東京五輪は遠い──。1年延期が決定したものの、来年のオリンピック開催のために解決すべき問題は山積している。柔道などのコンタクトスポーツはさらに前途多難な状況であり、いまだ活路を見出せていない。日本女子柔道界のパイオニアであり、現在はスポーツ社会学者として活動する溝口紀子は「立場が違うと同じ正義とは限らない」と語り、「もっと人の意見を聞こう」「もっと話し合おう」という雰囲気をつくり、議論を重ねるべきだと主張する。
(インタビュー・構成=布施鋼治)
活路を見出せないコンタクトスポーツ
バルセロナ五輪・女子52kg級で銀メダルを獲得し、現在はスポーツ社会学者として活動する溝口紀子・日本女子体育大学体育学部スポーツ科学学科教授。その大胆かつ斬新な意見がテレビのワイドショーでもおなじみになりつつある彼女に、新型コロナウルス感染拡大の影響で延期となった東京五輪について聞いた。
──東京五輪が1年延期されるというニュースを耳にした時、どんな感想をお持ちになりました?
溝口:あの時は世の中全体が目に見えない新型コロナウイルスに振り回されてしまっていた感がありますが中止にならずよかったです。とはいえ今年予定していたオリンピック関連のイベントは全部中止になってしまった。スポーツのイベントは全部オリンピックに合わせて4年前から組んでいます。地方都市もキャンプ招致で各国の選手を迎え入れる予定でした。さらに聖火リレーもあれば、オリンピックに対する機運は全国規模で高まる。そういった地方の経済効果もすべて白紙になってしまった。
──問題は東京だけではない、と。
溝口:お金の面でいえば、期待していたのは東京だけではなく、地方の行政や企業もです。
──目の前にあった大きな目標の前に突如大きな暗幕が張られた感じですね。
溝口:そうなんですよね。いまオリンピック代表になるような選手は(待遇を考えたら)ほとんどプロ。もっというと、オリンピックが地元開催することで、多くの選手がプロ化したんですよ。
──今回は地元開催だっただけに、東京五輪を狙えそうな選手の待遇は破格という話を聞いたことがあります。
溝口:より専業化したことで、収入も増えると期待していた選手も多いと思います。ところが新型コロナウイルスが発生してしまったら、職がなくなってしまったわけですよ。本来ならば民間企業の従事者として毎日一定の給料をもらえていた。しかし、プロ契約をしたことで定額をもらえるケースもあるけど、契約内容次第ではもらえなかったり。さらにコロナ禍でスポンサー企業から支援を打ち切られたり減額されたりした選手もいます。
──私の知人にも所属が変更になった選手がいます。
溝口:いまのスポーツは経済活動の一つで、アスリートも一事業者ということになっている。ところがコロナ禍によって経済活動が停止してしまった。緊急事態宣言は解除になったけど、柔道などのコンタクトスポーツの完全再開は前途多難です。
──はい。レスリング同様、胸を突け合わせる攻防が多いですからね。
溝口:そうなんですよ。先日、都柔連(東京都柔道連盟)から「どうやって再開するのか」という趣旨のアンケートがきました。本当に手探り。全然まだ活路を見出していない。
──どうすればいいのかという明解な答えを誰も導き出せていない。
溝口:ないです。正解がない中で探さないといけない。いまフランスでは(アスリートの)プロ活動が一切禁止。柔道やレスリングは3つの密を避けなければならないことが前提になってくるので、活動の再開はスポーツの中でも一番あとになってくるんじゃないですかね。頭を突け合わせたり、抱きついたりしてゴロゴロするわけですからね。だとすると、私はルール改正という選択肢もありなのかなと思います。そうしないと、来年オリンピック競技としてやれない可能性も出てくると思う。
「寝技なし。あるいは寝技の時間を極力短くする」──具体的な改正案は?
