1月11日、国立競技場で開催された全国大学ラグビー選手権決勝は、36大会ぶりとなる関西勢の優勝で幕を閉じた。準決勝、決勝で昨年のファイナリスト、明治大、早稲田大を圧倒する強さで、歴史を塗り替えてみせた。昨夏の新型コロナウイルス集団感染により活動休止を余儀なくされ、実戦機会も準備期間も失われるなど、さまざまなハンデを負ってきた。それでもなぜ、天理大は悲願の初優勝を手繰り寄せることができたのだろうか――?
(文=向風見也)
「すごくショックだった…」 昨夏60人以上の部員がコロナ感染した天理大奈良県北中部にある近鉄もしくはJRの天理駅から市街地を抜ける。坂道を上る。距離にして4kmほどだ。
車を降りる。手前にある野球場の脇を抜けたら、ようやく目的地が見える。
白川グラウンド。今季の大学選手権で初優勝した天理大ラグビー部の本拠地だ。
「ショックでした。すごく、ショックでした」
副将を務めるシオサイア・フィフィタがこの芝であぜんとしたのは8月12日。体温と味覚に異常のあった部員の検査結果に伴い、小松節夫監督から「すぐに寮へ戻れ」と指示された。
集団感染が分かった。168人の部員中62人に陽性反応が出た。フィフィタは続ける。
「練習が始まる前に言われて……」
世界を覆うコロナ禍は、従来までそれぞれ一つ屋根の下で暮らしてきた体育会クラブの生活にも変調をもたらした。強豪大のラグビー部の多くも寮の一時解散を余儀なくされ、「STAY HOME」の号令や大学当局の厳命に従った。
過去2年で準優勝、4強と初の日本一へあと一歩に迫っていた天理大も、6月になってようやく始動。徐々に状態を上げていた矢先、悲運に出くわしたのだ。
「本音をいえば…」 限られた実戦機会と準備期間にも前を向いた自粛生活は約1カ月に及ぶ。オンライントレーニングを実施すれば多くの部員が参加したものの、試合があるかどうかも分からないなかモチベーションを保ちづらくなったのも事実だった。
主将の松岡大和は述懐する。
「僕自身はポジティブにリーグ戦、選手権が開催されると信じて、現状でやれるトレーニングをやっていました。ただその反面、『やっぱり今季は練習だけで終わるんじゃないか、試合がなくなるんじゃないか』とネガティブになる選手もいました」
天理大は35大会も頂点から遠ざかっていた関西勢の一角だ。本番で上位を独占する関東勢を倒すには、相応のリハーサル機会は必須とみられていた。
ところがこの件で夏合宿へ行かなくなったことで、現地で予定された昨季王者の早稲田大、過去に9連覇の帝京大との練習試合も中止となった。
9月のリスタート後には10月からの交流試合、11月からの関西大学Aリーグ開幕が発表されたものの、ターゲットの大学選手権へ向けた実戦機会および準備期間は限られた。
松岡はこうも吐露する。
「本音をいえば合宿はやりたかったです。何が何でも。……でも、仕方がない」
死角をえぐるゴールラインと水平なパス。チームの伝統芸能を発揮したところがふたを開けてみれば、1月2日以降の4強対決では前年度のファイナリストである明治大、早稲田大を41―15、55―28と順に圧倒した。
1対1、密集戦を制圧する。近年鍛えてきたフィジカリティを生かした。
相手防御の死角をえぐる。ここで多用されたゴールラインと水平なパスは、低迷期より身体差を補うべく用いてきたチームの伝統芸能だ。
多くのハンデが課せられたにもかかわらず、天理大は大舞台でチームの長所を発揮できたのだ。いわば、高校3年の秋まで部活をしていた受験生が模擬試験を受けずに難関校受験をパスしたようなものだ。
合間、合間に選手が大声を発するのも、この人たちらしさの一部だった。とにかく、ここでファンが気になるのは、天理大がいかにして不利な状況を乗り越えたか、の一点だろう。
当事者の選手は口をそろえる。
「試合で出た課題を修正するのを意識した」
「少ない回数の試合のなかで…」 ハンデを乗り越えた“意思”実は11月あたりまでは、大差で勝利しながらパス交換のエラー、メンバー入れ替え後の防御の乱れなど課題が散見された。天理大はその失敗を、文字通り糧にしたのである。
エリアごとにどんな攻撃陣形を選択するか、防御網の間隔はどうするかといった、本来なら時間をかけて練り上げる項目を急ピッチで磨き直した。試合でテンポよい配球を見せる藤原忍はこうだ。
「試合で全部、出し切って、そこであかんかったことを練習で修正する……。少ない回数の試合のなかで、意思を持ってやれたと思います」
これは“言うは易く行うは難し”の所業だが、天理大のレギュラーの15人中9人は松岡、フィフィタら4年生で、そのうち藤原、松永拓朗は1年時から司令塔団でコンビを組んだ。今年だけならいざ知らす、過去3年の試合経験は少なくない。さらには指導陣の顔ぶれも不変。的確な振り返りを重ねるだけの素地を備えていた。
大舞台ならではの財産も得ている。
一昨季の明治大とのファイナルでは、ラストワンプレーでフィフィタが落球。17―22と惜敗している。さらに昨季の準決勝では、早稲田大の齋藤直人、岸岡智樹という大会屈指の司令塔団にかき回され14―52と屈した。
これらの経緯を踏まえ、小松監督は「過去に(2回)決勝に出たチームと比べると(今年は)経験値が高かった。決勝に懸ける思いが過去2回に比べると強かった」と見る。
主将・松岡が振り返った、2年前の“未熟”。成長したのは…?松永は明治大との準決勝の後、最後に決勝へ出た頃と今との違いを問われたことがあった。
その日の試合では、動きながらの判断で空中戦のラインアウトの回数を減らしていた。進化を語る言葉に、説得力が帯びる。
「2年前は自分が未熟で、ゲームのなかで……(臨機応変に対応する)ということができなかった。きょうは自信を持ってラインアウトでいこうとしていましたが、試合では相手の方が高く、うまいためラインアウトがうまくいっていない。そこでテンポよくアタックを……と、試合中に修正できた」
かように蓄積された財産が、成長曲線を支えたのだ。返す返すも、大学スポーツを最も左右するのは最上級生の態度なのだろう。松岡はこうも付け加える。
「松永、シオサイアなどゲームメークする人もいて、僕以外に引っ張ってくれる人もいる。それで、練習から試合を意識してやれています。これは、上のチーム(レギュラー)だけがやっていても下のチームがそうではなかったら練習にならない。ただ、下のチームの4回生も協力してくれる。下のチームのプレッシャーのおかげで、いい練習ができる」
苦境の天理大を支えた「専務」。果たされた約束決勝戦があった1月11日。会場である東京の国立競技場のメインスタンドには、菅平プリンスホテルの大久保寿幸さんがいた。
毎年、天理大の夏合宿を世話しており、歴代の選手からは役職名にちなむ「専務」というニックネームで親しまれている。
あの夏、自身が別件で取材を受ける際は、なるたけ天理大ラグビー部のTシャツを着た。支援の姿勢を示した。すると小松監督の方から「専務、まだ今年のTシャツを持っておらんのやね」と、段ボール1箱分のTシャツを贈ってもらった。秋には白川グラウンドへ激励に訪れ、決勝戦で活躍するアシペリ・モアラらと控え組の練習試合を応援した。
合宿のキャンセルに伴う小松監督からの謝罪電話には「頂点、取っちゃってください」と返したもの。その約束が果たされた瞬間、松岡もフィフィタも泣いていた。
<了>