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「変えないとチャンスはない」石川佳純と平野美宇、恩師が明かす“進化”の舞台裏とは?

REAL SPORTS 2020年10月6日 11時30分

卓球界の再始動スケジュールが発表された。女子ワールドカップは11月8日から10日にかけて中国で開催され、日本からは伊藤美誠、石川佳純が出場を予定している。その石川を育てた名指導者・中澤鋭をご存知だろうか? 現在のJOCエリートアカデミーの卓球女子監督だ。石川、平野美宇、その後は長﨑美柚、木原美悠らを指導した中澤に、東京五輪出場が内定している石川と平野とのエピソードを中心に話を聞いた。平野について「心配はしているけど、今やっていることは間違っていない」と語るその意味とは?

(インタビュー・構成=田端到、写真=神田壮亮)

石川佳純、平野美宇、そして「ダブルみゆう」を育てた名指導者

中澤鋭。現在のJOCエリートアカデミーの卓球女子監督だ。

中国で選手として活躍した後、来日。石川佳純の中学・高校時代のコーチを務め、JOCエリートアカデミーに移ってからは平野美宇らを指導し、同選手をアジアチャンピオン、世界選手権メダリストへ覚醒させた。

その後は長﨑美柚、木原美悠らを指導し、2人が組んだ「ダブルみゆう」ペアは2019年のITTFワールドツアーグランドファイナルで女子ダブルス優勝。指導した選手が次々に結果を出し、世界のトップクラスへ駆け上がっていく。

その指導方法は果たしてどのようなものなのだろうか。


石川佳純の吸収力。平野美宇の決意。

──指導者として日本へ来たところから教えてください。

中澤:日本に来たのは2002年です。友人から、日本でコーチやりませんかという誘いがきて、最初は大阪の四天王寺中学・高校で指導しました。その後はミキハウスのコーチになりましたが、四天王寺とミキハウスは練習場も同じなので内容は変わりません。

──最初に石川選手と出会ったのは、彼女が中学生のときですか。

中澤:2005年です。石川はまだ中学1年生でした。僕は最初、ほかの選手とともに石川を指導しましたが、石川が中学2年生のときから専任コーチに変わりました。

──石川選手は2006年の春に、13歳で日本代表候補入りしています。ちょうどその頃ですね。他の選手と違ったところはありましたか。

中澤:石川は吸収力がすごかった。教えたものをすぐできるし、強い選手のプレーを見て「私もやりたい」とマネをして、すぐできていた。

──日本で指導を始めて、練習法などで中国との違いは感じませんでしたか。

中澤:特に大きな違いはないと思います。ジュニア世代なので、基礎を作ることを徹底しました。石川はいろんなプレーができるけど、基礎力がないとトップレベルまでいくのは難しい。基礎が大事です。

──高校卒業まで石川選手を5、6年指導したと思いますが、印象に残っているエピソードを教えてください。

中澤:彼女は中国語にすごく興味があって、よく勉強していました。卓球は専用の言葉も多いから、中国語は覚えたほうがいいと僕も言いましたが、石川は頑張って勉強しました。

──その後、JOCエリートアカデミーに移ったのは何年ですか。

中澤:2015年です。もっとたくさん優秀な選手を指導できるチャンスがきたので、東京へ来ることを決めました。

──リオデジャネイロ五輪の前年ですね。リオの代表争いが夏に決着して、伊藤美誠選手が3人目の代表になり、平野選手は代表に届かなかった。この辺は有名な話ですが、そこから「平野美宇の変身サクセスストーリー」が始まります。

中澤:10月から僕が平野を見ることになりました。平野本人から話があって「プレースタイルを変えたい」と。リオ五輪に出られなかったので、東京に出たい、東京で金メダルを取りたいという気持ちが強かった。僕は「今のプレースタイルは普通の選手に負けないかもしれないけど、トップ選手に勝てない」と言いました。平野の武器は安定したプレースタイルでしたけど、これを攻撃的なスタイルに変えることを提案しました。

──技術的には、やや手打ちだったフォアハンドを、下半身と腰のひねりから力を伝えるフォアハンドに変えたと聞いています。そこから結果が出るまで早かったですね。3カ月後の2016年1月に全日本(卓球選手権大会)で準優勝。