溝口:寝技なし。あるいは寝技の時間を極力短くする。いまのままだったら、寝技の練習は満足にできない。そうであるなら、投げ込みなど比較的組む時間の少ない攻防で戦ったほうがいい。いまの柔道はずっと組んでいるわけではない。離れて戦っている時もある。そこまでしないと、オリンピック種目としては開催できないんじゃないかという危機感を抱いています。
──最近のオリンピック競技は見る側に対して「見やすさ」「わかりやすさ」を最優先してルールを改正してきたという歴史があります。
溝口:コロナ禍によってオリンピックの価値観や見せ方は大きく変わりつつある。競技者だけではなく、観客も変わらないといけない。今までのように肩を組んで歌うシュプレヒコールのような行為はダメになるでしょう。
──その可能性は高いでしょうね。
溝口:密集を避ける、あるいは風通しをよくするという意味では、オリンピックも無観客でやるしかないのではないでしょうか。現状では屋内競技場なら限られた人数しか入れられないという通達が出ているけど、(その許容人数を考えたら)会場には関係者しか入れなくなる。
──各国の関係者だけでいっぱいになるという計算ですね。
溝口:そうです。サッカーなど屋外競技だったらまだいいかもしれないけど、武道館やアリーナなどの屋内は関係者と選手団しか入れなくなる気がします。観客のことを踏まえたら、少なくとも現段階ではオリンピックの開催は無理なのではないかと思います。1年延期になったとはいえ、柔道などのコンタクトスポーツは練習の再開のめどすら立っていない。
──東海大学柔道部は8月末まで活動を休止するようですね。全柔連(全日本柔道連盟)の大会スケジュールを見ても、9月下旬までの大会はほとんど中止か延期と告知されています(※6月15日現在)。
溝口:日本だけではなく、全世界がそういう流れになっている。話をルールを変えるところに戻します。ウィズコロナを前提にルールを変えたら、競技の本質を変えることになりかねない。だったら、ウィズアウトコロナになるまで、やらないほうがいいという考えも出てきます。
──なるほど。
溝口:とはいえ柔道を経済活動と捉えたら、やらないと生活できなくなる選手や武道関係者がたくさんいる。だとしたらやるべきです。
「世界平和の祭典」であるオリンピックの意味──いまのうちから、どんな状況になっても対応できるようなシミュレーションをしていく必要がありますね。
溝口:そうですね。「コロナ禍が収束していないので、オリンピックに選手団を派遣できない」という途上国が続出したら、経済力のある国しか参加できなくなるという問題も出てくるかもしれない。これでは「世界平和の祭典」であるオリンピックの意味がなくなってしまう。
──南アメリカやアフリカではパンデミックが懸念されています。仮に参加国が減少したら、オリンピックそのものの意義が問われる。
溝口:個人的な見解ですが、延期になった時点でもう本来のオリンピックではないと思います。オリンピック原理主義者ではないけど、オリンピック本来の目的が達成できないのだったらやめたほうがいい。いまは、どの国もコロナ禍と闘っている。今回中止になったら、(2028年)ロサンゼルス五輪の次の候補地として新たに立候補すればいいじゃないですか。
──もう一度、やり直すという案ですね。
溝口:よくも悪くもそれが運命だと受け入れ、割り切った形で話を進めるほうがいいと思います。1年後ということになっているけど、私から見たら1年後に開催するのは難しい。それにたとえ開催できたとしても、本来のオリンピックではない。予算も規模も縮小しなければやれない。そういう覚悟をしています。
──巷には「1年ではなく、2年延期のほうがよかったのでは?」という意見もありますが、そういう問題ではない、と。
溝口:はい。だったら仕切り直して、ロス五輪の次に手を挙げたほうがいいと思います。1年また延長とか、規模縮小という意見はどこかで見切ったほうがいい。安倍(晋三)首相や(国際オリンピック委員会のジョン・)コーツ調整委員長も言っていますが、「あと1年の延長はない」というのが答えだと思います。従来のオリンピックでやるなら、もう一回手を挙げるしかない。
──それでなくても、オリンピック開催を立候補する国は少なくなっていますからね。
溝口:まだオリンピックのためにかけたお金も回収できていないんだから、元はとらないと。しかもIOC(国際オリンピック委員会)はもう出す額を決めていてあてにならない。対照的に日本はいま、コロナ禍に税金を対症療法のようにジャブジャブ出してしまっている。このように原資がひっ迫する中、今後世間から「それでも、オリンピックをやるのか?」という意見が出てくると思いますね。
不要不急の個人活動なのか、生きる術の経済活動なのか──人間の営みにスポーツや芸術は必要不可欠。しかしながら、それ以前に生活を維持しなければならないという問題があります。
溝口:切実ですよね。日本はロックダウンこそしなかったものの、経済的には実質そうなったに等しい。スポーツをやる人、望む人はソーシャルディスタンスという呪縛から逃れられない。
──そうした中、国の要請を無視する形で学外で練習を続けていた柔道部もあったという話を聞きました。
溝口:いましたね。ある意味、スポーツをする目的は千差万別だと思いました。個人活動なのか経済活動なのか、そのへんが非常に曖昧です。
──ケース・バイ・ケースになっていると思います。
溝口:不要不急だからスポーツは自粛してといわれても、ある選手にしたら「いやいや、これは経済活動なので」と主張したら意味合いは違ってくる。オリンピックとは関係ない人から見れば、「こんな状況なのだから、中止に決まっているじゃないか」となるでしょう。でも、関わっている人からすれば、オリンピックは経済活動、生きる術そのものなんですよね。これは休業要請は出ていなかったのに、「なぜ休業しないといけないの?」と主張することと同じ。そういうところの議論をアスリートも発信していかなければならない。スポーツジャーナリズムもそう。権力や世間に屈して隠したらいけない。
──おっしゃる通りです。ところで、周囲のオリンピックに対する空気はどちらに傾いていますか?
