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中止に踏み切れない夏の甲子園。「高校野球は特別」の時代錯誤

REAL SPORTS 2020年5月8日 18時24分

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響で「部活」が危機にひんしている。全国高等学校総合体育大会(インターハイ)に続き、全国中学校体育大会も中止が決まり、当面のスポーツ大会開催の見通しは立っていない。そんな中、全国高等学校野球選手権大会の開催については、いまだ中止のアナウンスがない。「ギリギリまで開催を模索する」姿勢を評価する声もあるが、スポーツライターの広尾晃氏は、「学校自体が休校延長という状況で、甲子園、高校野球だけが特別とはいかない」と語る。

(文=広尾晃、写真=Getty Images)

第一に考えるべきは「選手の健康、安全」

新型コロナウイルス禍は、学校スポーツにも大きな影響を与えている。

緊急事態宣言が発出される中、ついにインターハイが中止になった。
インターハイは、全国高等学校体育連盟(高体連)に加盟する競技の全国大会の総称だ。通常は主会場の都道府県の他、地域ブロック単位で同時期にまとまって開催されるが、今年の夏季大会は東京オリンピックの影響で8月10日から北関東を中心に全国21府県での開催が予定されていた。しかし4月26日に中止が決定した。

また日本中学校体育連盟(中体連)も、8月17日から東海ブロックで行われる予定だった全国中学校体育大会(全中)夏季大会の中止を4月28日に決定した。

高体連も中体連も、冬季大会については、開催の可否を今後の状況次第で決めるとしている。

夏季には感染拡大はある程度収まるのではとの見方もあるが、引き続き国民の「行動変容」が求められる中で、全国から選手や関係者が集まる大規模な競技大会の開催は難しい。

一つの競技に打ち込んできた選手、とりわけ3年生のショックは大きいだろうが、この決定はやむを得ないものだ。

高体連、中体連ともに、準備期間が少なくなること、そして予選などのスケジュールが厳しくなることを理由に挙げているが、それ以前に、こうした状況で子どもたちにスポーツをさせることは、大人の責任上できない、という認識があったと思う。

「部活」の指導者が、第一に考えるべきは「選手の健康、安全」だ。どれだけ大きな意義のある大会であろうとも、選手を健康被害の危険にさらすことはできない。

いまだ中止が決定していない「夏の甲子園」

さらに言えば、学校は、教育機関であり「授業」が最重要視される。「部活」は教育的には副次的なものだ。
「インターハイ」や「全中」に選手を送り出す指導者の多くは、学校の教員だ。日本のほとんどの地域で休校が続いて授業がいつから再開できるか見通しが立たないのに、部活だけを再開させるのは「本末転倒」だという意識もあっただろう。
そんな中で日本高等学校野球連盟(日本高野連)だけは「夏の甲子園(全国高等学校野球選手権大会)」の中止に踏み切れないでいる。

日本高野連は「春の甲子園(選抜高等学校野球大会)」を3月4日には無観客で実施するとしたが、3月11日の運営委員会で中止を決定した。
また各県、各地方で行われる「春季大会」も中止となった。

しかし、8月10日から開催予定の「夏の甲子園」は、まだ中止の決定には至っていない。日本高野連側は「引き続き情報収集に努め、5月20日の運営委員会で決定したい」としている。

本来であれば、6月には地方大会が始まるが、5月末まで非常事態宣言が延長される中で開催は非常に厳しくなっている。

しかし、都道府県レベルの高野連の中には「何とか野球をやらせてやりたい」「県大会、地方大会だけでも開催できないか」という声さえある。
各都道府県高野連では「無観客試合」の実施に向けて足並みをそろえる動きがあるという。地域によっては学校再開の時期も決まっていない中で、なぜ「高校野球」だけ、そういう判断になるのだろうか?

「高校野球だけは特別」という時代遅れの認識

日本高野連は全国高体連とは別の組織だ。全国高体連に所属する競技の全国大会が中止になっても、日本高野連が干渉を受けることはない。1947年の設立以来、他の競技団体とは独立独歩でここまでやってきた。

しかし、新型コロナウイルス禍での高校野球部が置かれた状況は、他のスポーツ部活と何ら変わるところはない。
指導者がすべき判断は「選手の命、健康を守る」ことだ。そして学校活動が休止している中で、部活である野球の練習や試合を先行して行うのは、教育的な見地から妥当とは言えない。
地方によっては、5月中に学校が再開されるところもあるだろうが、部活の再開はその状況を見て決めればいいことだ。

