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「人はいつか負ける時がくる」レスリング登坂絵莉、五輪への道断たれても変わらぬ本質とは

REAL SPORTS 2020年8月18日 16時30分

「世界チャンピオンになるより、日本チャンピオンになるほうが難しい」といわれるレスリング女子50kg級。リオデジャネイロ五輪王者・登坂絵莉は、ライバルとの代表枠争いに敗れ、オリンピック2大会連続金メダルという夢を断たれた。その後のコロナ禍もあり取り巻く環境が一変した登坂は、現在をいかにして過ごし、東京五輪を巡る闘いをどう振り返るのか。彼女の発言から見えてきたのは、周囲の状況がどのように変化しようとも一貫して変わらないレスリングに対する彼女の本質だった。

(インタビュー・構成=布施鋼治、写真=Getty Images)

当たり前が当たり前でなくなった競技生活

「レスリングは競技も競技ですし、今まで当たり前にできたことが当たり前ではなくなってしまった。日常生活も普通に送れない。本当に変わってしまいましたね」

新型コロナウイルスによって、リオデジャネイロ五輪の女子レスリング48kg級金メダリスト登坂絵莉の生活環境は一変した。社会人レスラーになってからも練習の拠点としていた、愛知県大府市にある至学館大学レスリング部も非常事態宣言中は閉鎖されていたので、いつもとは違う時を過ごした。

7月下旬、現在のトレーニングについて聞くと、登坂は「ある程度戻ってきたという感じ」と切り出した。

コロナ禍の拡大は一進一退。夏になってから愛知県では感染者が急増した時期もあった。新型コロナという未知なるウイルスに対してはアスリートも慎重にならざるをえない。もっとも手さぐりの状況では満足のいく練習をやり切ることは難しい。ちょっと不満足?と水を向けると、登坂は「いまの私は東京五輪代表の座も持っていないので、何と言えばいいのか」と戸惑いをみせた。

空き時間を有効利用して取り組んでいることとは?


「レスリングをやりながらも、いろいろなことを考える時間にはなっているかなと思いますね」

いまのこと? 未来のこと? 

登坂は「一番目指していたのは、やっぱり東京五輪」と切り出した。

「でも、その願いはかなわなかった。オリンピックは特別な舞台。その次の大会までの4年はものすごく長い。だから4年後のパリを目指しますとはすぐ決めきれない。時間があるぶん、本当にいろいろなことを考えましたね」

取材した時点で、登坂はまだ結婚することを発表していない。SNSを通じて2012年から3年連続全日本選手権グレコローマンスタイル60kg級でV3を達成した倉本一真(現・総合格闘家)との入籍を発表したのは数日後のことだ。

最近では、練習の合間の空き時間を有効利用することにも熱心だという。

「もともと1日中練習していたわけではない。ただ、レスリング以外で何かやりたいと思ってもやれなかった。東京五輪の代表にもなれなかったので、英会話を始めました」

国際大会の会場や宿泊先のホテルではさまざまな国の選手や関係者が一堂に会す。当然みな英語で会話するわけだが、日本の選手団は蚊帳の外にいるケースが多い。英会話力がいま一つだからだろうか。

登坂が「もっと英語がしゃべれるようになってコミュニケーションをとりたい」と思っても不思議ではない。

「せっかく勉強もしているので、コロナが明けたら海外の選手と一緒に練習したい。そういう経験をするのもいいかと思うので、英会話が生かせる海外に行きたい」

そういえば、北京五輪後、金メダルを取った63kg級の馨と銀メダルを取った48kg級の千春の伊調姉妹がカナダに渡り、現地でレスリングの練習に励むとともに語学留学を果たしている。登坂はヨーロッパかアメリカに行く青写真を描く。

異質に映った登坂の潔すぎる発言

現時点で登坂が最後にマットに上がったのは昨年12月の全日本選手権。フリースタイル女子50kg級は「オリンピックチャンピオン(登坂)と世界チャンピオン(須崎)とアジアチャンピオン(入江)の三つ巴」といわれた大会で、登坂は準決勝まで勝ち進んだが、須崎優衣に0-6で敗北を喫しオリンピックで2大会連続金メダルという夢を断たれた。敗因については後述したい。須崎戦後、登坂は「(東京五輪への挑戦は)終わったなという感じ」とサバサバした面持ちで振り返った。

「もう一回挑戦できるチャンスがくるとは思っていなかったので、またこうやってこの場に立てて、すごく幸せだなと思います。(中略)これがいっぱいいっぱいだったなと。この3カ月、目標に向かって頑張れる時間の幸せを感じていました」

東京五輪に出られるか否か。その瀬戸際に立たされた選手たちはその道を断たれると、大粒の涙を流したり、会場の壁をたたいたりして悔しさをあらわにした。すべてを犠牲にして目指していた東京五輪。慰める言葉など、すぐ見つかるわけがない。

そうした中、登坂の潔すぎる発言は異質に映った。この大会を最後に幕引きを計るのではないかと邪推してしまったほどだ。

振り返ってみれば、同年6月に開催の全日本選抜選手権決勝でも登坂は須崎に0-10のテクニカルフォール負けを喫している。試合後、マットに正座しながら悔しさを滲ませていた姿が印象的だったが、会見では潔く完敗を認めた。

