ブレイクダンスの世界大会『Battle of the Year』で2位になった経験を持つ、“NONman(ノンマン)”こと石垣元庸氏は、ダンサーとしてのキャリアと並行して司法試験にチャレンジし、合格。現在は弁護士、経営者としてのパラレルキャリアを歩んでいる。「超スパルタ教育」を受けながら勉強では挫折、高校時代は丸刈りの野球部だったという彼は、いかにしてBBOYになり、法曹界、ビジネスの舞台で活躍の場を得たのか? 石垣氏が理事として参画する、スポーツ・アスリートの価値と心のあり方を伝える活動を行う『Di-Sports研究所』の代表理事・スポーツドクターの辻秀一氏が聞き手となり、そのキャリアの根源に迫る。
(インタビュー=辻秀一、構成=REAL SPORTS編集部)
ブレイキンと出会ってつかんだ、“超スパルタ教育”で見失っていた感覚辻:まず、ノンマン(石垣元庸)がブレイキン(ブレイクダンスの本来の呼び方)に出会ったきっかけは?
石垣:僕が大学に進学した1998年当時は、ヒップホップというとキャップを斜めにかぶって、だぼだぼの格好をしてっていう「ファッション」として入る人が多かったんです。関東の大学にはすでにダンスが盛んでしたが、関西ではサークルがポツポツとできはじめた頃で、ダンサー自体がほとんどいない時代でした。そんな中で、学校で黙々と鏡に向かって夢中に踊るダンサーの姿を見てすごく惹かれたんです。僕自身、大学で何かに熱中したいと思っていたけど、それが何かは決まっていなかった中、一心不乱に自分と向き合う姿に惹かれたのかもしれません。
辻:高校時代は野球部だったっけ? 全然イメージが違うよね。丸刈りで。
石垣:野球部で丸刈りでした。
辻:その丸刈りの野球部の少年になぜダンスが響いたんだろう?
石垣:なぜ響いたかっていうのは正直わからないです。ただ、大学の先輩でもあるナインティナインの岡村(隆史)さんが、『めちゃイケ(めちゃ×2イケてるッ!)』(フジテレビ系)でSMAPの横で踊ったり、ブレイキンの技を披露する企画があったりして、そういう情報がストックされていったというのはあるかもしれません。
辻:野球部時代のことをもう少し聞きたいんですけど、やっぱり気合いと根性の体育会系だったりしたんですか? 高校時代はどんな高校生だった?
石垣:正直、そのレベルにも至ってないです。今考えるといい加減な取り組みでしたね。その当時は真剣にやっていたつもりでしたが、結果も出ないような。
辻:勉強の方は?
石垣:勉強も中途半端でしたね。
辻:元庸少年はどんなふうに生きてたんですかね、今思えば。
石垣:小学生の頃の話になるんですけど、僕の母親は“超絶スパルタ”だったんです。小学校入学前まではひたすら優しかった記憶しかないんですけど、小学校1年生の時に生まれ故郷の名古屋から神戸に引っ越したんですね。その引っ越した先が神戸の中でも特に教育熱心なエリアで。
今でも忘れないんですけど、夏休みに通信簿を持って帰ってきたら、3段階中一番良い「よくできました」がなかったんですよ。まあ、おちゃらけて学校に行っていましたから。その瞬間、母のスイッチが入ってしまったんですね。もう、それからは口だけじゃなくて手も足も出るようなスパルタ教育ですよ。九九ができなかったら全力でしっぺされるような(苦笑)。
メンタル、キャリア形成に大きな影響を与える“成育歴”辻:なぜこんなことを聞いているかというと、ノンマンにも理事になってもらっているDi-Spo(Di-Sports研究所)を始めた理由の一つに、スポーツドクターとしていろいろな人に話をする立場になって、話してすぐに感覚を共有してくれる人もいればそうじゃない人もいることに気づいて。我々の大切にしている、理屈や理論ではない「非認知性」だったり、「今、ここ、自分」を意識することで自然体でいられる感覚を心地いいと感じられる人って何が違うのかなと考えた時に、大きなカギがやっぱり『成育歴』にあると思っているんです。
石垣:そうですね。親の作ってくれた環境や教育がどこまで僕の成育歴に影響を与えていて、そういう感性につながったのかは僕もまだ自分と向き合っている途中で、はっきりわかっていませんが、少なくともスポーツ、ブレイクダンスが自分と向き合う機会をくれて、自分で自分をマネジメントすることの大事さみたいなものを学ばせてもらいました。おかげで、司法試験もそうだし、弁護士になれたこと、会社の経営と、すごく人生が広がった感覚があります。
母のスパルタ教育については、実は母の父、つまり僕の祖父が弁護士だったんですよ。母は長女で、本来だったらお婿さんをもらって家を継ぐぐらいの考えだったらしいんですけど、結局、石垣家にお嫁さんにきて。母自身、祖父を継ぐほど勉強ができたわけじゃなかったようで、コンプレックスがあったのかもしれない。そういうことがあって、さらに引っ越し先が学歴が高く親の職業も弁護士や医師という土地柄だったのでさらに火がついてしまったんでしょうね。
辻:スパルタ教育が終わったきっかけは?
