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「思い出づくり」の甲子園代替大会より大切なものは? 空回りする善意と、球児の未来…

REAL SPORTS 2020年6月30日 17時10分

史上初の選抜高等学校野球大会の中止、戦後初の全国高等学校野球選手権大会と、新型コロナウイルス感染拡大に伴い、かつてない状況下にある高校野球。日本高野連(高等学校野球連盟)が、第92回選抜高校野球大会に出場予定だった32校を招待して行われる2020年甲子園高校野球交流試合の開催を表明し、各都道府県高野連が夏の大会の代替大会を独自開催することが決まるに至って、世間は「野球を奪われた球児の救済に安堵する声」にあふれた。一方で、甲子園やその代替大会とは関係なく、新たな道を歩き出している高校球児もいる。

(文=広尾晃、写真=Getty Images)

交流試合、代替大会の開催は妥当な着地点だが……

甲子園の「交流試合」は、昨年の秋季大会などの成績で決まっていた「春の甲子園の代表校」を招いて1試合ずつ試合をする形式となった。さまざまな事情を勘案すると「これしかない」という感がある。

5月20日に夏の甲子園と地方大会が中止になった時点では、都道府県の高野連が代替大会の開催を個別に決断することになっていた。関係者の話によると、この時点では「学校の授業も始まるので、代替大会の実施も厳しい」とする地方が多かったようだ。筆者の知るところでも「断念する方向」という都道府県が結構あったのだ。

5月25日、現実的な判断として福岡県高野連が、代替大会の中止を発表した。

しかしそのころから「何とかして球児に野球をやらせてやりたい」という声が澎湃(ほうはい)として起こった。そうした声に押されるように各地の高野連を取り巻く情勢も様相が変わってくる。当初、断念するつもりでいた地方なども、代替試合を実施する方向に傾いた。

教育委員会や県、市町村から「やってはどうか」という声も入ってきたようだ。こうして全国の高野連は、ドミノ倒しのように「代替大会をやる方向」に方向転換したのだ。

日本高野連と朝日新聞社も各高野連の補助金を出すことを決定した。
いち早く代替試合の中止を決めた福岡県も、教育委員会との話し合いがもたれ、中止の発表を撤回し、実施する方向との発表があった。

高校野球ファンや関係者の熱意、尽力で、甲子園での交流戦や、地方の代替大会の実施が決まったというわけだ。

こう書くと、いかにも麗しい話のようだが、そうとは言い切れない部分がある。

高校球児の思いは一色ではない

夏の甲子園、地方大会の中止が決まってから、多くのメディアが高校球児の声を聞きに回った。ある高校の野球部員は「代替大会は、別になくてもいいと思う」と率直に答えたが、これがそのまま記事になったとたん、学校に「その程度の覚悟なら出るな」「高校球児の恥だ」などと非難の声が寄せられたという。

メディア側の配慮もある程度必要だったとは思うが、この例など、世間が思い描く「汗と涙の高校野球」という「虚像」と「リアルな高校球児の本音」という「実像」の乖離を象徴的に表している。

当たり前の話だが、全国14万余の高校球児の思いは一色ではないのだ。

高校野球のベンチ入り人数は、地方大会では20人前後、甲子園になると18人だ。有力校でなくても、大会が始まる前にベンチ入りメンバーから外れてその時点で「引退」が決まる部員がたくさんいる。彼らはデータ分析などの裏方に回ったり、観客席から応援したりすることになる。

指導者はよく「試合に出られなかった選手も大事だ」「仲間のサポートに回るのも、有意義な経験だ」などというが、選手たちの本音は複雑だ。数年前のことだが、メンバーから外れた選手が筆者に「仲間がプレーしているのを見るのは嫌だ」と正直な心情を吐露したこともあった。こうした選手は、今回の中止で何を思うのだろうか?

