J1・サガン鳥栖は4月26日に定時株主総会を開き、2019年度決算が承認された。前代未聞ともいえる20億円超の赤字を計上。新型コロナウイルスの影響でJリーグ公式戦を開催できないことも相まって、クラブ存続の危機も報じられている。2018年には42億円もの営業収益をあげるなど、急成長を遂げているように見えた“地方クラブの雄”は、いったいどこでボタンを掛け違えたのだろうか? 竹原稔社長の言葉をひも解きながら、その答えを導き出したい。
(文=藤江直人)
2018年の営業収益はJ全体で9位。地方クラブとして驚異的な数字を残したリーグ戦を終えた後の取材エリアとなるミックスゾーンで話を聞くたびに、サガン鳥栖を運営する株式会社サガン・ドリームスの竹原稔代表取締役社長が、笑いながら残してきた言葉がある。
「僕が社長になってからは、経営危機になったことはありませんから」
しかしながら、緊急事態宣言が発令された後も猛威を振るい、感染拡大を続ける新型コロナウイルスの影響を受けて2月下旬からすべての公式戦が中断。今後も予断を許さない状況が続く今シーズンにおいては、冒頭で記した「言葉がある」を「あった」と過去形に修正しなければいけない。
全クラブの経営情報が開示されている2005年度以降では群を抜く金額となる、20億円を超える単年度赤字を含めたサガン・ドリームスの2019年度決算が承認された先月26日。定時株主総会を終えた竹原社長は、ビデオ通話アプリ「Zoom」を介したメディアブリーフィングでこんな言葉を残している。
「天文学的な赤字を出しているので、存続危機という言葉が似合うのか、明日はあるのかという感じですけれども、これも経済だと思っています。サガン鳥栖が生き残っていくことを最大の目標に据えて、すべての可能性を模索していきます」
サガンの前身、鳥栖フューチャーズは1997年1月に解散している。実質的な破産であり、存続を求める約5万筆の署名を受けて任意団体のサガン鳥栖FCとして継続したが、2003年と2004年にも財政難から消滅危機に直面した。Jリーグの鈴木昌チェアマン(当時)が、こんな警告を発したこともある。
「このままの経営が続けば、Jリーグからの除名や退会勧告もやむをえない」
非常勤役員への就任を介して縁ができたサガン・ドリームスの社長に竹原氏が就いたのは、サガンがまだJ2を戦っていた2011年5月だった。社長として初めて迎えた決算の数字を見ると、2011年度の総売上となる営業収益は6億8900万円。そのなかでスポンサー収入は2億5300万円だった。
そして、2012シーズンからJ1の舞台で戦い続けてきたなかで、営業規模も急激に拡大してきた。例えば2018年度の決算を見ると、営業収益は約6倍となる42億5700万円へと急増。スポンサー収入は22億9600万円とJ1平均の21億3000万円を超えて、ともにクラブ史上で最高額を更新した。
竹原社長の「お金を集める」嗅覚の鋭さサガンは責任企業を持たない。ホームタウンの佐賀県鳥栖市の人口7万3691人(3月末時点)も、J3までを含めた全56クラブのなかで最も少ない。マーケティングなども極めて限られてくるなかで、それでも右肩上がりの数字を描き続けた理由を、竹原社長は「選択と集中」に帰結させたことがある。
「クラブの能力的に数多くのことはできないので、今年はこれ、と選択した売り上げに対して徹底的かつ集中的に取り組む。そうした努力をシンプルに積み重ねてきただけなんですけどね」
竹原社長の経営哲学が反映され、結果としてスポンサー収入を大きく押し上げた代表的な例が、急成長していたスマートフォンゲームの大手、株式会社Cygames(サイゲームス)と2015年7月に結んだ年間5億円ともいわれるスポンサー契約となる。東京都渋谷区に本社を置くCygamesの渡邊耕一代表取締役社長が、佐賀県伊万里市の出身だったことが縁になったと、竹原社長が説明してくれたことがある。