石垣:中学受験で優秀といわれている名古屋の中学に入ることができて「あ、いけた」と。その時からようやく解放されて、母は自分と向き合うようになったのでよかったなと。
ただ僕自身はそれまで、母親による激烈なスパルタ教育と優秀な人が集まる環境の中で「勉強ができなきゃ意味がない」みたいな価値基準を背負ってしまっていました。それが何かもわからずに「エリートでなきゃいけない」と思い込んでいて……。
僕は結局、中学校の中では本当に勉強ができなかったんですよ。中高の6 年間、1 学年450人中下から数十番に居座り続けて。その中で、僕が母親に背負わされた価値基準と自分の現状を認知的に差し引きしまくるわけですよ。
辻:なるほど。それはきついね。
石垣:自己肯定感や自己効力感をまったく失ってしまい、結果、浪人して大学に入るという。
辻:自分らしさを見失って、認知的に制御された数年間を過ごしていたんだね。でも現在のノンマンがある背景には、お母さんにも石垣家にも元庸少年にも、本当は違う姿があるんだろうな。
石垣:そこは深すぎる話なんですけど、4年くらい前に他界した父は、バブル期に銀行員だったのでいろいろ忙しく、全然相手をしてくれず、僕に対して無関心だなぁという感覚があったんです。でも、眠った父の顔を見て、「後は全部任せるわ」と安心して旅立ってくれた感覚をもらいました。結局、父は、僕が何をやるにせよ、否定せずに承認してくれていたことに気づくことができました。
今振り返ると母親も、神戸に行く前まではすごく僕のことを認めて愛情を持ってのびのびと育ててくれていました。なので、そういった承認された感覚が僕の根っこにちゃんとあったんだと思います。
辻:そうだね、その芽がありながらも見つからずにいたのが、大学に行ってみたら、鏡の前で何かに夢中になっている人の姿を見て刺さったんだろうね。
衝撃のダンスで目の当たりにした本物の「オリジナリティー」石垣:大学からダンスを始めて、もちろん最初はまったく動き方もわからないので、まずは決められたフットワークを教わるわけですが、それと併せてオリジナリティーが大事だということを先輩から教わりました。つまり、定型的な技を学びながら、“自分らしさ”を表現するということをやっていくんです。
辻:決められたフットワークとオリジナリティーの2軸があるところがいいね。
石垣:これがどちらも面白くて、最初はできなかった基本ステップをうまくできるようになっていく過程も楽しかったですし。その中に自分のアレンジ、自分の感性を入れ込みつつオリジナルの動きみたいなものを作っていくのも楽しくて。
午後3時ぐらいに学校に行って、学校が閉まる午後9~10時ぐらいまで練習して、その後は京都駅前に集まって夜中の3時くらいまで練習して、帰って寝てアルバイトへ行ってまた学校へ行く。ほとんどダンス中心の生活で過ごしていました。
そんな中で、「一撃(ICHIGEKI)」という、当時の関西のイケイケ若手ダンサーが集まるようなチームに誘われて、さらにブレイキンにのめり込んでいきました。それから国内でもナンバーワンを目指すようになり、海外にも進出するようになっていきました。BATTLE OF THE YEARというドイツの大会と、Freestyle Sessionというアメリカの大会の2つが当時の世界最高峰だったのですが、気づけば、どちらの大会でも世界一を狙うようになっていました。
辻:ダンスの要素として“オリジナリティー”というワードが出てきましたが、ノンマンはオリジナリティーについてどんな考えを持っていますか?