溝口:周囲は中止という空気です。3月にオリンピック中止の議論が起こる中、私は「やるべき」と強く主張しました。なぜならこの問題に正解はなく、答えは探すものではなく、つくるものだと思ったからです。とりわけオリンピックの延期はこれまで前例がなく、中止になる可能性が高かったからこそ、オリンピアンとして声を上げなければと思い、批判を覚悟の上で発言しました。
世間の人が考えるオリンピックと、関係者が考えるオリンピックでは意味合いがまったく違います。もちろん人命が一番尊重されるべきですが、新型コロナウイルスに羅患(りかん)する前に、スポーツができないことで経済的、精神的に生命の危機に陥る選手や関係者もいるのです。それにそもそもオリンピックの開催自体が賛同を得られていない部分でもあったと思う。とりわけオリンピックの議論は、コロナ禍における正義が中心で、自粛警察に見られるようにどんな答えが出ても軋轢(あつれき)が生じオリンピックを推奨する論は攻撃の対象になりがちです。
おごりだと思っている人も、誇りだと思っている人もいる──奇しくも、山口香さん(柔道家/日本オリンピック委員会理事)も5月12日付けの朝日新聞で「誰もがオリンピックが好きというのはおごりと言っていい」と述べていました。「今夏の高校総体(全国高等学校総合体育大会)の中止が決まった時、『努力は無駄にならない』『先の目標に向けてがんばろう』と発信するトップアスリートがいた。オリンピックが中止になっても同じように思えるだろうか。高校総体とオリンピックは違うと言うならば、それもおごりだ」というコメントも印象に残っています。
溝口:はい。おごりだと思っている人もいれば、誇りだと思っている人もいっぱいいるんじゃないかと思います。
──多かれ少なかれそういう感情を抱いている人がいるということですね。
溝口:そうですね。その逆も多いということです。何が言いたいかというと、意見が右か左かに分断している。オリンピックも右派と左派に分かれている。「(延期でも開催の方針を)持続してほしい」と実名で訴えるアスリートもいたけど、攻撃されるのを恐れ匿名で発信したアスリートもいました。だからといって「意見を言うな」と攻撃するのは間違い。
──所属などの問題があり、言いたくても言えない人もいると推測されます。
溝口:そうですね。そういうところから世の中の閉塞感が生まれている。それなりの立場の人が発言すると、「専門家じゃないくせに」と発言した人をつぶそうとする言論の自粛警察が出てきた。この閉塞感が分断の亀裂をさらに大きく切り込んでいる。そこを私は危惧します。いろいろな意見があっていいじゃないですか。
──それが民主主義の本来あるべき姿かと。
溝口:さも正義を振りかざしている人がいることに、私は疑問に思います。その正義とは自分のテリトリーの中での正義なのではないでしょうか。もちろん私も自分なりの正義は持っている。しかし立場が違うと同じ正義とは限らないからこそ人の意見を聞かないといけない。「もっと人の意見を聞こう」「もっと話し合おう」という雰囲気をつくらないといけない。オリンピックの世論は話し合いが大事だけど、実際オリンピアンの意見をまとめるはずのIOCは今回、スポンサーや政治家に翻弄されてフニャフニャでしたね。
──確かに「もっとしっかりしてくれ」と感じる場面は多いですね。
溝口:山下(泰裕/JOC[日本オリンピック委員会]会長) さんでさえも全然(話し合いの)ステージに上がれなかったわけですよ。山下さんは、選手時代にボイコットで(1980年)モスクワ五輪に出られず、JOC会長となった今回は新型コロナウイルスで延期になり、政治やコロナ禍に翻弄された犠牲者だと思ったけど、結局山下さんの意見は排除されてしまう。その代わり山口さんの意見は世間に響いた。
──刺さったと思います。
溝口:そのへんはなんだろうなというのはあります。分断の中でも声を上げていく。排除しないということも大事だと主張したい。
──いまこそ対話が必要になってきますね。
溝口:スポーツの世界は多様化している。先ほども話に出たけど、アスリートは一個人事業主になっている事実とか。でも、日本人のほとんどがそのことを知らない。部活動や健康増進の延長だと思っている人が多い。でも、その多様性をどうやって生かしていくか。みんなが意見を出し合う形で、話がまとまったらいいんですけどね。今回のオリンピック延期の経緯を見ていると、オリンピックと政治は表裏一体どころか、政治そのものだと痛感させられました。選手の声も拾い上げることなく、決まってしまいましたからね。
インタビュー後の6月1日、一部の柔道場での練習が再開された。講道館では100名の子どもが参加したが、相手と組み合う練習は一切なし。2m以上の距離を保ち、マスクをしながら受け身の練習などで汗を流した。いつになったら、いつもの柔道の練習風景は戻ってくるのだろうか。
東京五輪は遠い。
<了>
PROFILE
溝口紀子(みぞぐち・のりこ)
1971年7月23日生まれ、静岡県出身。スポーツ社会学者(学術博士)。埼玉大学フェロー。1992年、女子柔道が初めて正式種目となったバルセロナ五輪・女子52kg級で銀メダルを獲得。2002年から2004年にかけて日本人女性として初めてフランスのナショナルコーチを務めた。現在は日本女子体育大学体育学部スポーツ科学学科教授として活動する傍ら、全日本柔道連盟評議員や一般社団法人袋井市スポーツ協会会長も務めている。