「毎年帰省されるたびに、渡邊社長が『佐賀県に元気がない』と感じられていたようなので。実際、佐賀県でも、もっと田舎へ行くとさらに元気がなくなるような状況でした。その意味では、何とか佐賀を元気にできるものはないかと。サガン鳥栖というサッカークラブを通じてならば、いろいろな意味で子どもたちにも夢を与えられるのではないかと考えられて、お付き合いを始めさせていただきました」
佐賀県でつながっている点を「選択」し、地元を元気することに「集中」した交渉が奏功した。らつ腕を振るってきた印象を残す竹原社長は、一方でこんな言葉も幾度となく残している。
「実は大学を卒業していないんですよ。頭が悪いダメ組で、中退してしまったので。なので、Jリーグのなかでは非常に珍しい、高卒の社長ということになりますね」
いま現在でこそ東海大一高(現・東海大学付属翔洋高)からプロになり、日本代表でも活躍したセレッソ大阪の森島寛晃代表取締役社長もいる。しかし、竹原社長が言うように最終学歴が高校卒業となる経営トップは、長らくは極めて稀有な存在だった。いったいどのような人生を歩んできたのか。
兵庫県伊丹市で生まれた竹原社長は現在59歳で、大阪・北陽高サッカー部の一員としてインターハイを制した経験をもつ。ホテル勤務などを経て24歳で佐賀県へ移り、36歳だった1996年に株式会社ナチュラルライフを設立。九州や北陸、関西、そして関東で「らいふ薬局」を展開してきた。
見知らぬ土地で裸一貫の状況から競合他社の多い事業を立ち上げ、県外にも乗り出していく過程では計り知れないほどの苦労を強いられたはずだ。人生が反映されたようなタフネスさに、あるクラブのトップは「竹原さんのお金の集め方はすごい」と脱帽の表情とともに、敬意を表したこともある。
攻撃的な経営姿勢が、いびつな収支構造を生み出したサッカークラブを含めて、経営者としての自分自身を自己評価するとすれば――竹原社長は「僕は攻撃型の経営者なんです」という言葉を繰り返し残してきた。
「いまのJリーグは乱世だと思っていますから。ただ、目の前のことだけでなく未来も考えて、しっかりとした目標も常に定めていかなければいけない。例えば10年後や20年後にどのようなクラブになっていればサガン鳥栖が生き残り、Jリーグの中で魅力あるクラブになっているのか。それを考えていけば、まったく違う世界が見えてくるでしょう。もちろん、同時に夢も追いかけ続けます。いつまでも子どものような心を持った経営者であり続けたい、と思っているので」
群雄割拠の乱世だからこそ、攻撃的な経営姿勢が奏功する。FIFAワールドカップ・ロシア大会が閉幕した直後の2018年7月に発表され、世界中を驚かせた元スペイン代表のエースストライカー、フェルナンド・トーレスの獲得はその象徴となる。当時からいま現在に至る軌跡を、竹原社長はこう振り返る。
「ビッグスポンサーと出会い、一度優勝してみよう、というフェーズに乗ったなかでチーム人件費をどんどん上げてきました。選手と複数年契約を結んだほか、期限付き移籍ではなく完全移籍で選手を獲得した際に発生した移籍金などの償却に、2018年度と2019年度が費やされました。その間にスポンサーが撤退した状況に対して、チーム人件費が追いつかなかったのがこの2年間でした」
ビッグスポンサーであるCygamesが、親会社の株式会社サイバーエージェントがFC町田ゼルビアの筆頭株主となった関係もあって2019年1月末をもって撤退。推定年俸8億円とされたトーレスの報酬を補填する形で新規契約したはずのスポンサー3社も、相次いで撤退したという。
次男が社長を務めるバスケットボールBリーグの佐賀バルーナーズと自身をめぐる、ネガティブな報道が相次いだ状況が、トーレス案件のスポンサー3社が撤退した遠因になったと竹原社長は言う。報道はすべて真実ではないとしながら、同社長はこう言及することを忘れなかった。
「マスコミの方々の話題になったという点で、私の責任であると言われればそうかもしれません」
結果としてスポンサー収入は2018年度の22億9600万円から、2019年度は8億1000万円へと激減している。一方で支出の大部分を占めるチーム人件費が、26億7000万円から24億2700万円と微減で推移したことが、いびつな形の収支構造と巨額の単年度赤字を生み出した。