なぜか「高校野球だけは特別」という認識を持つ人が少なからずいる。それは春秋の「甲子園」が、国民的イベントだからだ。多くの人が甲子園を「青春の祭典」と賛美し、甲子園を「聖地」と崇め奉っている。「甲子園は全国民が待望している。他の高校スポーツとは別格だ」と思っている人は多い。メディアもそういう持ち上げ方をする。

残念ながらその認識は、今や時代遅れだろう。
「野球離れ」が進行する中、野球に関心を持つ層は、若年世代を中心に急速に減っている。高校野球も一部のファンが熱狂しているだけだ。近年、民放は視聴率がとれないために、全試合中継をやめたくらいだ。

無観客を模索するプロ野球と高校野球では事情が違う

プロ野球は7月の開幕を目指している。当初は無観客試合でスタートするものとみられる。「プロ野球ができるのだから、高校野球も無観客でやればいい」という意見もあるだろうが、プロ野球は経済活動だ。商店主が生き残るために感染のリスクを承知で店を開けるのと同様、存続をかけてのトライアルだ。

しかし高校野球は「教育の一環」だ。選手の健康リスクを冒してまで強行する必要はない。

高校野球界には「勉強よりも野球を優先する」という認識の人も多い。私学の野球強豪校の中には、授業を休んで試合や練習をしている学校もたくさんある。
ある公立高校の指導者は「よその地域の私学が金曜日に遠征してきて、金、土、日で5試合やって帰るんだ。金、土はダブルヘッダーだが、金曜日は“公欠”なんだって。信じられない」と言ったが、こういう学校は、授業よりも先に野球を再開することに抵抗感はないだろう。
授業より部活を優先するのは、野球以外でも見られるが、野球は特にそれが目立つ。

中には緊急事態宣言が全国に広げられてからも、普通に練習をしている高校がある。感染対策には留意しているようだが、これなど「選手の健康、安全」という指導者の第一義にもとると思うが、いかがだろうか?

こうした野球指導者の口からよく出るのは「きれいごとでは勝てない」という言葉だ。

しかし、筆者は「教育」や「スポーツ」は、限りなく「きれいごと」であってほしいと思う。
どんな手を使ってでも相手を出し抜き、勝つというような教えで育った子どもは、ろくな大人にはならない。人として「かくあるべき」と言う姿勢をきちんと身につけ、スポーツマンシップにのっとってスポーツをする人材が、未来を創ると信じたい。

グラウンドに出て、指導者の言う通り身体を動かすだけが「野球の練習」ではない

「新型コロナウイルス禍」は、社会全体が協力して感染を食い止めることでしか出口は見えてこない。端的に言えば今できることは、みんな「きれいごと」に徹して、ひたすら「Stay Home」を実践することだけだ。

少年野球チームには、自粛期間中、選手や父兄にオンラインでレッスンを実施している指導者がたくさんいる。筆者はそのいくつかに参加したが、トレーニング方法、投球、打撃フォーム指南などから、野球ルールについて、食事トレーニングまで、極めて充実している。中には「目からウロコ」のレッスンもある。

「名将」と言われる高校野球指導者の中には、SNSはおろか、メールさえもおぼつかない人もいるが、この自粛期間中、選手たちにどんなレッスンを課したのだろうか? 自己鍛錬に向けて適切な指示をすることができたのだろうか。指導者層のデジタルデバイドが、選手の成長に影響を与えたとすれば、それも残念なことだ。

4月末、全日本野球協会(BFJ)の山中正竹会長はスポーツ紙の電話取材にこのように語っている。

この機会に、高校や大学、社会人、プロ野球の選手みんなで日本の野球の歴史をひも解いてもいいんじゃないかと思います。野球の誕生から、統制令があったり、戦争で野球が出来なかったり…。今は違うけど、昔は正しいと思われていたこととかその逆のことがあったりとか、そういう変遷の中で今日を知る。そこでじゃあそこから将来をどうクリエートしていくか。歴史という縦軸を知って、今という横軸を見つめ、未来をつくりましょう。みんなで勉強し、努力しましょうということです。指導者の野球観も間違いなく変わります。自分はこんな狭い考えの中で野球をやっていたのかと気づき、もっと勉強しないといけないと自覚できると思いますよ。

グラウンドに出て、指導者の言う通り身体を動かすだけが「野球の練習」ではない。長い人生を考えれば、古今未曽有の事態で「試合、練習ができない」数カ月に新しい知識や考え方を身につけるほうが、よほど有意義ではないかと思う。

日本高野連は、夏の甲子園の中止を前提として、早急にスケジュールを提示すべきだ。

<了>







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