「これが実力だと思います。ここ1カ月くらいはすごく調子がよくて、自分の中では絶対にいけると思っていました。負けてしまって本当に残念。この負けをよかったと思える日はこないと思いますが、これも現実なので、前を向いていきたい」

いまだ決まらぬ東京五輪出場の権利

「世界チャンピオンになるより、日本チャンピオンになるほうが難しい」といわれる女子50kg級だが、実はまだ誰も東京五輪の代表枠を持っていない。最初にチャンスを得たのは昨年全日本選抜選手権の直後に行われたプレーオフで須崎を下し、初めて世界選手権出場の機会を得た入江だった。

この大会でメダルを獲得すれば、東京五輪に出場する権利を自力で手中にできた。仮に5位以内だったとしても、同年の全日本選手権優勝を条件にオリンピックに出場することができた。

しかし、世界選手権3回戦で入江は中国代表に大技を2回も決められ12-13で敗北。その直後、中国の選手も敗れたので入江は敗者復活戦にも回れず、自力によるオリンピック出場の夢はついえた。勝負の世界は何が起こるかわからない。

そこで女子50kg級の勝負は振り出しに戻った。同年12月開催の全日本選手権で優勝した者が今年3月に中国で開催予定だった東京五輪アジア予選、あるいは4月から5月にかけブルガリアで開催予定だった世界最終予選で勝ち抜けば、東京五輪への出場切符をゲットすることができた。結局、全日本選手権決勝は登坂に勝った須崎と入江の間で争われ、須崎が勝利を収めた。

アジア予選に須崎が出場すれば、出場切符は手にするものと思われたが、予期せぬ新型コロナウイルスの影響でアジア予選も世界最終予選も延期・中止に。さらにオリンピックそのものも1年延期になってしまった。

「人はずっと勝ち続けていても、いつか負ける時がくる」

2020年8月の時点でアジア予選の延期日時の発表はないが、登坂はライバルといわれた須崎のことをどう見ていたのか。

「私は19歳で初めて世界選手権に出て、それからガーンと上がってきた。(そういう姿を)JOCエリートアカデミーにいた優衣ちゃんはずっと見てきたと思う(※アカデミーはJOC[日本オリンピック委員会]が将来オリンピアンとして活躍できる可能性が高い中高生アスリートを味の素トレーニングセンターを拠点に鍛える選手養成機関)。もちろん若い選手の勢いや怖さは(かつてそうだった)私が一番知っている。もともと(須崎)優衣ちゃんはすごく練習を頑張る子。もちろん私も選手だし、彼女に勝ちたかったという思いもあるけど、人はずっと勝ち続けていても、いつか負ける時がくる。そういった意味で(須崎戦の連敗も)仕方ないかなと受け入れています」 

2018年は全日本選手権と全日本選抜選手権のいずれも準決勝で入江に行く手を阻まれた。リオの前からライバルだった入江についてはどう思っているのか。登坂は「リオのあとは一回も(入江)ゆきちゃんに勝っていない」と唇を噛んだ。 

「だからもう一回やる……実際にその時になったら、あんまりやりたいとは思わないかもしれない。いずれにせよ、優衣ちゃんだったり、ゆきちゃんという存在があったからこそ、いまの私がいる。誰かが勝てば、誰かが負ける世界。もっというと、日本で切磋琢磨して勝ち抜いた人が世界でも勝つ。だからこそライバルという存在は必要だと思います」

登坂絵莉のレスリングに対する本質

昨年12月の全日本選手権で須崎に敗れた直後、登坂は興味深い発言を残している。

「自力でのオリンピックがなくなった時は、出た人に勝ってほしいって本当に思ったし、実際その時になると『ライバルに負けてほしい』と思うのかなと思っていたんですけど、そういう気持ちもなくて、純粋に応援してました」

登坂の根っこには純粋なスポーツマンシップにのっとったアスリート気質が宿っているのか。かつて自分が対戦した相手であっても、求められたら積極的にアドバイスをしていたという話も聞く。

だからこそ強化合宿で須崎や入江と一緒になっても、自分の手の内を隠すようなことは一切しなかった。登坂は「積極的にスパーリングをやっていた」と証言する。

「精神的にきつい部分もあったけど、本当に毎日ガンガンやっていました。結局レスリングは騙し合い。同じ人と再戦しても、前回と同じ試合にはならない。フェイントも0コンマ何秒の動きで変わってくる。隠しても隠さなくても、結局はあまり変わらないというのが私の考えでしたね」

コロナ禍と東京五輪を巡る闘いによって、登坂を取り巻く環境は大きく変わった。その一方でレスリングに対する彼女の本質は昔から何一つ変わっていない。

 8月30日、登坂は27歳になる。

<了>






PROFILE
登坂絵莉(とうさか・えり)
1993年8月30日生まれ、富山県出身。小学3年生からレスリングを始め、中学時代に全国中学生選手権で優勝。至学館高校、至学館大学時代にも数々の大会で優勝を果たし、大学卒業後は東新住建に入社。2013~15年世界選手権48kg級3連覇、2016年リオデジャネイロ五輪同級で金メダルを獲得。

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