石垣:僕はダンス人生の中で、まさにオリジナリティーの追究をすることに夢中になっていました。周りのダンサーたちは他のダンサーがしていないことをしたり、流行の動きをあえて使わないとか、周りの状況に目を向けて違うことをしていたんですね。でもこれって、ヤンキーが先生や校則に反抗してそれを破るような髪型や服装にしているのに、外から見たらヤンキーはヤンキーでみんな同じ格好をして、同じ方向を向いているように見えるのと同じで(笑)。
つまり、逆を向くのは簡単だけど、それはオリジナリティーではないことを学びました。「オリジナリティーって何だ?」と模索している時に、あるブレイクダンサーのダンスを見て衝撃を受けたんです。
BBOY Juniorというフランスのダンサーなんですけど、彼は普通に立って歩くと、松葉杖をつかないといけないぐらい足に障がいを抱えているんです。子どもの頃の病気で足の成長が止まってしまったということなんですけど、彼は足の成長が止まっているため健常者と比べて足の体重が軽い。だから逆立ちをして踊ると、健常の僕らには表現できない圧倒的なパフォーマンスを発揮できる。その姿を見て感激しました。彼は他人と比べた認知的な評価にとらわれず、自分が持っているものを存分に生かしているんですね。
辻:これがオリジナリティーだと。
石垣:プラスもマイナスも認知的な評価とかに関わらず、自分が持っているものを本当に理解して生かしている状態がオリジナリティーなのかなと。これまでの人生で、何点とか何番とか偏差値とか、何かや誰かと比べた差し引きで自分ができないと落ち込んでいたんですけど、外じゃないと。何をしたいんだという、僕が何を持たせてもらってるんだっていう、そこに向き合いはじめたことが今の僕の原点。素晴らしい経験だったなと思います。
弁護士、経営者に活躍の舞台を広げてくれたブレイキン
辻:それは素晴らしい経験と気づきですね。ブレイキンでの経験が、今のキャリアに生きていることはありますか?
石垣:僕のキャリア観としては、何をするかということにはあまりこだわっていなくて、それよりも「物事にどう自分らしく携わるか」ということを大事にしています。
大学卒業して数年フリーターをしながらダンスをしていたんですが、大学時代からずっと付き合っていた彼女に「あなたとの未来は見えません」とフラれたんですね。
辻:やられたな(笑)。
石垣:僕は彼女のことが好きだったのでいつか一緒になりたいなみたいなおぼろげな気持ちはあったのですが、彼女は銀行に就職した中で僕はフリーターでダンスをしながらフラフラしていたので……。
「普通に就職しても振り向いてもらえないだろうから大きなチャレンジをして振り向いてもらうしかない」
彼女をどうしても取り戻したくて、司法試験を受けることにしたんです。それまでの僕にとって勉強は苦手分野だったんですけど、ブレイキンのおかげで、どんなステージや相手であっても、自分らしく取り組むことがパフォーマンスの最大化につながるという感覚を学びました。
ダンスを始める前の僕なら固定観念からパフォーマンスを発揮することができなかったと思うのですが、それこそJuniorが逆立ちをして障がいを個性として輝かせたように、努力と工夫でひっくり返せるかもしれないと感じられるようになっていた。例えば、司法試験の勉強においても、暗記が得意でないならば、ごちゃごちゃ考えながら記憶していく自分らしい取り組み方をしようとうスタンスで物事に取り組むことができるようになっていた。このスタンスがなければ決してクリアできないミッションだったと思います。
ちなみに、弁護士としても自分の持っている特徴=ダンスを生かそうとした結果、NOONというクラブの風営法違反事件にたずさわり無罪判決を勝ち取ることができたと思っています。
僕は、自分の生き方を通してオリジナリティーについて伝えていきたいと思っていて、例えば弁護士の仕事で刑事事件を担当する時、過ちを犯してしまった中でもその人が持っている素晴らしさはきっとあるんだということを、きちんと伝えて気づいてもらうということが自分の役割だと考えています。会社の経営でも、メンバーや関わる若者たちに、それぞれ持っている個性の素晴らしさを承認し、実感してもらいたいと考えています。
辻:経営している会社、Next Produceではどのような事業をしているのですか?
石垣:今はライブ配信イベントの企画や運営などをやっています。
辻:今、新型コロナウイルス禍の中で注目も集まっている業界なのでは?
石垣:そうですね。今の時代にマッチしてはいます。ただ、イベントは、ポイントランキングを競うコンテスト形式になっていてそれこそ認知の世界なんです。ももちろん1位を目指すことは大事ではありますが、そこに対していかに自分らしくフローな心持ちでチャレンジできるかということを、出場者のみなさんに伝えていくことを事業の軸として大事にしています。
MixChannelというライブ配信プラットホーム上でイベントを展開しているんですけど、今後は自社の事業として、学生向けに自分と向き合って自分らしく表現することでオリジナリティーへの理解を深める機会を提供できるようなイベント企画を準備中です。
ブレイキンは五輪種目になり得るのか? 文化とスポーツ
辻:ブレイキンは2024年のパリ五輪の追加種目候補として注目されていますが、今後の競技の展開についての考えを聞かせてください。
石垣:ブレイキンが五輪種目に追加されるにあたって、実はブレイキン界ではなく社交ダンス系のWDSF(World DanceSport Federation)という組織がずっと「ダンスはスポーツだ」ということをIOC(国際オリンピック委員会)に働きかけていらっしゃったんですよ。IOCからなかなか承認されなかった中あるタイミングで、若者たちに人気があり世界中でも親しまれているダンスということでブレイキンを上申されたら、採用となったんです。
でも、ブレイキンの大会を運営するノウハウや知見はこの組織にはなかったので、BATTLE OF THE YEARを運営している方々など、世界中のブレイキン界の主要メンバーたちにいろいろな声がかかる中で、日本でもそういう組織体を作っていかないといけないということで僕にも声がかかりました。そしてWDSFの下部組織にあたるJDSF(公益社団法人日本ダンススポーツ連盟)でブレイクダンス部法制委員長として動き始めることになりました。
東京五輪には間に合わない状態だったのですが、次の2024年パリ五輪に向けてIOCがどの競技を正式種目にするか選定するにあたって、今、オリンピックでも若者たちへの訴求を大事にしていて。SNSや YouTubeなどで世界中の若者たちに広がっているブレイキンを採用したいということで、まだ正式決定ではありませんが、最終選考として残っています。だから今は、東京五輪が2021年に延期となり大変な状況ですけど、僕らは2024年を見据えて動き始めています。
辻:ダンスのようないわゆる演技に採点を行う競技は、採点を行う上での尺度というのが本当に難しいと思うのですが、ブレイキンではいかがですか?