中澤:でもその前に、12月の世界選手権の選考会で初戦敗退しました。僕はそうなるかもしれないと思っていたけど、平野はすごく泣いた。「こんなに変えて大丈夫ですか」と聞くから、「変えないとチャンスはない」と伝えました。時間がかかるし、失敗するリスクもあるという話をしたら、それでも彼女は「やります」と。簡単な返事だったけど、決意や信念を感じました。


平野美宇の快進撃とスランプ。石川佳純のメンタル。

ここから平野美宇の快進撃が始まる。2016年10月に女子ワールドカップ優勝。2017年1月に全日本を優勝。同年4月にアジア卓球選手権大会で中国トップ3選手を撃破して優勝。5月に世界卓球選手権で銅メダル。超高速で攻め続ける卓球は「ハリケーン」と呼ばれた。

しかし、聞きたいのはここから先だ。この2017年の4月に中澤は平野の専任コーチから離れ、選手全体を見る女子監督の立場に変わった。平野はこの後、中国から徹底研究されて勝てなくなり、一時期は不調に陥る。

──とても順調だったのに、平野選手の専任コーチを交代されました。どんな経緯だったのでしょうか。

中澤:選手は時期によって、それぞれ必要なことがあります。僕は監督として他の選手も見ないといけない。専任コーチじゃなくなったけど、平野をフォローできる立場ではありました。

──あまり調子が良くなかった頃もアドバイスはしていたんですか。

中澤:はい、していました。

──どのようなアドバイスを?

中澤:平野は技術の面で進化しました。でも、試合は技術だけで戦うものじゃないから、次は戦術を磨くことが必要です。ある程度の技術ができるようになって、次の課題が戦術です。それに取り組んでいる。

──平野選手は2018年4月にJOCエリートアカデミーを卒業してプロ転向しました。中澤さんがコーチを離れて調子を落としたのではないかという声もありましたが。

中澤:それは違います。僕が離れて弱くなったのではない。成長の段階があり、しばらく勝てなかったかもしれないけど、今はまた徐々に良くなってきている。オリンピックは期待できると思います。

──最近のプレーはどう見ていますか。あまり高速卓球にこだわらず、緩急を使うようになった。

中澤:私の目線からいうと、戦術を運ぶ力が前より上がってきたと思います。

──どの試合を見て、そう感じたのでしょうか。

中澤:すべての試合がそういうふうに見えます。負けた試合も、中身を見ると平野はよく工夫している。失点するときの流れを変えたり、悪い流れを変えようという意識はよく見えます。

──今も指導する機会はあるんですか。

中澤:頻繁にはないけど、何か理解できないことがあったときに、たまに相談があります。

──平野選手は復調して東京五輪の団体代表に選ばれました。じゃあ、今は心配していない、と。

中澤:いや、心配はしていますよ(笑)。心配はしているけど、平野が今やっていることは間違っていない。ピンチをチャンスに変えること、彼女はできると思います。

──東京五輪のシングルス代表は、石川選手と平野選手が熾烈な争いになり、石川選手が逆転で勝ち取りました。2人とも教え子ですから、複雑な気持ちだったんじゃないですか。

中澤:どっちにも勝ってほしいという気持ちでした。でも、試合はそういうもの。どちらかが落選するのは仕方ないです。

──そういえばTリーグの試合で石川選手のベンチに中澤さんがいて、アドバイスしている姿を見ました。石川選手は木下アビエル神奈川の所属。中澤さんの教え子の長﨑選手と木原選手も同じチームなので、こういうことが起こる。「おお、これはかつての師弟コンビ。貴重な場面ではないか!?」と喜びました。

中澤:Tリーグで試合するときはアドバイスもしますし、普段もよく話をします。石川はしゃべることが好きなので(笑)。

──最近の石川選手のプレーはどう見ていますか。以前よりバックハンドを振り切るようになったり、今も進化しているように見えます。

中澤:彼女は精神面が強いと思う。苦しい場面になっても、試合の経験値が高いのでそこから勝つことができる。若い選手に負けないくらい、進化し続けています。

<了>






PROFILE
中澤鋭(なかざわ・るい)
1979年生まれ、中国河北省出身。卓球選手として活躍した後、2002年に来日。四天王寺中学・高校で石川佳純を指導し、その後はミキハウスのコーチに。2008年に日本国籍を取得。2015年からJOCエリートアカデミーのコーチとして平野美宇を担当し、飛躍させた。2017年から女子監督になり、長﨑美柚、木原美悠らを指導している。

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