも、実際は辱めているだけ」といったもので、何のことはない、中国人から見てもこのマナーは異常なものだったのだ。文化や民族性に根差したものなどではなく、気まぐれに発生してやめるにやめられなくなってしまった虚礼にすぎなかったのだ。

劉詩ブンと中国協会がもたらした「完封回避マナーの終焉」

その3カ月後の世界卓球選手権大会ブダペスト大会(個人戦)で、決定的なことが起こった。女子シングルスの準決勝と決勝で、中国の劉詩ブン(雨冠に文)が同じ中国の丁寧、陳夢に対して、2試合連続で11-0をやってのけたのだ。いずれもゲームカウント2-2という、最終ゲームを除けばもっとも観客が注目する第5ゲームでだ。

劉詩ブンは試合後のインタビューで11-0で勝ったことに触れ「これが相手とゲームを尊重することです」と語った。これをもって彼女の勝利への執念やスポーツマンシップをたたえる記事やコメントが溢れたが、なんとバカげたことだろう。

いかに間違ったものとはいえ、定着しているマナーをチームメイトに対して一方の選手が勝手に破るわけがない。完封をしてもよいという互いの事前の了解がなくてどうしてそんなことができよう。それはすなわち上からの指示があったということであり、彼女個人の意思ではありえない。

案の定、劉詩ブンは後のインタビューで、大会前に劉国梁・中国卓球協会会長から選手たちに10-0になっても全力でプレーするよう指示があったと語った。

つまり劉詩ブンの完封劇は、世論に押された中国卓球協会がこのマナーの撲滅に動いた結果なのだ。それなしでは、劉詩ブンがどれほど強くても、どれほど勝利への執念があっても完封はできなかったのだ。

世界中の卓球人が注目する中で行われたこの2試合連続の完封劇と、それに続く劉詩ブンのコメントは、あっという間に卓球界からこのマナーを消し去った。
劉詩ブンのコメントはあまりにも当然のことだったし、このマナーの発祥元である中国選手がやめるのなら、他国の選手が続ける理由などどこにもないからだ。

もちろん、今後もこのマナーを続けるのは選手の自由だ。わざとミスをしてはいけないルールはないし、それを判定する客観的な方法もない。長年の習慣でやった方が落ち着く選手もいるだろうし、相手に屈辱を与えて次のゲームを有利に運ぶためにやりたい選手だっているかもしれない。それは自由だ。

ただ、わざとミスをして相手に点を恵むことがマナーとして実質的に強制されていた時代は、2019年4月26日、劉詩ブンが丁寧を完封したときに終わったのだ。実際、日本選手の国際大会の記録だけを見ても、直後の5月9日から今回の伊藤美誠まで実に22ゲームも完封が行われている。報道されていないだけだ。「全力を尽くすことが相手への礼儀」という劉詩ブンのコメントを聞いてなお、わざとミスをするような「失礼」なことを続ける選手は、国際大会の場にはもはや存在しない。

伊藤美誠が「完封回避マナー」を破ることができた本当の理由

伊藤美誠の完封劇は、そうした現状をあらためて確認させてくれた。
しかし、劉詩ブンの完封でも、今回の伊藤の完封でも、その報道やコメントの論調は「勝利への執念のために卓球界の慣例を破った」とか「全力を尽くすことで相手へ敬意を示した」というように、彼女らの意思や努力をたたえるものに終始している。

それが本当なら、これまでは勝利への執念が足りなかったことになるし、全力を尽くすことが相手を尊重することだということに気がつかなかったことになる。そんなわけはない。どれほど勝利への執念があっても、全力を尽くすことが相手を尊重することだとわかりきっていても、間違ったマナーが定着していたから従わざるを得なかったのだ。

今回、伊藤美誠が「完封回避マナー」を破ることができた理由は、その慣習がもはや存在していないという一点にある。勝利への執念も相手への敬意も関係がない。それらはもともとあったのだし、それらがあろうがなかろうが、真剣勝負をしているトップアスリートが、わざとミスをして相手に点を与えるなどという奇行は、慣習でもない限りやるはずもないことなのだから。

<了>







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