石垣:まさに今後ブレイキンがスポーツ競技として根づいていくための最重要課題だと思っています。
そもそもブレイキンは1970年代にアメリカ・ニューヨークのブロンクスで生まれたといわれています。ストリートギャングたちがテリトリー争いをしているような環境の中でもピースに生きようという考え方のもと、ダンスや音楽、アートなどで戦ったり自己表現しようとシフトしていったところから派生した。自己表現し、それをさらに戦わせること。ある意味、カウンターカルチャーではあるんですけど、戦いの根っこには「自分を表現していく」という文脈の中で生まれた文化なんです。
ブレイキンが生まれてから40年の中で培われてきた基本スキルのポイントや、ミュージカリティ、音楽性ですね。自分らしさといったポイントを採点基準に盛り込み、できるだけ公平かつ統一的な判断ができるような審査基準というのを、仕組みを作りながら実施しています。
辻:世界的な審判部はあるのですか?
石垣:一応、ユース五輪の時から採用されていて、実際にその舞台を審査できる人間は世界的にもまだ十数名ぐらいです。高いレベルで審判ができる人を拡大していくことも今後の課題になっています。
辻:スポーツ競技としてのあり方が着実に進んでいっているということですね。ただ逆に、スポーツ競技化していくことに対する危惧感や反発などは起きたりしていないのですか?
石垣:この動きは先ほど話したようにブレイキン界から湧き起こったわけではなく、他のダンス業界や世の中のムーブメントから発生したんですよね。だからこそ、文化的な志向が崩れるとネガティブに考える人もいれば。そもそもブレイキンはメディアに取り上げられることで大きくなってきた流れがあって何も昔から変わらないという人もいて、さまざまな意見があって僕たちもすごく迷いました。でも、ブレイキンの素晴らしさを体感し、文化的な側面、オリジナリティーの大切さや意味をきちんと理解している人間がこのムーブメントの中に入っていかないと、それこそむちゃくちゃなものになってしまうので、自分がやらなきゃいけないというふうに使命感を感じて。
僕らの志としては、ストリート競技がすでにスポーツ界に参入している中でもスポーツ競技とストリート文化とを並行して発展させいくことの難しさに着目しながら、NBAとAND1(ストリートプロバスケットボール)のような関係性を目指しています。スポーツの世界観の中で戦う人もいれば、ストリートの文化的な部分を大事にしている人もいて。それらが交じりあったり、文化交流できるような世界観を理想として作っていけたらいいなと思っています。
<了>
PROFILE
石垣元庸(いしがき・もとのぶ)
1978年生まれ。愛知県出身。立命館大学入学後、ブレイクダンスに没頭し、ブレイクダンスチーム『一撃』メンバーとしてBattle of the year 2002年・2005年日本チャンピオン、うち2005年は世界大会準優勝。その後、弁護士を志し、2010年に司法試験合格。2014年には風営法無罪判決を獲得。2019年に株式会社Next Produceを立ち上げ。その他、「一般社団法人Di-Sports研究所」の理事を務めたり、『』に登壇する等幅広く活躍。
辻秀一(つじ・しゅういち)
1961年生まれ、東京都出身。北海道大学医学部卒後、慶應義塾大学で内科研修を積む。“人生の質(QOL)”のサポートを志し、慶大スポーツ医学研究センターを経て株式会社エミネクロスを設立。応用スポーツ心理学をベースとして講演会や産業医、メンタリトレーニングやスポーツコンサルティング、執筆やメディア出演など多岐に渡り活動している。志は『スポーツは文化だと言える日本づくり』と『JAPANご機嫌プロジェクト』。2019年に「一般社団法人Di-Sports研究所」を設立。37万部突破の『スラムダンク勝利学(集英社インターナショナル)』をはじめ著書多数。