「守りのときには、向いていないのかもしれない」収支に影響を与えたのは、シーズン途中の昨年8月に引退したトーレスへの報酬だけではない。竹原社長が言及したように、攻撃的な経営方針のもとで主力選手と複数年契約を結んだこと。そして、トーレスとほぼ同時期に鹿島アントラーズから加入した元日本代表FW金崎夢生に代表されるように、新戦力を完全移籍で獲得した際に移籍金が発生したことが、2019年度決算の人件費に反映されている。
「J1で戦うために背伸びをして、ご心配をおかけした事実を見つめて今後につなげたい。人件費を削って、皆さまからよく言われる身の丈に合った経営で確実な未来を築けるようにしたい」
2019年度決算の承認を受けて、Web形式で4月30日に急きょ開催されたサポーターミーティングで、抽選で選ばれて参加した約100人のサポーターに対して竹原社長は何度も頭を下げた。攻撃的な経営を自負するとともに、竹原社長はこんな言葉も自己評価に付け加えたことがある。
「守りのときには、もしかすると向いていないのかもしれませんね」
乱世を勝ち抜こうと前のめりになり過ぎたあまりに、もともと不得手とするリスクマネジメントを余計に徹底できなかった。ピッチ上で重要視される攻守のバランスをクラブ経営のフィールドで実践できなかったなかで、クラブが置かれた状況を冷静な視線で俯瞰できる人材も欠いていたのだろう。
ただ、20億円超の巨額な赤字が独り歩きしているが、イコール、借金ではない。2019年度決算で純資産約2151万円を計上し、一発でクラブライセンスが剥奪される債務超過は回避している。増資をしたと説明しながら詳細を明かさない竹原社長が、個人資産で補填した可能性も捨てきれない。
コロナ禍で厳しい局面に立たされている2020シーズン、真価が問われるすでに執行されている今年度予算は、人件費を半分以下の11億6900万円へ削減。2008シーズンから胸スポンサーを務めてきたDHCが撤退しながら、それでもスポンサー収入が前年度から約1億4000万円増の9億5500万円を計上するなど、トータルで1200万円の黒字になる形で編成されている。
2018年度に42億5700万円を記録した営業収益は、今年度は26億8900万円で組まれている。拡大路線から身の丈に合った形態へ方針が転換された矢先に、新型コロナウイルス禍の直撃を受けた。3度設定されてきた公式戦の再開目標はすべて流れ、いま現在は白紙状態に戻されている。
今後に再開されたとしても、Jリーグは最後の手段と位置づけていた無観客試合の開催を視野に入れている。つまりは7億9000万円を見込んでいる入場料収入が激減する恐れがあり、新規で内定しているスポンサー数社との正式契約および発表が新型コロナウイルス感染の影響で延期になっている。
未曾有の状況下での経営を表現すれば、守りながら攻める、となるだろうか。竹原社長は一部スポーツ紙で報じられた身売りを含めたクラブの消滅や、ライセンスの剥奪に伴うJ3やJFLへの降格のすべてを否定。その上で、経験したことのない手段を具現化すると明言している。
「いかなる手段を取ってでも、存続へ向けて全力で努力をしていく。それが市中銀行や政府系金融機関からの融資なのか、さまざまな寄付なのか、クラウドファンディングなのか、あるいは新しい試みなのか。すべての方々へ最善を尽くして、絶対に生き残っていく」
報酬が1億5000万円(推定)の金崎が、中断期間に入って名古屋グランパスへ電撃的に期限付き移籍したのも、竹原社長が言及した「いかなる手段」に入るといっていいだろう。ただ、一般論として前年度に巨額の赤字を計上した企業が、金融機関から融資を受けるためのハードルは決して低くはない。
新型コロナウイルス禍に導かれる今後を見越しながら、守りながら攻める施策を打ち出していけるのかどうか。図らずも直面している存続危機を、過去形にできるのかどうか。クラブの代表取締役や理事長らで構成される実行委員のなかでも異彩を放ち続けてきた、竹原社長の真価が問われる戦いが続く。
<了>