また今回リモートで話を聞いた選手の中には「もう厳しい練習をしなくていいので、ほっとした」という声もあった。日本の高校野球は「野球漬け」が基本だ。365日ほぼ休みなく練習をしている。「野球が楽しいなんて思ったことなどない」という選手さえいるのだ。
夏の甲子園の中止が決まって、すぐに退部届を出した選手もいる。髪を伸ばしたり、パーマをかけたりした選手もいる。受験モードに切り替えた選手、就職活動を始めた選手ももちろんいる。新型コロナ禍で、受験も就職も例年になく厳しい。いつもは「勝利至上主義」の指導者たちも「甲子園だけが野球じゃない」「気持ちを切り替えろ」と選手に話している。
こういう複雑な状況下で、選手たちは「代替試合」の決定のプロセスを眺めていたのだ。

「青春の美しい汗が光る高校野球」というイメージは、メディアで盛んに喧伝されてきた。最近は「高校野球大好き芸人」なるものもあらわれ、ひたすらいちずでさわやかな高校野球の一面だけを紹介してきた。しかし球児たちもさまざまな思惑に頭を悩ませる、普通の十代の若者なのだ。ステレオタイプの熱血球児だけでなく、そういう「今どきの若者」らしい一面も描いてくれる芸人がいてもいいのに、と思ってしまう。

大人の善意が空回りする例も 大切なのは「秋以降」

福岡県高野連の土田秀夫会長は、一度は中止と決めた代替大会を再度実施の方向で決定し直すにあたり「引退してしまった選手については大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。間に合う学校は参加してほしい」と詫びている。
周囲の大人は善意で動いたのだろうが、その善意が空回りしている部分もあるのだ。

「うちの高野連が代替大会をするかどうか、まだわかりませんが、もしできなかったときは、自分たちで送り出してやろうと思っています。近隣の高校の先生方とも話し合って、お金を出し合って球場を借りて、あいつらに思いっきり野球をさせてやりたい」
すべての都道府県で代替大会が開催されることが決まる前の取材だが、ある高校の指導者は筆者に語ったように、球児たちが本当にうれしいのは、3年間野球を教えてくれた指導者のこういう心配りではないか。

甲子園の交流戦も含め、今夏行われる代替試合は、すでに「その先」を見つめている選手に過度の負担や多くの時間を取らせるものであってはならない。言い方は悪いが「思い出づくり」にすぎないのだから。「代替試合」は、阪神タイガースと甲子園球場が全国の3年生の高校野球部員に贈呈すると決めた「甲子園の土キーホルダー」とほとんど同じ性格のものなのだ。

むしろ、大人たちが懸念して手を打つべきは、「秋以降」だろう。
東京、大阪、宮城で行われた大規模な抗体検査によると、抗体ありは、東京0.10% 大阪0.17%、宮城0.03%だったという。専門家はこの結果から、日本では新型コロナウイルスの集団免疫は獲得できていないとし、第2波も大規模な感染拡大になる恐れを指摘している。

秋以降に感染拡大があれば、翌春の甲子園の実質的な予選である秋季大会の開催も厳しくなる。そうなれば、現在2年生の野球部員たちの試合出場も難しくなる。今年の悲劇の再演が早くも決まってしまう可能性がある。

恐らく、第2波に対する日本社会の対応は、第1波とは異なるものになるはずだ。大規模な自粛で経済活動を全国的にストップさせるような手段は取らないだろう。そういう状況下で、高校生たちを、ウイルス感染のリスクから守りつつ、野球をさせるためにはどうすればいいのか?

これを今から、専門家を交えて検討すべきだろう。従来の秋季大会の方式に拘泥することなく、もっと簡便に代表校を選出する方法を考案しても良いかもしれない。

さらに言えば、新型コロナ禍は、2022年まで続くとの見方もある。その中で、高校野球は、どんな未来を指向するのか。深刻な「野球離れ」が進行している。「コロナ明け」の高校野球も厳しい現実に直面するはずだ。

この自粛期間中も、地方の高校の中には練習を休まず、選手に通常と同じ練習を課していた高校があったという。学校は休みで授業はなかったから、練習ははかどったという。感染対策は万全そうだが、選手を危険にさらしたというそしりはまぬかれないだろう。

これなど「勝利至上主義」が極端に表れた例だと言えるが、こうした「甲子園で勝てば、すべてが許される」という極端な価値観は、今後、社会の理解を得られなくなるだろう。
本来、スポーツ指導者が第一に考えるべきは「選手の安全・健康を確保する」ことなのだ。それが前提での「鍛錬」なのだ。高校野球では本末転倒した指導者がたくさんいたのは事実だ。

感染症などのリスクが高まる中で、「何のために野球をするのか」「選手に何を与えるのか」を、高校野球の関係者が、いま一度真剣に考えるべきではないか。

昨年、日本高野連は「球数制限」などを議論する「投手の障害予防に関する有識者会議」を招集したが、今年も「高校野球の将来に関する有識者会議」を持つべきではないだろうか。
高校野球について、大人たちが知恵を出すのはまさにこれからなのだ。

<了>






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